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buildingとhistoryに関するkenjiro_nのブックマーク (7)

  • 当代随一のデラックスビル、お別れの前に探検 天神の“顔”「福ビル」57年の歴史に幕 | 西日本新聞me

    再開発に伴い、4月上旬に57年余りの歴史に幕を下ろす福岡市・天神の「福岡ビル」(福ビル)。銀色の建物は市民に親しまれてきたが、内装などのハード面や店舗などのソフト面も、完成当時の表現を借りれば「デラックス」で画期的な街のシンボルだった。産業考古学会理事の市原猛志さん、郷土史研究家の益田啓一郎さん、劇団「ギンギラ太陽’S」主宰の大塚ムネトさんと一緒にビルを“探検”した。 「なんといっても外観のカーテンウオールとメタルパンチング。当時の福岡ではかなり斬新でした」と話すのは市原さん。カーテンウオールとは柱を建物内側に配置し窓を広く取る構造。当時の福岡都心の大規模建築物は軒並み、窓が外壁に囲まれた重厚な造りだ。 金属板を加工して外壁板に仕上げるメタルパンチングも、1961年の完成当時は目立った。「福岡では最初期の大規模なモダニズム建築」(市原さん)。ただ、当時の紙記事には〈「弁当箱みたいで安っぽ

    当代随一のデラックスビル、お別れの前に探検 天神の“顔”「福ビル」57年の歴史に幕 | 西日本新聞me
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2019/03/27
    西方沖地震の後に耐震補強したけどあっさりと取り壊すのか。
  • 初代通天閣、こんなんでした 戦前のカラー動画を初確認

    1943年に解体された初代通天閣や空襲で焼失した道頓堀の繁華街など、戦前に撮影された大阪のカラー映像が技術者らの手で復元された。初代通天閣のカラー動画はこれまで知られていないという。 フィルムは当時の愛好家が撮影した計12で、神戸映画資料館(同市長田区)の安井喜雄館長が収集・保存していた。 パリのエッフェル塔と凱旋(がいせん)門を模して12年に完成し、戦時下に火災に遭って解体された初代通天閣や、カラフルな旗やのぼりで彩られた道頓堀の繁華街、心斎橋の大丸やそごうなどの百貨店などが映っている。映像内の映画の題名から、撮影は37年5月ごろと推定されるという。 フィルムは28年にイーストマン・コダック社が開発し、「コダカラー」と呼ばれていた撮影方式で撮られていた。白黒フィルムの表面に、プリズムの役割をする1ミリ当たり22前後の細かい溝が彫られ、映像を青緑赤の3色に分解して記録する仕組みで、通常

    初代通天閣、こんなんでした 戦前のカラー動画を初確認
  • 熊本「ダイエー下通店」閉店 中心市街地の顔、惜しむ声 [熊本県] - 西日本新聞

    「ダイエー下通店」閉店 中心市街地の顔、惜しむ声 [熊県] 2014年05月12日(最終更新 2014年05月12日 00時12分) 閉店のあいさつを終えた後、店舗前に並び買い物客に頭を下げる赤沢敏彦店長(中央)や従業員たち写真を見る 熊市の下通アーケード内に面するスーパー「ダイエー熊下通店」が11日、閉店した。旧大洋デパートから続く建物と土地は、地元不動産会社が購入し、8月にも格的な建物の解体工事が始まる。11日は通常の休日の約4倍の買い物客が訪れ、中心市街地の顔として長年親しまれたスーパーの閉店を惜しんだ。 閉店時には、アーケードに面した出入り口に従業員が並び、買い物客を見送った。最後の客を見届けた赤沢敏彦店長は「老朽化した店舗の建て替えのためいったん休業します。長らくのご愛顧ありがとうございました」とあいさつ。店頭のシャッターが閉まり始めると、買い物客などから大きな拍手が

    熊本「ダイエー下通店」閉店 中心市街地の顔、惜しむ声 [熊本県] - 西日本新聞
  • 浅草に再建される「凌雲閣」の完成予想図がひどすぎる

    明治期から大正末期まで東京・浅草にあった12階建ての塔の「凌雲閣」を再建する計画がある。でも、これはアカン。原作レイプ。

    浅草に再建される「凌雲閣」の完成予想図がひどすぎる
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2013/07/31
    マルハンの拠点の話。もう少しまとまった話があればそちらをブックマークしたい。
  • 開通から70年……山陽本線関門トンネルの“寿命”が近づいている

    杉山淳一(すぎやま・じゅんいち) 1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲームPCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。2008年より工学院大学情報学部情報デザイン学科非常勤講師。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP、誠Styleで「杉山淳一の +R Style」を連載している。 地元の人々にはアタリマエのことだが、関門海峡は歩いて渡れる。いや、くぐり抜けられる、と言ったほうが正しい。国道の関門トンネルは2階

    開通から70年……山陽本線関門トンネルの“寿命”が近づいている
  • 新宿南口、線路上に巨大ターミナル 「大新宿駅」が実現 - 日本経済新聞

    1日の利用者が約340万人と日一多い新宿駅で、大工事が進んでいる。南口では線路の上に人工地盤を設け、改札や広場、タクシーやバス乗り場を備えたターミナルができる。商業施設のある高層ビルも建設予定だ。誕生から127年、転機を迎えた新宿駅のこれからと、秘めた歴史を探った。改札・広場・停車スペース備えた新駅舎JR新宿駅の南口改札を出ると、目の前に工事中の建物が見えてきた。かつて正面にはっきりと見え

    新宿南口、線路上に巨大ターミナル 「大新宿駅」が実現 - 日本経済新聞
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2012/10/28
    先日行ったけれど確かに10年前とはずいぶんと変わった印象を持った。3頁目に鉄道忌避の結果として現在の立地につながったとの記述あり。
  • 福岡市 春吉橋と中洲懸橋

    昭和23年に開催された国体に合わせて架けられた春吉橋。一方、その北側に寄り添うように伸びる中洲懸橋(旧春吉橋)の歴史は古く、江戸時代の延宝6年(1678年)に架けられたとの記録が史籍に残っています。  現在の春吉橋建設に伴い、旧春吉橋は名称を譲って撤去される予定でした。しかし、橋脚に花崗岩を使用するなど日古来の石組工法でできた旧春吉橋の消滅を惜しむ住民たちの存続運動が実り、中洲懸橋と名前を変えて残されました。  その後、中洲懸橋は平成元年に、福岡市政100周年を記念して開かれたアジア太平洋博覧会を前にして新しく架け替えられました。その際、旧橋の石材を使用し、ガス灯の照明を設けるなど、昔の面影を残すよう工夫されています。

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2010/09/27
    春吉橋の下流側にかかっている橋の名前と歴史について。であい橋を封鎖されたんでここから飛び降りるかと思ったが春吉橋から飛び降りたそうな。 id:entry:25210084
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