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kuukiとhistoryに関するkenjiro_nのブックマーク (11)

  • (戦後70年へ)「あと3時間で神に」 母の顔浮かんだ - 沖縄:朝日新聞デジタル

    上空1千メートル。真っ青な海に、朝もやが立ち上る。鹿児島・薩摩半島の南端にある火山、開聞(かいもん)岳が、朝日を浴びてオレンジ色に輝く。その姿が、次第に遠ざかっていく。 1945年5月4日。19歳の桑原敬一さん=横浜市=は、串良基地(鹿児島県鹿屋市)を飛び立った九七式艦上攻撃機の操縦桿(かん)を握っていた。 後ろを振り向き、美しいなあ、この世との別れだなあ、と思うと、涙がぼろぼろ出ましてね。前を向こうと思っても、何度も振り返っちゃって。めがねを外して、風圧で涙を吹き飛ばすんだけど、それでも涙がとまらなくてね。 米軍が上陸した沖縄をめざしていた。敵艦を見つけ次第、体当たりする。後ろの座席の機長と電信員も、空の上で一言も発しなかった。 この風景こそ、おれが守ろうとするもの。この美しい国を守るために、おれは死ぬんだと、自分を納得させることに必死でした。正直に言えば、覚悟というより、しかたがないと

    (戦後70年へ)「あと3時間で神に」 母の顔浮かんだ - 沖縄:朝日新聞デジタル
  • A級戦犯 ラジオ番組で語る 57年前の音源発見 「敗戦 我々の責任でない」 - 高知新聞

    旧日陸軍の荒木貞夫大将ら4人のA級戦犯(いずれも故人)が自らの戦争責任などについて語ったラジオ番組の音源が、このほど見つかった。番組の中で4人は「敗戦はわれわれの責任ではない」「戦争中にあったことをいつまでもグズグズ言うのは間違いだ」などと述べている。番組のプロデューサーだった水野繁さん(92)=奈良市=は高知新聞の取材に「憲法改正を望むなど4人の姿勢は、今の安倍(晋三)内閣に相通じる点がある。国民の置かれていた状況が戦前と同じになっていないか、危惧している」と語った。 【写真】ラジオ番組「マイクの広場 A級戦犯」のプロデューサーを務めた水野繁さん。「民主主義にとって大切なものは何か考えてほしかった」(大阪市北区) 番組は「マイクの広場 A級戦犯」で、約30分間。関東地方をエリアとするラジオ局・文化放送(東京)が1955年に録音し、56年4月に放送した。音源は最近、水野さんが知人から託さ

  • 93歳から若者へ/おかしいことはおかしいと勇気もって声あげてほしい/70年前の「学徒出陣」

    70年前の10月21日、明治神宮外苑競技場(現・国立競技場)で約2万5千人の学生が銃を担いだりしながら行進しました。文部省(当時)が開いた「出陣学徒壮行式」です。敗戦の色が濃くなった1943年、徴兵が猶予されていた学生をも戦場に送り込んだ「学徒出陣」。慶応大文学部2年だった岩井忠正さん(93)=東京都小平市=も、その一人です。高校2年生の柴野風花さん(17)と専門学校に通う米山青空さん(18)が岩井さんを訪ね、交流しました。 岩井 壮行式の日は雨が降っていたことぐらいしか覚えていないんだよ。ずぶぬれで、足元はぐちゃぐちゃ。学校には全員に渡るほどの銃がなかったので、僕は持たなかった。 青空 壮行会が開かれたとき、戦争への思いはどのようなものでしたか。 岩井 壮行会があったからって「やってやる!」なんて、気持ちになったわけじゃない。当時、少なくない学生は何のためにたたかうのか、何のために死ぬの

    93歳から若者へ/おかしいことはおかしいと勇気もって声あげてほしい/70年前の「学徒出陣」
  • 「冷戦を知らない子供たち」のために

    私たちが夢をみなくなったのは、いつからだろう。 1979年生まれの私は、1989年にちょうど10歳。小学校高学年で社会の動きが目に入り出す頃だから、「冷戦の終焉」を覚えている最後の世代だ。 前年から天皇崩御が予想され、「次の元号」の噂がクラスで飛び交っていた(結局、みんな外れた)。 国内では女性党首のおばさん率いる野党が選挙で与党を負かし、海外ではやたらと大きな壁が取り壊されて、わからないなりに何かが「始まった」ような気がしていた。 翌年、中東の軍人さんが侵略戦争を始めても、工作用紙でボードゲームにして遊ぶうちに、翌々年には多国籍軍が押し戻した。その夏、ヒグマみたいなおじさんが戦車に乗ってクーデター阻止を叫び、子供たちの人気者だった禿げ頭の大統領を取り返した(頭のあざが世界地図に見える、とみんな言っていた)。もっとも年末にその国が崩壊して物の世界地図が塗り替わったときは、受験前に冗談じゃ

