「あさかぜ」といえば、最初に20系寝台客車が導入された列車であり、同時に最後まで20系客車が使用された寝台特急列車でした。 私は既に定期運用からは離脱して、臨時列車「あさかぜ51/52号(のちにあさかぜ81/82号)」として運用されていた時代しかしりませんが、14系や24系と比べて「優雅だなぁ」とデザインに見入っていた記憶があります。 写真:あさかぜ82号(1987年8月 東京駅) この時は既に品川に20系の姿はなく、下関の20系を用いた臨時列車だったと思います。牽引機も下関のEF65PFだったかと。 当時はカマの撮影に凝っていて、普段目にすることの無い ”関ガマ” が来るからと、臨時あさかぜを撮影ました。 さて、話がそれましたが、一番長く20系車両で運行されてきた寝台特急「あさかぜ」の編成履歴を見てゆきたいと思います。 20系「あさかぜ」は昭和33年に誕生します。 当時は姫路までEF58
れきてつ ブルトレから鈍行列車まで、小さなエピソードでつづる鉄道の歴史。 九州・山口を中心にベテラン車両たちの「今」も紹介します。 JR東京駅の東北新幹線ホームは在来線の東海道線に隣接し、ちょっと高い位置にあります。ブルートレインが健在の頃は、到着・発車・機回しなどを眺めることができました。 私も1993年6月、仙台方面に向かう「やまびこ」の入線を待っているときに見ることができました。ちょうど下関からの寝台特急「あさかぜ2号」が到着していて、品川運転所に回送されるところでした。 待機線から10番線に入るEF65 1101。同機はJR貨物に移籍後に2101号機に改番されましたが、現在も活躍しています 東北新幹線12番線(現22番線)ホームから見た、10番線のあさかぜ2号。この日は電源車カニ24形が入る通常タイプの編成でした あさかぜ2号の24系に連結されたEF65 1101。「回12レ」とし
れきてつ ブルトレから鈍行列車まで、小さなエピソードでつづる鉄道の歴史。 九州・山口を中心にベテラン車両たちの「今」も紹介します。 2002年8月31日から9月4日にかけて、寝台特急「あさかぜ」(東京ー下関)のけん引を、当時「出雲」や寝台急行「銀河」で活躍し大阪以西には入線しなかったEF65 1113が代走しました。 「あさかぜ」のヘッドマークを誇らしげに下関駅で発車を待つ1113号機。この頃は窓周りのHゴムの黒色化が進んでいましたが同機は原型を保っていて、九州ブルートレインで活躍した昭和50年代の東京機関区時代のような雰囲気でした 当時東海道・山陽本線を走っていた「富士」「さくら・はやぶさ」「あさかぜ」の所定のけん引機はEF66形でしたが、東京・品川の車両基地に予備機を置いていなかったため、不具合が起きたときは田端(品川常駐)のEF65PF形がピンチランナーを務めました。 1113号機が
2023年3月31日、多くの人に惜しまれながらJR留萌本線・留萌ー石狩沼田間が廃止されました。終点・留萌駅はどうなったのでしょうか? 廃線前・2022年夏に訪問した時の模様と、廃線後・2023年4月30日の状況を比較してみました。 なお廃止前の留萌駅については下記動画でも取り上げています。外国人向けに英語字幕付きですが、You Tubeの字幕機能をONにすれば日本語字幕が出ます。 1.駅舎は立入禁止!駅名は外され…廃止前2022年8月に留萌駅を訪問した時です。 廃止前の留萌駅舎写真中央に注目して次をご覧ください。 廃止後4月30日に駅舎はまだあったものの、やはり一部違いました。 旧留萌本線・留萌駅舎まず1か所目、JR留萌駅の文字がありません。廃止直後に、駅舎の壁にあった駅名標は外されました(北海道新聞記事・外部リンク)。 JR留萌駅の駅名標跡そして2カ所目、駅舎内に入る事は出来ません。 J
「なぜいまさら大井川鉄道?」 鉄道好きな人ならそう思うだろう。 私鉄ローカル線においてトップに君臨するような路線だし、「関東に住んでいて未だに乗ったことないのか?」と。 なんとなくね、乗りたくなかったんですよ。 大井川鉄道は蒸気機関車が現役で走っているので、鉄道マニアだけではなく家族連れにも大人気なんだけど、この鉄道マニアとファミリーの大集団がマジで嫌なのよ。 どこへ旅に出るにも、人が多いところには絶対に行きたくない。 ディズニーランドなんて行ったら卒倒するし、コミケなんて絶対に気持ち悪くなる。 性格がスキゾイド障害に近いところがあるので、精神衛生的に無理なんだよね。 今の大井川鉄道(2022/04現在)は、コロナ禍ということもありSLもELも走っていない。要するに、一眼レフを持って群れてる鉄道マニアもいないし、ギャーギャーうるさい家族連れもいない。最高じゃないか。大井川の大自然を孤独に列
