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うむむと歴史に関するkouchi203のブックマーク (57)

  • 悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問 | FRIDAYデジタル

    はんどう・かずとし/昭和5(1930)年生まれ。東大文学部を卒業後、文藝春秋入社。専務取締役を経て文筆業に。『日のいちばん長い日』は終戦の日を描いたベストセラーとなり、映画化もされている。『ノモンハンの夏』『昭和史』『文士の遺言』など著書多数 「昨年、当時の天皇陛下の侍従から、『秋篠宮悠仁(ひさひと)殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください』という依頼があった。ですが、私は最初断ったんです。だって相手は小学校6年生の坊やですよ。そんな幼い子に単純明快に話せるようなことじゃない、無理です、と。だけど何度もお願いされて、じゃあさわりだけでも話しましょう、と出かけていったのが、8月15日でした」 秋篠宮悠仁親王は、まさに次代の天皇家を背負って立つ。その進講役として白羽の矢が立ったのが、昭和史研究家でもある作家・半藤一利氏(89)だ。秋篠宮家の”家庭教師”になったのが「

    悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問 | FRIDAYデジタル
  • 明治150年・あの時代から続く「通俗道徳の罠」を考える~『生きづらい明治社会』を読んで(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース

    150年前の今日、元号が「慶応」から「明治」に改められた。 ということで、政府が明治維新150年を祝う式典を開いた。その趣旨は「明治以降のわが国の歩みを振り返り、未来を切り開く契機としたい」(菅官房長官)というもので、与野党の国会議員や各界の代表者ら約350人が出席。 式辞で安倍首相は「新しい国づくりに際しては、それまでの身分、武士・農民・町民の別に関わりなく、若者や女性を含め、志を持った人々が、全国各地で躍動しました」と述べ、「明治の人々が勇気と英断、たゆまぬ努力、奮闘によって、世界に向けて大きく胸を開き、新しい時代の扉を開けたことに思いをはせながら、私たちは、この難局に真正面から立ち向かい、乗り越えていかなければならない」と強調した。そのうえで「若い世代の方々にはこの機会に、我が国の近代化に向けて生じた出来事に触れ、光と影、様々な側面を貴重な経験として学びとって欲しい」と述べた。 国の

    明治150年・あの時代から続く「通俗道徳の罠」を考える~『生きづらい明治社会』を読んで(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース
  • 友達の作り方~僕がもらった祖父からのレシピ~|NHK NEWS WEB

    ことしの8月15日、世界の多くの人に読まれたツイートがあります。73年前、連合国軍の一員として横浜に降り立った祖父が、当時の経験について記した手紙の内容を載せた、あるアメリカ人男性のツイートです。そこには、終戦直後の焼け野原の日を舞台に、アメリカ人兵士の祖父と、日の市井の人々との心温まるふれあいや、思い出の数々が記されていました。(国際放送局記者 相澤祐子) 「毎年8月15日ころになると、僕は、大切な宝物の一つを手に取る。戦後、日の占領期の経験について、僕の質問に祖父が答えてくれた古い手紙だ。73年前の終戦を記念した日のきょう、いくつかの抜粋をみんなとシェアしたい」 こうツイートしたのは、マイケル・ボーザックさん。 現在は、新潟県南魚沼市にある国際大学で、アジアの安全保障や、日政治について研究する博士課程の学生です。マイケルさんは、アメリカ空軍士官学校を卒業後、アフガニスタンに派兵

    友達の作り方~僕がもらった祖父からのレシピ~|NHK NEWS WEB
  • 飛騨高山にイスラエル人観光客が集まる理由

    飛騨高山を訪れるイスラエル人が急増している 江戸時代からの古い町並みが残る「飛騨の小京都」。今、日四大朝市として名高い岐阜県高山市の飛騨高山を訪れるイスラエル人が急増している。 「シャローム!」 ヘブライ語(イスラエルの公用語)で「こんにちは」を意味するその言葉が威勢よく響き渡るのは、飛騨高山の名物朝市だ。地元農家が丹精込めて育てた新鮮な野菜や果物のほか、特産の手作りの漬物や和菓子、さらには可愛らしい和風小物などがずらりと並び、そぞろ歩く観光客が絶えることはない。 もともと、その風情ある街並みから、飛騨高山を訪れる外国人観光客の数は多く、街中には英語中国語のみならず、タイ語、韓国語、ドイツ語、フランス語、スペイン語など他言語での散策マップなども充実している。 いわば「外国人フレンドリー」と言えるこの街で、今とりわけ力を入れているのがイスラエル人観光客の受け入れだ。高山市の担当者によると

