フォトグラファー、Sanna Dullaway氏が歴史に名を刻んだ人物、そして歴史的に忘れることのできない出来事を写したモノクロ写真を完全カラー化するというアートプロジェクト作品「Classic Restoration」の画像がいくつか紹介されていた。 過去の記憶は写真の風化と共に色あせていくものだが、それをカラー化することで逆に鮮明に蘇ってくるのかもしれない。
2011年05月08日04:24 幕末~明治の変化は異常。たった数年前までちょんまげだった奴が洋服着てるとかすごすぎる Tweet 1:名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/05/07(土) 13:41:16.10 ID:8H2ZJiXV0● 幕末から明治にかけて日本の近代化に貢献した上郡町出身の 大鳥圭介(1832~1911)の没後100年を記念して、同町は4日、 町生涯学習支援センター大ホールで記念講演とアニメ完成披露会を開いた。 町民約400人が集まって郷土が生んだ偉人の生涯に思いをはせた。 http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000001105060001 2:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/05/07(土) 13:42:28.69 ID:vFZ7Q9WB0 牛肉うめえ 126:名無しさん@涙目で
「発明の世紀」:新製品宣伝ポスターのギャラリー 2011年2月25日 サイエンス・テクノロジーデザイン コメント: トラックバック (0) 最先端の発明品の100年を覗いてみたいなら、20世紀の広告を集めたこのギャラリーを見てみるといい。自転車や電車、ラジオなどといった、われわれが今日、当然だと思っている製品が、かつては、大胆で芸術的な広告宣伝が必要なほど奇妙で素晴らしいものだったことがわかる。 これらのポスターは『International Vintage Poster Dealers Association』によって開催される展示会に出展されるもので、配管設備から『iPod』まで、大きな技術変化を経験した20世紀を見せてくれる。また、デザインの傾向の変化も垣間見ることができる。胸をあらわにした美女たちが殺風景な抽象画に取って代わられ、それが人目を引くカラー写真に変わり、さらに原色のシル
温故知新-古きをたずね新しさを知る。ということで今日ある日本も昔歩いてきた道があったからなわけで、敗戦後、高度成長期を迎えながら今日に至る日本の軌跡を振り返ってみるのもたまにはいいんじゃないかと思うんだ。 写真は海外の「日本の記憶(古き日本)」という画像投降掲示板に投降されていたもので、写真が撮影された年代等は一切書いていなかったのでわからないんだけれど、その写真から何年ごろ撮影されたものなのかを推測するのもいいかもしれないね。歴史が繰り返されるというのであれば、日本の歩んできた道を、今他の国が新たに歩み始めているとも考えられるしね。 ソース:Japanese Memories (Old Japan) - SkyscraperCity ■1. ■2. ■3. ■4. ■5. ■6. ■7. ■8. ■9. ■10. ■11. ■12. ■13. ■14. ■15. ■16. ■17. ■1
2011年12月01日00:00 by hineri その記事は既に無いんよ。 カテゴリ雑記 今このページを見てるって事は、君は旧ひろぶろの記事を閲覧しようとしてここへ来たんだね。 でもその記事はもう無いんだ。 詳しくはこのブログの「このサイトについて」の所に書いてあるけど、 今“この”サイトを管理している「僕」は初代管理人じゃない。 で、君がどんな記事を見ようとしたのかわからないけど、 その記事は管理人が代替わりする時に消えちゃったってわけ。 正直言って「僕」にもよく分からないんだよ。 どこまでが運命で どこからが選んだ人生なのか まさか「僕」が「ひろぶろ」の管理人になるとはね…。 フフフッ でもまあ、今は「僕」が、面白おかしくもちょっと怖い動画とかをさ、 毎日新しく頑張って更新してるから、是非このブログのTOPへ行って、 最新のオモシロ動画、ネタ動画を閲覧してみてちょ。 だって君は本当