中央線各駅停車の旅『旧万世橋駅④』万世橋駅ジオラマ Chuo Line a trip that stops at each station "Former Manseibashi Station"Diorama photoⒸarashi いつもご覧いただき、ありがとうございます! ランキングに参加しておりますので下記バナーをクリックいただければ幸いです。できましたら上から3つ、お手すきであればその下も応援どうぞよろしくお願いいたします。 Please click on the banner below to increase my rank. ランキング参加中写真・カメラ ランキング参加中旅行 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中アクセスの輪 ランキング参加中はてブロ みんな初めは超初心者ですよ!支えあおう会^^(長いw) ランキング参加中はてなブログ同盟!初心者歓迎・なんでもOK!日記
ブルートレインと現役寝台特急 ブルートレインとは 一般には、1958年(昭和33年)に登場した国鉄20系客車以降の、青い車体色で特徴付けられた固定編成専用客車を使用した寝台特急列車を指す。(「あさかぜ」などといった「列車愛称」とは異なる、包括的な列車の愛称)。ブルトレとも略称される。その創始は、同年10月に車両が一般型客車から20系に置き換えられた「あさかぜ」である。 「あさかぜ」以降の20系、14系14形・15形寝台車、24系24形・25形で編成される寝台列車がこの名で呼ばれる。 (Wikipediaより引用)
いまどきの長距離の列車旅はイベント列車を除いて一般の人が利用できるような食堂車はなくなり、弁当の車内販売さえも無くなりつつあります。 昔は食堂車に加え車内販売や駅弁など、車内での食事も旅の楽しみであったのですが寂しい限りです。 そんな旅の楽しみ食堂車を模型で振り返ってみようと思います。 KATO マシ35 (品番513-3) ブルー 「つばめ」「はと」用の食堂車として昭和26年に登場。改造車含め全5両。 車体幅が従来客車と同じなので、座席配置は1列と2列で定員30名です。 その後に「はつかり」として運用されるが、後に急行列車用となり北海道に渡り「まりも」などで活躍。 有名な割には製造両数も少なく1両も保存されなかったのは意外というか仕方ないというか。 マシ35よりも古いスシ28が京都鉄道博物館に保存されているのですが・・・ マシ35は一応スハ43系の一員らしいですね。私は実車を見たことがあ
どうも~(^^)/ 本日はこちら↓↓↓の車両です お題でバレバレですね(^^)/ 横濱模型所属の展望車をちょっこりご紹介です。 マイテ49単品514-1や5014-1からセットまでにも入っていました。 当時はテールランプの付くものは限られていました。このマイテ49も点灯しないです。 室内灯は搭載できるようになっていますが、なんせバラスのが面倒で(;^_^A こちらは10-100 C62・スハ44系旧特急形客車セットに付属するマイテ49です。もう何年も前に柱が折れたついでに加工してみました。なんとも言えない雑な処理です(;^_^A 手すりをぶどう色で色差しを行い、テールライトは当時発売されたマッハ模型の極小LEDを使って点灯化しています。残念なことにトレインマークまでは点灯化していないというお粗末さ。 こちらは10-390 スハ44系7両基本セットのマイテ49です。どれも同じですね。 こちら
1958(昭和33)年に活躍したブルートレインって? 1958(昭和33)年10月1日、颯爽とデビューした20系ブルートレイン。一世を風靡した20系客車の歴史にスポットを当てて紹介します。 列車の愛称とは? 日本全国の鉄道には、愛称が付けられている列車が数多くあります。今では当たり前のような列車の愛称ですが、そのルーツは東海道本線の特急列車にあります。関東大震災以後の経済不況の中で利用客が減少していた国鉄(当時は鉄道省)では、1929(昭和4)年9月に列車利用のPRも兼ねて東京〜下関間の特別急行1・2・3・4列車に愛称を付けることをしました。 愛称は広く一般から公募され、「富士」「燕(つばめ)」「櫻」「旭」「隼(はやぶさ)」「鳩」「大和」「鴎(かもめ)」「千鳥」「疾風」の順位で愛称候補が出揃いました。1・2等特別急行列車には1位の「富士」、2・3等特別急行列車には3位の「櫻」が付けられまし
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