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journalismとkotobagariに関するkenjiro_nのブックマーク (3)

  • 今、既にある「行き過ぎた監視社会」 - 生きた経済ブログ

    ■クレームを煽る第3者の存在 最近の日政治を観ていると、「政治家の能力」よりも「政治家の言葉」だけが重要視されているような気がする。これを企業に置き換えて考えれば、「仕事をする能力」よりも「顧客に対する言葉遣い」の方が重要だというようなことになるのだろうか。仕事はできても、顧客に誤解されるようなことを一言でも言えばクビになるような企業があれば恐ろしい社会だが、政治の世界ではそういう恐ろしい社会が実際に出来上がってしまっている。 もちろん、企業の場合でも、従業員の言葉が原因となり顧客からのクレームが有ればクビになる可能性はあるだろうけれど、政治の世界では、わざわざ顧客のクレームを焚き付ける第3者が存在している。従業員の言葉遣いを逐一監視し、その言葉が悪い場合は、わざわざ顧客からクレームが出るように煽る勢力、それが、善意(悪意?)の第3者マスコミである。 ■「行き過ぎた監視社会」を実践する

    今、既にある「行き過ぎた監視社会」 - 生きた経済ブログ
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2017/07/11
    稲田防衛大臣が「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と言ったのを単なる言葉狩りとして矮小化したいといういやらしい欲求が読み取れるのだが俺の思い過ごしだろうか。
  • 菅野完氏「ジャーナリストと名乗ったことない」 一部報道に苦言(楊井人文) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    森友学園問題を追及している菅野完氏が、一部メディアに「ジャーナリスト」との肩書きで報道されていることについて、自分から「ジャーナリスト」と名乗ったことはないと苦言を呈している。インターネット上では菅野氏が「ジャーナリスト」と称しているかのような誤解が広がっているが、菅野氏は日報道検証機構の取材に、自らは「著述家」と名乗っており、専門的な訓練を受けていないため「ジャーナリスト」と名乗る資格はないとの考えを示した。 菅野完氏のツイッター投稿(2017年3月17日)菅野氏は「日会議の研究」などの著書があり、自らの取材で得た情報をツイッターで発信するなどの活動を行っているが、名刺には「著述家」とのみ記載。これまでもツイッター上で、自分は「ジャーナリスト」ではないと繰り返し表明していた(2016年7月3日、同年11月3日、2017年1月15日など)。にもかかわらず「ジャーナリスト」と報じられ、松

    菅野完氏「ジャーナリストと名乗ったことない」 一部報道に苦言(楊井人文) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • 【言葉】新聞も「ゴーストタウン」という表現を使ってきた。「死の町」はだめで「ゴーストタウン」ならいい、そんなしゃくし定規な議論が広がっては、なんとも息苦しい : 47トピックス

    【中日新聞】<社説> ■自由な言葉あってこそ メディアと政治を考える 政治家の発言をメディアが報じることで現実の政治が動く。そんな事例が相次いでいる。分かりやすい結末を追い求める落とし穴にはまっていないか。 鉢呂吉雄前経済産業相が一連の「問題発言」の責任をとる形で大臣を辞任したのは、就任わずか九日目だった。……… いずれの発言も大臣として不適切な発言として批判を浴びて、当初は説明を尽くす考えだったが、放射能発言が報じられた十日夜になって結局、辞任を表明した。 たしかにテレビカメラも入った会見で「死の町」という表現は適切とは言えない。ただ、絶対に許されないほど不穏当だったかと言えば、議論の余地は残る。 後に明らかになったことだが、細川律夫前厚生労働相も五月の参院行政監視委員会で民主党議員の質問に答えて「町全体が当に死の町のような印象を受けました」と語っている。 紙を含めて新聞も「ゴー

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