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thinkingとsolitudeに関するkenjiro_nのブックマーク (6)

  • セルフレジの「ミスったら恥をかくんじゃないか」という緊張感がキツい。

    国民的衣料品店のセルフレジ 国民的な衣料品店がある。あるだろう。みんな着てるやつだ。 全国津々浦々にあるのかどうか、おれは全国津々浦々を知らないので言えないが、まあ、あんたが思い浮かべた大チェーン店だ。 そこが導入したのがセルフレジだ。 おれにはなんの略かしらないが、RFIDタグというものを用いている。 ごそっと商品を置くと、瞬時に品物の点数と価格が表示される。 決済方法をタッチパネルで選ぶ。 クレジットカードならクレジットカードを突っ込んで決済される。現金を選べば、現金をぶちこんでもいい。 やけに長いレシートが出てくる。 商品を袋に入れるのも自分の仕事だ。 このごろじゃ袋も有料だ。袋がなければ、バッグに突っ込む。 きれいにたたむもたたまないもあんたの勝手だ。 そしてあんたは、なんかこれでいいのかしらん?と思って店を出る。 なれてしまえば、これでいい、と思って店を出る。 国民的コンビニエン

    セルフレジの「ミスったら恥をかくんじゃないか」という緊張感がキツい。
  • 「つながり原理主義」の帰結 - 泣きやむまで 泣くといい

    子どもたちの居場所が必要だ、と言われる。それを否定する人はあまりいない。 学校があって家庭があるだけではまだ足りないから、求められる。求めているのが子ども自身なのかどうかは、よくわからない。「僕に居場所を」と訴える子どもはあまりいないからだ。必要性を言うのは大人である。もちろん根拠がないはずはなく、少しばかり見聞きした成功体験も背景にあるのだろう。 居場所を作りたい、という大人たちの希望にどんな風が吹いているかと言えば、ずっと追い風だと思う。学校教育でも生涯学習でも地域福祉でも子どもの貧困支援でも「居場所」やそれに類するものがバックアップされるような施策がある。既存の社会資源やネットワークの中で解決されていない問題があるとき、新たな「居場所」は魔法の箱として期待を集めていく。トップダウンかつ縦割り行政の中でそれぞれ中途半端につけられた「居場所」関連予算は、何ら新奇性を示せることなく、既存事

    「つながり原理主義」の帰結 - 泣きやむまで 泣くといい
  • 愚痴や不満をネットに吐き出すということ

    有村悠%C91・1日目(木)東M25a @y_arim 愚痴や不平不満は信頼できる相手にクローズドな場所で面と向かって打ち明けるのがいいと言うけど、そういう相手の居ない孤独な人はネットで爆発して炎上するしかないよなぁ 2015-08-08 14:17:01

    愚痴や不満をネットに吐き出すということ
  • ブログを消そうと思うこと - Letter from Kyoto

    結構な頻度で、ブログを全部削除してしまおうと思うことがある。ここに書いている文章はなんというか、自分にとって恥の塊みたいなもので、読み返したりすると消したい衝動に駆られることが多い。今までそうやって削除してきたのは例えばmixiのアカウントとか、確かあれは会社員になったばかりの頃で、7年ぐらい前だったと思う。ブログについては3回か4回渡り歩いているけれどそれは必ずしもそういった理由からではなく、単にパスワードを忘れたりシステムが古くなって使いづらくなったとか、新しい別のサービスを利用してみたくなったということが多い。もしくは無料サーバーのサービスが終了したとか。基的に今までのブログというのは実際の僕を知っている人に教えていなかったから(mixiはもちろん教えていた)。でも今のこのブログは親族も知っており昔の友人や知り合いにもガンガン教えている。元々隠していたつもりもなかったけれど、いつか

    ブログを消そうと思うこと - Letter from Kyoto
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2015/07/01
    「とるなよ! 絶対魚拓なんてとるなよ!」的な反語的メッセージとして受け取った俺はどうすればいいんだろう。
  • 僕は祝福された人生にふれるのを恐れている

    ここ数年テレビを見ることがめっきり減った。 朝、時計がわりに情報番組、夜、ニュースをつまみい。あとは年に数のドラマとアニメとNHKスペシャル。その程度しかテレビを見なくなった。仕事のある男性社会人なら、以外とみんなそんなものかもしれない。 テレビを見なくなった理由は単純に面白くなくなったから。それにニュース、情報やエンターテイメントもネットで事足りるし、もうテレビはどうしても必要なものというわけでもない。 ただ、テレビを見なくなったのにはもう一つ理由があって、それは僕の内面に理由がある。僕は祝福された人生を眼にするのを避けている。 テレビは祝福された人生であふれている。基的に成功した人々しか登場しない。 バラエティを視ればお笑い芸人のモテ自慢を聞かされる。 ドラマでかわいい娘を見かければ、付き合ってる男のことが気にかかる。 ニュースを視れば、テレビ局社員という恵まれた雇用者に相対しな

    僕は祝福された人生にふれるのを恐れている
  • 「無縁社会」と試されるネットの可能性 - いいんちょさんのありゃあブログ

    今夜、NHKでは追跡!A to Z「『無縁社会』の衝撃」が放送されていた。 一月に放送されたNHKスペシャル「無縁社会」のオンエアー中にTwitter上の#muenなどでつぶやかれた発言や反響をうけ、今回は前回よりぐっと年代を下げた30代や20代の、今まさに無縁の状態にあり、自分の将来に不安を抱えているという人たちを取り上げた内容だった(話は逸れるが、テレビTwitterのインタラクティビティというのは、これぐらいがちょうどよいのかもしれない。「生放送中にTwitter上のつぶやきを紹介…」みたいな企画を何度か見た記憶があるが、どうも上手くいかない。前者と後者では、流れている時間のスピードからして違うのだろう)。 □□□□ 僕の視聴後の感想を一言で言えば、「半信半疑」。 まず、「疑」の部分。孤独の環境があたかも絶対悪であるかのような描き方には違和感ある。孤独の中から醸成されるものだってあ

    「無縁社会」と試されるネットの可能性 - いいんちょさんのありゃあブログ
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