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中高層の建物が立ち並ぶ住宅団地の中に、少し変わった空間がある。低層で変わった形の建物とその横にあるベランダをくっつけたような格好のデッキだ。 建物は真上から見ると、Y字のような形をしている。この建物は「星形住宅」あるいは「スターハウス」と呼ばれる住棟だ。1950~1960年代に建設された住宅団地に多く見られ、現在では建てかえが進んで貴重な建築となっている。 また、デッキをよく見ると、ベランダをくっつけたような、ではなく実際にベランダを移設していることがわかる。ただ、何の変哲もないベランダで、なぜここにあるのか、不思議に思う人もいるだろう。 この空間があるのは、東京西郊にある住宅団地「ひばりが丘パークヒルズ」の一角だ。このエリアは、以前「ひばりが丘団地」と呼ばれていた。
さまざまな団地で近年、「再生」に向けた取り組みが行われ、なかには一定の成果を出している事例がある。その1つが大阪府・泉北ニュータウン内にある「茶山台団地」(大阪府堺市南区)だ。 約1000戸で構成されるこの団地は以前、入居者の高齢化や減少が進んでいた。しかし今では子育て世代を中心に入居者が増えており、団地再生の成功事例となっている。 そう言える理由は再生に向けた仕掛け、仕組みづくりはもちろん、それ以上に団地運営に関わる「人づくり」、コミュニティー形成に成果をあげていることだ。 団地暮らしはメリットも多い 高度経済成長期に全国各地で開発され、当時は庶民のあこがれの住まいだった「団地」。国土交通省によると約3000カ所あるとされるが、今や住民の高齢化や入居者減少による過疎化といった問題を抱えているものも多い。 このように書くとなんだか寂しげになってしまうが、実は団地の住環境は決して捨てたもので
568貝塚行は循環線祇園町で千鳥橋方へ進路をとる。画面右は呉服町へ向かう。後方は国鉄博多駅ビルがそびえている。 西新行68は博多大丸を背景に呉服町から貫線に入る。 千代町は貫線と循環線が交差する。手前が循環線千鳥橋方で、2054貝塚行の後方に貫線が横切る。画面右が天神方、左が九大前方である。 城東橋電停は大牟田線の平面交差を挟んで画面手前左に西新方面乗場、電車が停まっている所が渡辺通一丁目方面乗場で離れていた。城南線で体験した鉄道線と軌道線のクロスする重たい音と振動が蘇ってくる。 貫線大手門電停近く。木々の向こうに平和台球場の照明灯が見える。あの西鉄ライオンズはこの時は太平洋クラブ・ライオンズだったかな。 西新は貫線と城南線が合流する。雪でぬかるんだ軌道を連接電車が行く。『北に札幌あれば南に福岡あり、どちらも日本で連接電車を重用した主要都市』は「わが心の路面電車(上)(小林茂著/プレスアイ
山地が多い日本国土を鉄道がクリアするための方法の一つに「スイッチバック」があります。この場所では島根・広島の県境付近の急峻な地形に鉄道を通すことで、周辺地域同士の行き来はもちろん両県両都市の行き来を可能にしました。 駅の標高は564m 出雲坂根駅 出雲坂根駅(いずもさかねえき/島根県奥出雲町) 路線開通・駅開業は昭和12年(1937)11月20日。 八川(やかわ)-備後落合(びんごおちあい) 間の延伸に伴って開業。同区間の開通によって木次線(きすきせん)81.9kmが全通しました。 同年同月同日、第一回プロ野球オールスター戦が開催されています。 同駅は「奥出雲おろち号」の運行において名物であり、ハイライトシーンとなる重要な駅。そのことは沿線自治体が特に心得ているようで、平成22年(2010)に駅舎が新築されました。 出雲坂根駅の位置 出雲坂根駅があるのは前述の通り木次線最後の開通区間。 県
