山笠がない博多の7月は、想像以上に物寂しい。例年ならば飾り山笠が華を競い、法被姿の男たちが駆け抜ける街は時が止まったように静かだ。「山のぼせ」の博多っ子たちもコロナ禍に直面し、今夏の行事を見送った。 博多っ子にとって、山笠は単なるイベントではない。遠い昔から受け継いだ神事であり、それぞれにとっての「生きがい」でもある。山笠を滞りなく行うため、当番の町は1年をかけて準備に励む。 「山笠は自分たちの祭り。だからこそ、伝統は絶やせない」。博多っ子の自負心や使命感が祭りを支えている。一方で、博多祇園山笠は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された「日本の財産」でもある。 コロナ収束が見えない中、苦渋の決断で祭りを断念したことは、日本の財産にふさわしい判断だったと思う。災いを乗り越え、病魔退散が起源の山笠が駆け抜ける夏は、きっとくる。 (手嶋秀剛)