    飛騨高山にイスラエル人観光客が集まる理由
  • 幕末の忍者、意外と地味だった? 福井藩史料で判明 | 社会,催し・文化 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE

    幕末の福井城下を描いた絵図には「忍組」と書かれた区画があり、忍者屋敷があったことを示している=松平文庫(福井県立図書館保管)の「御城下之図」から作成 黒装束姿で高い塀を飛び越え城に忍び込み、手裏剣を放ち、どろんと消える―。小説漫画で超人的に描かれる忍者について、史実に基づいた研究が全国で進んでいる。福井県内でも県立図書館にある幕末期の史料の調査で、福井藩の忍者の姿が分かってきた。城下町に堂々と住み、名前はいたって平凡。普段は忍術の稽古や、門番や武器の管理といった地味な仕事をこなし、業の情報収集では張り紙を書き写していた―。担当者の解説を基に、幕末期の忍者を描いてみた。 ■長屋住まいの下級武士 「皆さんが知っているのは作り上げられた忍者の姿」。県立図書館で開かれている企画展「幕末福井藩の忍者」の解説講座で、司書の長野栄俊さん(46)が切り出した。 長野さんの調査によると、福井藩の忍者は「

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  • 真珠湾攻撃から75年、歴史家・加藤陽子氏は語る「太平洋戦争を回避する選択肢はたくさんあった」

    ハフポスト日版ニュースエディター 特集「#だからひとりが好き」ディレクター News Editor, HuffPost Japan 7th December 1941: The USS Arizona sinking in a cloud of smoke after the Japanese attack on Pearl Harbor during World War II, Hawaii. (Photo by Hulton Archive/Getty Images)

    真珠湾攻撃から75年、歴史家・加藤陽子氏は語る「太平洋戦争を回避する選択肢はたくさんあった」
    kouchi203
    kouchi203 2017/08/15
    「見通しが甘いということではアメリカ側も同様で、日本側に強硬に出た理由は「資源に乏しく劣勢の海軍力しか持たない日本が、英米に対する戦争を始めるはずがない」と考えていました。」
  • 地域面:どうしん電子版(北海道新聞)

    サイト内に掲載の記事、写真などの一切の無断転載を禁じます。 ニュースの一部は共同通信などの配信を受けています。すべての著作権は北海道新聞社ならびにニュース配信元である通信社、情報提供者に帰属します。

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  • 英国史上、最も偉大な技術リーダーに学ぶべきこと | タイム・コンサルタントの日誌から

    イザムバード・ブルーネルIsambard Brunel(1806-1859)の名前をご存じだろうか? 19世紀前半の英国を生きたエンジニアだ。生まれは今から210年前。その時代、英国は産業革命の成功を背景に、猛烈な勢いで勢力を伸ばし、北西ヨーロッパの島国から、世界最大の強国に成長しつつある時代だった。 BBC放送は2002年、「歴史上最も偉大な英国人」100人を選出した。1位はウィンストン・チャーチル。そして第2位がイザムバード・キングダム・ブルーネルだった(日では「ブルネル」と表記されることも多い)。ちなみに、3位はダイアナ妃、4位がチャールズ・ダーウィン、5位シェークスピア、6位アイザック・ニュートン、7位エリザベス一世・・という具合だ。偉大な科学者や文芸家たちをおさえて、第2位の地位を占めた技術者ブルーネルとは、どんな人物だったのか? 1835年、首都ロンドンと、大西洋に面する英国

    英国史上、最も偉大な技術リーダーに学ぶべきこと | タイム・コンサルタントの日誌から
  • 神戸新聞NEXT|経済|鈴木商店、登記上は現存 恐慌で破綻も清算終えず