かつてこの駅を経由して都市間を結ぶ列車が中国地方各地から運行され駅は大いに賑わいました。今は山間部の静かな無人駅となった当地が繁栄した名残を探索します。 広く取られた駅構内が、かつての栄華を表しています 各社・各方向の境界駅 備後落合駅(びんごおちあいえき/広島県庄原市) 中国山地を横断する「芸備線(げいびせん/備中神代-広島・158.1km)」に所属する駅であり、三方向の行先が「落ち合う」場所。 実際、 新見…岡山方面→岡山支社 宍道…島根方面→米子支社 庄原…広島方面→広島支社 JR西日本内での三支社に管轄が分かれる境界駅。この地方における交通の拠点だったと言えます。 様々な土地へ流れて行く水たち 足元を流れるのは小鳥原川(ひととばらがわ) 国道183号から駅前橋を渡って駅舎がある方へ進みます。下を流れる小鳥原川はすぐ下で西城川に合流。西へ向かって流れながら三次(みよし)で「江の川(ご
2022.08.25ジパング俱楽部映画『駅 STATION』の舞台、増毛町のロケ地めぐりとグルメを楽しむ! 【モデルコース】 お気に入りに追加 お気に入りを見る JR北海道 絶景 映画・ドラマ モデルコース 会員誌「ジパング倶楽部」9月号特集「名作の舞台になった 鉄道の地へ」で紹介した北海道増毛郡増毛町は、高倉健主演の映画『駅 STATION』の作品の舞台になっただけでなく、数々の作品のロケ地が点在しています。 今回は、『駅 STATION(ステーション)』の印象的な場面の舞台となった「旧増毛駅」を中心に、増毛町の見どころとグルメを案内します。 ※記載のデータは、2022年8月25日現在のものです。 【ジパング倶楽部 入会案内】きっぷの割引、JRホテルグループのホテルを優待料金で利用できるなど、魅力的なサービスが満載! 札幌駅からレンタカーを利用して増毛町へ! 今回は海岸線ドライブが楽しめ
神田川をまたいで架けられた水管橋に思いをはせながら、神田上水の歴史を学んだ前回。今回は、神田川のもう1つの顔ともいえる、外堀に沿って歩きながら、江戸時代の遺構に触れていきたい。道ばたにそびえる石垣など、見どころがいっぱいだ。 1:神田上水取水口大洗堰跡 2:神田上水旧白堀跡 3:巻石通り(神田上水跡) 4:小石川後楽園(神田上水跡) 5:文京ふるさと歴史館(神田上水の石) 6:文京区立本郷給水所公苑(神田上水白堀再現) 7:東京都水道歴史館 8:神田上水掛樋跡 9:江戸城牛込見附跡 10:市ヶ谷門跡 11:江戸歴史散歩コーナー(東京メトロ市ケ谷駅構内) ※散歩時間の目安:昼食休憩を入れておよそ3時間半(取材時)。1~4は前編、5~8は中編、9~11は後編で紹介 1:神田上水取水口大洗堰跡、2:神田上水旧白堀跡、3:巻石通り(神田上水跡)、4:小石川後楽園(神田上水跡)、5:文京ふるさと歴史
ちょっとスカートがずれているのは ご愛嬌で? ピカピカの 全般検査上がりの感じに仕上げてみました・・・・ DCCサウンドで プシュー シュワシュワ????? ピーと汽笛が? 全車両 分解して 乗客を乗せ、床下、屋根をを塗装し 室内灯・・・・・・ 一番手間がかかったのは インレタ、各シール貼???? 全15両・・・・・ 夜汽車の旅には 食堂車での一時・・・・・ウエイトレスが忙しく 動き回り