    「冷戦を知らない子供たち」のために
  • 名古屋五輪招致運動を冷笑、揶揄し続けたタモリが落選夜に語った言葉(回想・1981年) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    【記録する者たち】 あー…?? 画質的に読める?? ぎりぎりかな???? たぶんオリジナルサイズはこちらをクリックして表示 で見ると、少しクリアかもしれない。 http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/g/gryphon/20130909/20130909081302_original.jpg?1378682085 背景を説明する必要があるかないかわからないけど、ざっと箇条書きすると ・名古屋が「1988年五輪開催」都市に立候補した。 ・その当時、バリバリの新進お笑い芸人として大人気(ただし、アングラ的なにおいも濃厚)だったタモリの芸風に「名古屋人を誇張して嗤いのタネにする」があった。 ・その一環としてタモリはさまざまな場で「名古屋オリンピックをつぶそう」と語ってきた。 ・そして当に落選した。当選都市はソウル。 その日の夜、タモリが語った

    名古屋五輪招致運動を冷笑、揶揄し続けたタモリが落選夜に語った言葉(回想・1981年) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

  • 見逃した人は必見! NHKのドラマ『15歳の志願兵』再放送 - kojitakenの日記

    どういうわけか今年は名古屋の当たり年で、現在も、COP10、河村たかし、中日ドラゴンズなど良くも悪くも名古屋が注目を集めているが、今年の終戦記念日に放送されたNHKのドラマ『15歳の志願兵』も、戦争中に名古屋の名門校・愛知一中で起きた事件を元に製作されたドラマだった。私は、このドラマを見て感銘を受けたので、『きまぐれな日々』の下記記事で取り上げた。 きまぐれな日々 NHKドラマ「15歳の志願兵」を見て思ったこと このドラマが近く再放送されるとの知らせを、『きまぐれな日々』に戴いたsweden1901さんのコメント*1で知った。2か月前の記事へのコメントだから、読者の皆さまの目に触れる機会はほとんどないと思うので、ここに転載して紹介したい。 終戦記念日のNHKドラマは毎年再放送があったようなのでそのうちあると思ってはいましたが、 「15歳の志願兵」の再放送が決まった旨、番組のweb site

    見逃した人は必見! NHKのドラマ『15歳の志願兵』再放送 - kojitakenの日記
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2010/10/19
    「11月7日(日)16:00からNHK総合」でOAだそうです。
  • 論理はいかにして空気に敗れ去ったか:猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』 - ミックのブログ

    かつて、日皇室が同時に二つ存在していた時期があることは、広く知られています。南北朝時代と呼ばれる50年ほどの期間で、歴史の授業で習うので皆さんもよくご存知でしょう。では、日に内閣が同時に二つ存在した時期があることは、知っているでしょうか? 時期は昭和16年。日米開戦を間近に控え、国際情勢は日増しに緊迫感を強めていたときです。二つの内閣のうち、一つは第3次近衛内閣。アメリカとの激突を回避するわずかな可能性を模索するも、強硬論に押されて三ヶ月で瓦解する短命な内閣です。そしてもう一つが、「窪田角一内閣」。歴史の教科書には登場しない幻の内閣です。 この内閣が「組閣」されたのは昭和16年7月12日。きっかけは総力戦研究所という、今で言う政府系シンクタンクに集められた若手官僚たちの教育のため、戦争のシミュレーションを行ったことでした。集められたのは官僚や民間企業、軍隊などで10年ほどの経験のある

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2010/08/20
    石破氏のブログで取り上げられていた id:entry:24221234 表題の本のダイジェスト。この話は初めて見た。この空気という化け物にどうやって勝てるのだろうか?
  • 育児板拾い読み@2ch あとち 【昭和64年1月7日】昭和最後の日何してた?

    【昭和64年1月7日】昭和最後の日何してた? bubble6.2ch.net/test/read.cgi/cafe30/1168157857/l50 4 :大人の名無しさん:2007/01/07(日) 17:59:24 ID:ue0dHq0U レンタルビデオ屋行ってた。 (皮肉にもこの時はビデオ屋が大儲けだったな、 なぜなら、どこのチャンネルも・・・) 5 :大人の名無しさん:2007/01/07(日) 19:53:48 ID:7oj2gjzh 故小淵さんがテレビで平成の文字かかげてたの見てた 7 :大人の名無しさん:2007/01/07(日) 20:35:22 ID:naCdIpM5 普通に中学校に行ったら 「今日から一週間休み」と言われうれしかった。 が、当時はビデオも持ってなく、テレビも追悼番組のみ。 つまらねー1週間だった。 30代の今だったらいろいろ出来そうだけどな 10 :大人

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2010/07/27
    当時中学生ということは30代半ばか。板の特性もあってか平均年齢の高そうな発言が多い。
  • 『むかし言論人ありけり』

    government of the people, by the people, for the people 戦前、満州進出で全国紙が軍部礼賛に染まるなか、地方紙に反骨の言論人がいた。桐生悠々(きりゅう ゆうゆう)。信濃毎日新聞の主筆である。 日が国際連盟を脱退した昭和8年、彼は「関東防空大演習を嗤ふ」という社説を書いた。 陸軍が、国民の好戦気分をあおるため思いついた防空訓練。空襲を想定し灯火を消して、お祭り騒ぎで行われた。 桐生悠々の社説、概略はこうだ。 「そもそも敵機が日の上空に来る状況になったら、紙と木でできた東京の街は滅茶苦茶に破壊されて、日の大敗北に決まっている。敵機が来襲するようなことがないようにすることが大切であり、このような架空の演習は何の意味もない」 その後の軍部の怒りは当然予想していただろう。案の定、信濃毎日に対し在郷軍人会の不買運動が起こり、桐生は退社を余儀な

    『むかし言論人ありけり』
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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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