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humanrightsとintoleranceに関するkenjiro_nのブックマーク (5)

  • 安藤美姫選手に対する常軌を逸した集団マタニティ・ハラスメントについて(伊藤和子) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    安藤美姫選手が未婚で出産する選択をし、アスリートとしてオリンピックを目指す、父親名は明かさない、というニュースを聞いて、私としては「日にもこういうアスリートが出てきたんだ」と喝采を送りたい気分だったが、その後の常軌を逸したバッシングにはショックを受けた。一言でいえば、日はこんなに人権を尊重しない、人の痛みに鈍感な、そして不寛容な国なのか、ということである。 週刊文春のアンケートもあまりにひどすぎ、中止となったが、今もネット上その他でいろいろとしつこく賛否が話し合われている。 安藤選手のFacebookに誹謗中傷があったという。 安藤選手のFacebookには これまで、いただいたコメントは貴重なご意見ですし、批判的なものであっても消したりしない、という方針で運営してきました。しかし残念ながら、ここ数日、第三者を愚弄したり、汚い言葉を使ったり、さまざまな生き方を選択した女性に対して差別的

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2013/07/08
    「不寛容に対する不寛容」についてはさておき、マスコミを媒介とした世間の無自覚な拡張はやはりマスコミ側の自重を願いたい所だが。
  • 言論の自由はどこまで言論の自由を許すか?・・・平林久和「ゲームの未来を語る」第21回 / GameBusiness.jp

    最初にお断りを申し上げます。 1.数ある匿名掲示板(おもに2ちゃんねる)のまとめサイトがある中で、ふたつのサイトを取り上げていること。 2.管理人に何のお断りもなくこの記事を書くこと。 3.ふたつのサイトに違いはあり、おふたりの管理人の個性も異なることを承知しつつも、以下の原稿で両サイト、両管理人をひとまとめにして書く箇所があること。 4.両サイトは速報性があり、良い記事もあるが、あえて「負の側面」を書くこと。 以上、ご理解のうえ、稿をお読みください。 今回、私が取り上げますサイトとは、次のふたつです。 「オレ的ゲーム速報@刃」 「はちま起稿」 私はこの両サイトが、ゲームにかかわるメディアにおいて、正面から論じられることがないことを憂いています。 そんな約束事はありませんが、触れてはいけないこと、という暗黙の了解があるかのようです。タブー視されています。理由はあとで述

  • 多様な価値観を認める社会は、単一の価値観しか認めない人々の価値観を認めない。 - kei999の日記

    サンデル教授は「これからの「正義」の話をしよう」の中で、アリストテレスの政治哲学の中心は以下の2つの観念であると書いています。 1. 正義は目的にかかわる。正しさを定義するには、問題となる社会的営みの「目的因テロス (目的・最終目標・質)」を知らなければならない。 2. 正義は名誉にかかわる。ある営みの目的因について考える―あるいは論じる―ことは、少なくとも部分的には、その営みが称賛し、報いを与える美徳は何かを考え、論じることである。 ケイシーマーティンのゴルフカートの例では、足に障害があるケイシーマーティンにコース間の移動でカートを使うことを許可すべきか否かという論争を取り上げます。裁判になり、ゴルフ界の大御所も意見を求められます。 ジャック・ニコラウスやアーノルド・パーマーなどの大御所らはカートの使用禁止に賛成するのです。 なぜでしょうか?  ゴルフがスポーツであると考え、その名誉に

    多様な価値観を認める社会は、単一の価値観しか認めない人々の価値観を認めない。 - kei999の日記
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2010/09/13
    どうなんだろ? タイトルには反論したくもあるけど。
  • 【コーラン焼却】「中止しない」と牧師 国連議長が非難、波紋拡大 - MSN産経ニュース

    米フロリダ州のキリスト教会が、米中枢同時テロから9年となる11日にイスラム教の聖典コーラン約200冊の焼却を計画している問題で、同教会のテリー・ジョーンズ牧師は8日、記者団に「計画を中止する考えはない」と語り、焼却を強行する考えを示した。 これに対し、イスラム教国リビアのトレキ国連総会議長は8日、焼却計画に「深刻な懸念」を表明し、非難する声明を発表。国連アフガニスタン支援団(UNAMA)のデミストゥラ代表も同日、懸念を示し、この問題をめぐる波紋が拡大した。 トレキ議長の声明はコーラン焼却について「異なる宗教や信仰の間に憎悪や差別を引き起こし、文明、宗教間の衝突を増大させる恐れがある」と指摘。ジョーンズ牧師の主張は「反動的な考え方で、人類を(中世の)宗教裁判の時代に逆戻りさせる恐れがある」と批判した(共同)

  • 「表現の自由」再論 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    表現規制の話で。 表現規制において踏みにじられる個人の表現の自由と表現の自由において流通するヘイトスピーチ*1に踏みにじられる個人の尊厳に関わる自由とで、どちらかを優先すべきとするアプリオリな序列づけはできない。まず、このことは大前提。このことを踏まえない議論は全部ダメ。 両方の自由に等しい重みを与えようとするなら、目指されるべきは両方の自由であり、そのためには表現の自由だけでは絶対に足りない。仮に、表現の自由自体には制限を加えないのであれば、両立のために「表現の自由」を使うこと、すなわち「ヘイトスピーチに実際に反対すること」が必要である。それも、そのターゲットになる人たちが十分な安心感と尊重が感じられる程度に大きな規模で。 つまり、(誤解したがる人が誤解するだろう表現を使うならば)、表現の自由はある種の義務を伴わざるをえない。ただし、この義務は、果たされなくても罰せられることのない義務で

    「表現の自由」再論 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2010/08/06
    ゲシュタルト崩壊しまくりで目が滑る。あとで読み返したい。
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