幻惑させる不思議なデザイン…世界大戦時の艦船に使われた「ダズル迷彩」とは この目が痛くなるようなストライプ模様の艦船は、「ダズル迷彩」または「幻惑迷彩」と呼ばれ、第一次世界大戦時によく見られたものだそうです。 通常の迷彩は敵から目立たなくするものですが、目視の距離計による砲撃が主体だった当時、敵からの艦種、規模、速度、進行方向などの把握を困難にさせる目的で採用されました。 ダズル迷彩を発案したイギリス軍人で画家のノーマン・ウィルキンソン氏。 こちらは1919年にイギリスの画家エドワード・ワズワースによって複雑な幾何学模様が描かれたダズル迷彩の絵。 潜水艦は敵艦の進行方向や速度を予測して攻撃するため、艦船の姿形を相手に見誤らせる効果を狙ったこの手法が有効だとして採用されました。 イギリス海軍空母アーガス(1918年) 第一次世界大戦で旅客船から輸送艦に改装された際に、ダズル迷彩を施されたエン
Year: ~1987 music at the end is the theme from siberiade by Eduard Artemyev translation: Turn on the red light. There's a paper, there's pincers. In the depths of empty sheet, a clumsy and slightly heavy Reappears the old photo apparatus. 0:24 Some time ago, this photo was taken by it. The time has left it's tracks on it. The scratches and the cracks. But what if to try to remo
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 18:56:16.41ID:0OzKJSRj0 俺のデジカメより高解像度・・・ 4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 19:00:10.93ID:0OzKJSRj0 記事元 http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100823_russia_in_color/ この写真を撮影したのは、ロシア帝国時代の写真家・セルゲイ・プロクジン=ゴルスキー(1863~1944)。 カラーフィルムが発明される以前に撮影されたということが信じられないほど 色鮮やかな景色がそこには収められています。 6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 19:04:58.17ID:qQ3CUDdk0 すっげー 3
風通しのよい心と体を呼び覚ます美しい建築...が好きな人が来る場所じゃないですね。 これは、米誌ライフが世界で初めて掲載したヒトラー新総統官邸の地下壕の居住区です。ケバケバと高圧的空気がどんより篭る内装はただただ陰惨。嫌悪感がこみ上げるだけです。 撮ったのは、あの写真家集団「マグナム・フォト」創立にも手を貸した報道写真家ウィリアム・ヴァンディヴァート(William Vandivert)氏。暴徒化した民衆が押し入って調度品を根こそぎ持ち去る直前に間一髪押さえたショットだそうですよ。 これらの写真は真っ暗な暗がりで蝋燭の灯りだけを頼りに撮ったものだ。電気が点く部屋は2部屋だけで、我々がいた時には全くライトがなかったので。仲間4人の小さな集団で誰もこないうちに潜入、他の暴徒より到着が約40分早かった。 氏の写真ルポルタージュには「史上初公開のドクロの記章入りナチス親衛隊の帽子」なんてのもありま
産まれる前の世界ですから。 1909年、今から約100年も前、フランスのとある裕福な銀行家Albert Kahn氏は地球上の人々の生活を写真で記録しようとチームを結成しました。Kahn氏のチームはカラー写真の原点であるオートクローム写真を7万2千枚も撮影。撮影した国は50カ国以上。現存する最も大きな初期カラー写真のコレクションだと言えます。 最近になって「Albert Kahnの素晴らしき世界(The Wonderful World of Albert Kahn)」と題してKahn氏自身と彼の壮大なプロジェクトについてBBCが9回シリーズで放送しています。 Kahn氏が写真に興味を持ったきっかけは日本への旅行だそうです。それから Kahn氏は世界のあらゆる所へと彼のチームをオートクロームカメラ(簡単にカラー写真がとれる初のカメラ)と共に送り込んでいったのです。日本人としてはうれしいですね、