久保田と西唐津を結ぶ唐津線は筑紫山地の西端に沿って走り、多久と厳木の間に立ちはだかる笹原峠は難所であった。サミット手前の笹原トンネルは石炭輸送の増加を見込んで複線断面で掘られている。 多久を出た下り西唐津行は国道203号線を乗り越すと、笹原トンネルまで19.2‰の上り勾配が続く高さのある築堤を踏みしめて登る。 727レ 唐津線多久~厳木 S48(1973)/8 県庁所在地へ向かう朝の客車編成の輸送力列車は大概の線区ではその日の夕方に折返す場合が多いが、唐津線の場合は西唐津発佐賀行の朝の通勤通学列車は佐賀到着後直ちに折り返して西唐津に戻り、日に1往復の客車列車は午前中で終わりとなる。 パイプ煙突の39659〔唐〕が客車7輛を従えて多久を発車する。緩やかな下り坂を小城、久保田と進み、長崎本線に出て一路佐賀を目指す。下りホームは佐賀発西唐津行朝2番の気動車列車が見える。上り722レ7:19発、下
山本~岸嶽間4.1Kmは時刻表では唐津線の表記であったが、「岸嶽線」や「唐津線岸嶽支線」の呼称の方が分岐線なのでしっくりとくる。石炭産業の盛衰に翻弄され、蒸気動車も走った特異な線区であった。 岸嶽線の気動車を捉えた貴重な写真と出会って感激した。サボは楷書体で駅名電略は「ヤモ」と記されている。サボは運転区所ではなく駅に所属するので山本駅の管理と思われる。キハ30は東唐津の筑肥線管理所の車と思ったが、昭和44(1969)年と48(1973)年の配置表で探すとどちらも直方の記載で驚きであり意外であった。 岸嶽線岸嶽 S45(1970)/7 美しいキハ30が1線だけになった岸嶽に停車している。運用は山本~岸嶽間8往復で、朝最後の仕業は岸嶽発東唐津行で車庫入り、午後再び東唐津発岸嶽行として夕方の仕業に就く。 キハ3024〔門カタ〕 岸嶽線岸嶽 S45(1970)/7 岸嶽駅は明治45(1912)年1
昭島市拝島町から多摩川上流方向へ崖線沿いを歩きます。 現在地付近からは小さな段丘が複数段重なり崖線も複雑になってきます。もはや立川崖線と一意に定まらないので単純に『崖線』を使うことにします。 最初に崖線位置を示した例の地図〈ちょっと改良したつもり版〉を 《地理院地図を使用してカシミール3Dで加工しています》 前回の続きとして、階段部分を崖線が通っている拝島山普明寺大日堂前 最初の地図では中央やや右下の赤まる位置になります。今回はここからスタート。 大日堂の両隣りには普明寺薬師堂、日吉神社本殿が並びます。 その東隣りにある拝島大師(本覚院)など付近の寺院はここ大日堂の子院として建立され、別当寺だったそう。*1 大日堂前から南へ奥多摩街道を渡った次の通りは『日光脇往還』、またの名は八王子千人同心街道。拝島は八王子側最初の宿場でした。 水路の通る民家前に古い大きな木(昭島市拝島町4丁目) 旧街道
今回は寝台列車の頭、「あさかぜ」についてです! ご存知、1956年〜2005年まで運行されていた寝台列車です! 1956〜1958年の約2年間はナハネ10やマロネ40といった旧型客車が使用されていました! 博多方面 1号車 スハニ32 2号車 マロネ40 3号車 マロネ40 4号車 マロネ29 5号車 ナロ10 6号車 オシ17 7号車 ナハネ10 8号車 ナハネ10 9号車 ナハネ10 10号車 ナハ10 11号車 ナハフ10 これは、20系に置き換えられる直前の編成です! 「ロ」が4両も入ってますね! さすが、寝台特急の頂点です!! 20系時代の「ロ」は1両〜5両時代といろいろな編成がありますが、割愛させて頂きます! 1987年国鉄がJRになり、編成も1,4号はJR東日本担当、2,3号はJR西日本担当になりました! 1,4号は1987年にグレードアップ(全車金帯化)さ
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