タグ

historyとimmigrationに関するkenjiro_nのブックマーク (3)

  •  岸政彦『同化と他者化 戦後沖縄の本土就職者たち』 - 西東京日記 IN はてな

    「同化と他者化」、普通の人にはまったく意味の分からないタイトルだと思いますが、副題にあるように戦後の沖縄の土就職者について調べたで非常に面白いです。タグに「歴史」をつけましたし、屋の近現代史のコーナーに並んでいることも多いのですが、著者は1967年生まれの社会学者で社会学のになります(すごい今更だけどやはり「社会学」のタグをつけるべきなのか…?)。 1950年代後半の、ちょうど日で高度成長が始まった頃から、1972年の沖縄の土復帰の時期まで沖縄の若者の多くが土へと就職のために渡りました。1970年にはおよそ18万人の人口移動がありました(そのすべてが土就職ではありませんが)。 ところが沖縄から出て行く人間と沖縄に入ってくる人間の数はほぼ釣り合っていて、就職のために土に渡った者の多くがUターンしていることもわかります。 このような事実を聞くと、おそらく次のようなストーリーが

     岸政彦『同化と他者化 戦後沖縄の本土就職者たち』 - 西東京日記 IN はてな
  • 在日朝鮮人、戦時徴用はわずか245人 - MSN産経ニュース

    戦時中の徴用令によって日に渡航し、昭和34年の時点で日に残っていた朝鮮人は、当時登録されていた在日朝鮮人約61万人のうちわずか245人だったことが10日、分かった。自民党の高市早苗元沖縄・北方担当相の資料請求に対し、外務省が明らかにした。 資料は34年7月11日付で、245人について「みな自分の自由意思によって日に留った者または日生まれだ。日政府が人の意志に反して日に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もいない」と結論付けている。 永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案の推進派は、在日韓国・朝鮮人が自分の意思に反し日に住んでいることを理由の1つとして挙げてきた。

  • 田川市石炭・歴史博物館との交流契機 釧路の学芸員 「急速転換」調査 元炭鉱マンに聞き取り / 西日本新聞

    田川市石炭・歴史博物館との交流契機 釧路の学芸員 「急速転換」調査 元炭鉱マンに聞き取り 2010年2月28日 00:44 カテゴリー:九州 > 福岡 かつての炭鉱マンから「急速転換」の様子を聞き取る石川さん(中央) 太平洋戦争末期に多くの炭鉱マンが北海道釧路市などから九州の炭鉱に送られた戦時国策「急速転換」の初の格的な実態調査に、同市立博物館の学芸員石川孝織さん(35)が取り組んでいる。樺太での急速転換は研究書もあるが、釧路については、まとまった文献もなかった。石川さんは聞き取り調査などを続け、年内にも論文として発表する。 急速転換では、釧路市の太平洋炭礦をはじめ釧路炭田の各炭鉱の労働者約9千人のうち、日人と朝鮮人合わせて約6千人が九州に送られたとされる。ほとんどは戦後、釧路に帰ったが、現地に残った人もいた。 調査は同博物館が一昨年から田川市の市石炭・歴史博物館と交流していることが

  • 1