    明治から大正にかけて神戸を拠点に急成長し、100年前に売り上げ日一となった総合商社、鈴木商店。昭和初期の金融恐慌で破綻したが、登記上は今も会社が存在していることが分かった。経営実態は既にないものの、清算は終わっておらず、手続きをすれば復活も可能だ。「最後まで再興を目指した大番頭、金子直吉の意をくんだのだろうか」。関係者は推測するが、真相を知る人はいない。 鈴木商店は神戸港開港間もない1874(明治7)年、砂糖輸入商として神戸・弁天浜で創業した。創業者の死後、「お家さん」と呼ばれた女主人鈴木よねと番頭金子がけん引。造船や重化学工業などに進出し、絶頂期には世界40カ所に支店を置き、60社超の企業を抱えた。神戸製鋼所や帝人、双日、サッポロビールなど金子が種をまいた企業は今も多く残る。 創業時は個人商店だったが、1902(同35)年に「合名会社鈴木商店」を設立。23(大正12)年に会社の近代化を

    神戸新聞NEXT|経済|鈴木商店、登記上は現存 恐慌で破綻も清算終えず
  • 「憲法をぞうきんのように使え」 101歳の現役ジャーナリスト むのたけじ

    さたか・まこと 1945年山形県酒田市生まれ。評論家、『週刊金曜日』編集委員。高校教師、経済雑誌の編集者を経て評論家に。「社畜」という言葉で日の企業社会の病理を露わにし、会社・経営者批評で一つの分野を築く。経済評論にとどまらず、憲法、教育など現代日のについて辛口の評論活動を続ける。著書に『保守の知恵』(岸井成格さんとの共著、毎日新聞社)、『飲水思源 メディアの仕掛人、徳間康快』(金曜日)など。 佐高 信の「一人一話」 歴史は人によってつくられる。ときに説明しがたい人間模様、ふとした人の心の機微が歴史を変える。経済、政治、法律、教育文化と幅広い分野にわたって、評論活動を続けてきた佐高 信氏が、その交遊録から、歴史を彩った人々の知られざる一面に光をあてる。 バックナンバー一覧 怒りの炎を燃やし、命がけで生きる 『週刊金曜日』の2016年2月19日号で、むのたけじが八王子市議の佐藤梓と「7

    「憲法をぞうきんのように使え」 101歳の現役ジャーナリスト むのたけじ
    kouchi203
    kouchi203 2016/03/02
    「むのは当時、記者席から反軍演説を見ていた。」 すげえ…
  • 旧暦に「2033年問題」 大安・友引、割り当てられず - 日本経済新聞

    農作業や冠婚葬祭の日程を決める際に現在も使われる旧暦に「2033年問題」が浮上している。日の旧暦は江戸時代の1844年にできた天保暦だが、月名の決め方の問題で33年秋から34年春までが旧暦で何月になるのか確定できず、大安や友引の日も決まらない。旧暦を扱う業界では早くも対応策を打ち出すところも出始めた。旧暦は新月と新月の間(約29.5日)を1カ月と定めている。その月が何月かを決めるのは、冬至や

    旧暦に「2033年問題」 大安・友引、割り当てられず - 日本経済新聞
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 昭和天皇が蒋介石を支持 71年、国連代表権で台湾を後押し:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)

    蒋介石総統率いる中華民国(台湾)政府が国連の代表権を失う直前の一九七一年六月、佐藤栄作首相が米国のマイヤー駐日大使(共に当時)と会談した際、昭和天皇から「日政府がしっかりと蒋介石を支持する」よう促されたと伝えていたことが分かった。秘密指定解除された米国務省の外交文書で判明した。台湾の国連代表権維持への後押しを伝えたものとみられる。天皇の政治問題への関与発言が公になるのは極めて異例だ。 この問題について、日の外交文書にも「陛下が(中国問題を)心配しておられた」というマイヤー大使に対する佐藤首相の発言が記載されている。昭和天皇の発言の背景には、蒋介石が終戦直後に中国に残った日人の引き揚げや天皇制の尊重、対日賠償請求権の放棄など「以徳報怨」(徳をもって恨みに報いる)と呼ばれる寛大な対日政策を取ったことに「恩義」や「信義」を持ち続けていたことがあると思われる。しかし、国連代表権は七一年十月、

