たとえば、どこかにおいしい水が湧き出ていたとして、その湧き水は、だだ湧き出ているだけでは、じつはその湧き水はまだ「おいしい水」とは言えなくて、水筒に汲むなり、コップに注ぐなりして、その湧き水は「おいしい水」になります。 コンテンツも同じです。誰かに見てもらうためには、湧き水に対する水筒やコップのようなパッケージが必要。世間で言われる「コンテンツ」というものは、本当は、コンテンツ+パッケージのことなのだろうと思います。あらゆるコンテンツは、パッケージングされて、はじめて「コンテンツ」になります。 「パッケージの問題」と「書籍というパッケージングの完成度」という2つのエントリでは、この従来の書籍のパッケージングに対して、観賞するという本質価値において電子書籍が優位性を示すことができなければ、普及は難しいのではないだろうか、ということを書きました。きっと、音楽のようにはすんなりとはいかないだろう