Pussycar。かわいいな、乗りたいな。しかし、1970年のパリの街で人々の視線を釘付けにしたということ以外、詳細がわかりません! むむむ! なんでもフランスで広告の天才と言われたJean Pierre Ponthieu氏が何かのプロモーション用に制作したとか。「2000年の車」とか「平凡でつまらない世界で、美しく珍しい物の作り方を知らなければ!」等々キャッチコピーが並んでます。 後輪のみではしるウィリー走行。250ccのシングルシリンダーエンジン搭載。走行スピードは亀並み。でも見た目は本当にかわいいです! それにしても2000年の車か。こんなコロっとしたかわいい車(しかも亀並みじゃない)にのれる日はくるのでしょうか? [Microcarfan via Martin Klasch] Wes Siler(原文/そうこ)
小さな頃に撮った思い出の場所が今どうなっているのか…実際に行ってみた比較写真 生まれ故郷というものは特別なものですが、人生の事情よって遠く離れてしまった人ならば、望郷の念はいっそう大きなものとなります。 子ども時代にアイルランドからオーストラリアへと引っ越した経歴を持つ男性が、子ども時代に撮った写真の場所へ行き、今現在と見比べてみたそうです。 タイムスリップでもした気分になる、自分のルーツ探しの旅をご覧ください。 こちらが現在37歳になるケイス・ウッズさん。 約40年前にアイルランドで、ウッズさんの両親が挙式したときの写真。 ウッズさんの姉が洗礼を受けた時のもの。 ウッズさんとお母さん。 ウッズさんとお父さん。 病院の前の階段に座っているのはウッズさんではなく、お姉さん。 坂道を駆け上がるウッズさん。そろそろ記憶に残っている頃かもしれませんね。 新年の記念撮影。 家族4人で。姉の聖餐式のと
ロシア、東シベリアにあるバイカル湖付近のイルクーツクには、老朽化したものの、今でも美しいたたずまいを見せている古き良き時代の木造建築の家々が立ち並んでいるそうだ。 そんな美しい木造建築の家を、アマチュアのカメラマンがHDR撮影した写真の数々がこれらなんだそうだ。
■編集元:ニュース速報板より「ヒトラーのカラー写真、初公開」 1 プリムラ・ラウレンチアナ(catv?) :2009/06/08(月) 22:19:54.70 ID:IcCv+s8g ?PLT(12001) ポイント特典 私人としてのヒトラーが写されている写真が初公開されました。 カラー写真のコレクションはヒューゴ氏のもので、彼は1936年から1945年までヒトラー専属の写真家で終戦まで皮のスーツケースに隠し、一度ミュンヘンの自宅でアメリカ軍に見つかりましたが、兵士達はコニャックの方に興味があったそうです。 1938年の写真 1938年イギリス首相、ネヴィルチェンバレン(右からに番目)との写真 1938年 ミュンヘンでの写真 1938年 ミュンヘンにてミュンヘン一揆15周年を記念して 1939年 ベルリン国際モーターショー 1939年 ユリウス、シャウブ。ヒトラーの執事で
1880年代といえばまだほとんどの西洋人は日本に自由に入国することができなかった時代ですが、明治時代初期の1873年に来日したイタリア人アドルフォ・ファルサーリは横浜に写真スタジオを開き、在留外国人と外国人旅行者に土産として販売するために数多くの写真を撮影しました。 熟練の職人によって1枚ずつ手作業で彩色された写真は幻想的な雰囲気を帯び、当時は生まれてもいなかった現代の日本人が見ても不思議とノスタルジーを感じるものとなっています。 詳細は以下から。Adolfo Farsari – The Man Who Shot Old Japan | Quazen 写真は当時の日本人にとっては非常に高価だったため購入者のほとんどは外国人で、観光客にアピールするような主題が選ばれています。 Image Credit ファルサーリも自分の写真を芸術としてではなくビジネスととらえていたようで、撮影された人々の
最終的には300万人近い兵員がドーバー海峡を渡ってフランス・コタンタン半島のノルマンディーに上陸した史上最大の上陸作戦、ノルマンディー上陸作戦はナチス・ドイツによって占領された西ヨーロッパへの侵攻作戦。 これらの写真は、ノルマンディー上陸作戦時にコタンタン半島のノルマンディーの海岸線に沿って作られた1500個あまりの掩蔽壕 ( えんぺいごう)や軍施設の一部で、現在も尚、この地にたたずんでいるという。 【The Frightening Beauty of Bunkers】 掩蔽壕 ( えんぺいごう) は鉄筋や強化コンクリートによる分厚い装甲をもった、もしくは地下や山を掘りぬいて作られた軍事建造物。 非常に頑丈にできており、通常の爆弾や砲弾では破壊することはできず、爆撃から航空機や人間を守る。 天文台の上の鉄のキューポラ教会鐘楼として覆い隠された観測塔 北海のシェルター 重砲用ファサード ドー
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