    昭和天皇が蒋介石を支持 71年、国連代表権で台湾を後押し:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)
  • 「大正天皇実録」 黒塗りだった記録公開 NHKニュース

    13年前に公開された大正天皇の活動記録、「大正天皇実録」について、宮内庁は個人情報の保護などを理由に一部を黒塗りにした当時の措置を見直し大部分を公開しました。病弱で悲運の天皇として知られる大正天皇の体調や病状、未発表の動静などの詳細が明らかになりました。 一方、去年完成した昭和天皇実録は個人情報にあたるものも可能なかぎり、公開するとして黒塗りは行われず、NHKでは大正天皇実録についても同じ基準で公開するよう申請し、宮内庁は当時の措置を見直して黒塗り部分のおよそ8割を解除しました。 この中には、病弱だった大正天皇が事実上、引退する原因となった発語障害や歩行困難などの体調の異状や、晩年の脳貧血の病状などが詳しく記されている箇所もあります。 また、即位後、元老の山県有朋などの要人と頻繁に会っていたことや、第1次世界大戦について軍の幹部から、たびたび説明を受けていたことなども分かりました。 こうし

  • 「世界遺産的ドライブイン」閉店へ 運転手憩うプレハブ:朝日新聞デジタル

    岡山市南区箕島の国道2号沿いにあるドライブイン「平田事センター」が16日、34年の歴史に幕を下ろす。24時間営業で、学生や運転手の憩いの場。「平(ひらしょく)」の通称で親しまれた。客はセルフ式でカップ酒の空きビンに水を入れて飲み、名物のおでんを夏でも味わえる。かつてゲームセンターも併設された、ユニークな店だった。閉店を知って往時を懐かしむ声がインターネット上にあふれ、「最後にもう一度」と駆けつける人もいる。 国道2号岡山バイパスを岡山市内から倉敷方面に向かう車中、目に飛び込んでくるのは赤い大きな看板に白字で書かれた「24時間営業 平田事センター」。プレハブ平屋建ての屋根は店のPRの看板だらけ。「ご飯が一番おいしい店」「この不況、安いが一番」。かすれて消えそうな文字に哀愁が漂う。 今月7日夜、「平」の店内の客は数えるほどだった。建物と駐車場で計1万3千平方メートルの敷地には大型トラッ

    「世界遺産的ドライブイン」閉店へ 運転手憩うプレハブ:朝日新聞デジタル
  • Yahoo!ニュース - 本多忠勝愛用の名槍・蜻蛉切が11年ぶり展示 佐野美術館で2月15日まで (ねとらぼ)

    多忠勝が愛用した名槍「蜻蛉切」が、静岡県三島市の佐野美術館で2月15日まで展示中です。1月9日から開催されている企画展「ひとの縁は、ものの縁 -初公開の矢部コレクション-」にて。 【そのほかにも矢部氏のさまざまな収蔵品を展示】  戦場で槍を立てていたところ、蜻蛉が穂先に触れて真っ二つになった――という伝説から「蜻蛉切」と名付けられた名槍。徳川四天王の1人、多平八郎忠勝が愛用していたことでも有名で、「天下三名槍」の1つにも数えられています。愛知県の岡崎城にはレプリカが展示されていますが、今回展示されるのは沼津出身の実業家・矢部利雄氏が所蔵していた物。一般に公開されるのは11年ぶりとなります。 企画展ではこのほか、矢部氏が一代で収集したという、日刀、刀装具、漆工、金工、解が、陶芸など約100件のコレクションを展示。入館料は一般1000円、小中高500円。

    Yahoo!ニュース - 本多忠勝愛用の名槍・蜻蛉切が11年ぶり展示 佐野美術館で2月15日まで (ねとらぼ)
  • SmaSTATION-5

    昭和45年11月25日、いまから35年前のきのう、高度成長期の繁栄に沸いていた日人を震撼させる事件が起きました。作家・三島由紀夫の割腹自殺です。この日、三島は仲間の学生4人と共に、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で、総監を人質にとり、立てこもったのです。要求は、「自衛隊員の前での演説」。三島は800人の自衛隊員の前で演説をぶちあげると、自ら腹を斬り、命を絶ちました。この事件直前までは、戦後を代表する大人気作家であり、当時の若者を惹きつけてやまない存在だった三島由紀夫。三島がまだ駆け出しの新進作家だったころから交友があり、芸術家として互いに深く尊敬し合っていたという美輪明宏さんが、文豪三島由紀夫の波乱に満ちた生涯を語ってくれました。 三島由紀夫――名・平岡公威(きみたけ)が生まれたのは大正14年1月14日。父は農商務省の高級官僚、母は有名漢学者の娘という、まさに非の打ち所のない「エリート家

    kouchi203
    kouchi203 2014/12/30
    「そんな三島にも弱点はありました。あれだけ風景描写に優れていながらも、幼い頃、まったく外で遊ばなかったことから、自然に知るはずのものの多くを知らず、大作家となった後、蛙の声を聞いて、「あれは」
  • 兵農分離を行った証拠は実はない

    MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf さて、この前書ききれなかった、何故戦国大名≒「国民国家」萌芽論が戦国史研究者の間では慎重に受け止められているか。 2012-06-27 00:03:31 MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf それは議論の根拠である、北条氏の総動員令にある。たしかに北条氏は、村落に住む15歳~70歳の男子の名簿を作成し、民兵動員をかけている。この際に、「御国に住む者の義務」「御国のため」と唱えられたことが、「国民国家」へとつながっていくという考え。これがひとつの柱。 2012-06-27 00:05:46 MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf ただし、ここには落とし穴がある。北条氏が総動員令を発令したのは、合計2回。一回目は武田信玄の小田原攻め、二回目は豊臣秀吉の小田原攻めである。大名が滅亡しかねないという危機感のも

    兵農分離を行った証拠は実はない
  • 国宝・七支刀が期間限定で登場 奈良の大古事記展:朝日新聞デジタル

    奈良市の県立美術館で開催中の特別展「語り継ぐココロとコトバ 大古事記展」(奈良県、朝日新聞社主催)に25日、石上(いそのかみ)神宮(同県天理市)の国宝「七支刀(しちしとう)」(4世紀)が登場した。11月24日まで約1カ月に限って出品される。 百済(くだら)王が369年に倭王(わおう)に献上したとの説がある鉄剣(長さ約75センチ)で、左右に3ずつの枝刃が段違いに付いている。木の枠にはめられた状態で展示され、表裏に金で象眼(ぞうがん)された銘文61文字を見ることができる。高校で日史を教える京都府福知山市の長谷部寿彦さん(36)は「めったにない機会。古墳時代から大切に守られてきたものが目の前にあることに感動した」と話した。 復元品は常時展示されている。特別展は12月14日まで(休館は11月17、25日、12月1、8日)。一般800円、大学・高校生600円、小中学生400円。問い合わせは美術館

    国宝・七支刀が期間限定で登場 奈良の大古事記展:朝日新聞デジタル
  • 特攻70年:「特攻は日本の恥部、美化は怖い」 保阪正康さんインタビュー | 毎日新聞

    特攻とは何か。特攻隊員たちの遺書が自身の執筆活動の原点というノンフィクション作家、保阪正康さん(74)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】 ◇        ◇ ある元海軍参謀にインタビューをした際、戦時中の個人日誌を読ませてもらったことがあります。特攻隊についての記述があり、「今日もまた、『海軍のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」と記してありました。部外秘の文字も押されて。この元参謀によると、特攻機は離陸した後はずっと、無線機のスイッチをオンにしているそうなんですよ。だから、基地では特攻隊員の“最後の叫び”を聴くことができた。「お母さーん」とか、女性の名前もあったそうです。「大日帝国万歳」というのはほとんどなかった。ところが、そうした通信記録は残っていない。故意に燃やしてしまったに違いありません。“軍神”が「海軍のバカヤロー」と叫ぶ。それは当局にとって、隠蔽(いんぺ

    特攻70年:「特攻は日本の恥部、美化は怖い」 保阪正康さんインタビュー | 毎日新聞
    kouchi203
    kouchi203 2014/10/24
    「ある元海軍参謀にインタビューをした際、戦時中の個人日誌を読ませてもらったことがあります。特攻隊についての記述があり、「今日もまた、『海軍のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」」