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まちと歴史に関するmukunokiy0725のブックマーク (13)

  • 奥沢線(新奥沢線)死亡公告

    以前にも記したように、古い官報を読み漁っている日々が続いているが、今回は当blogでも何度も採り上げている池上電気鉄道奥沢線(新奥沢線)の死亡公告とも言うべき、1935年(昭和10年)11月30日付け官報に掲載された記事を紹介する。 以下に書き起こせば(漢字は現在のものに置き換え)、 鉄道一部運輸営業廃止実施 年九月十九日目黒蒲田電鉄株式会社ニ対シ雪ヶ谷、新奥沢間鉄道運輸営業廃止ノ件許可セル処 月一日之ヲ実施セル旨届出アリタリ(鉄道省) という何ともあっさりとした記事だが、必要十分な内容は持っている。既に池上電気鉄道は目黒蒲田電鉄に合併されており、廃止申請は目黒蒲田電鉄が行ったわけだが、廃止許可後、およそ1か月半弱で廃止したのは当時としては長かったのか短かったのか、はたまた妥当だったのか…。 といったところで、今回はここまで。

    奥沢線(新奥沢線)死亡公告
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    mukunokiy0725 2014/08/04
    奥沢から雪谷大塚に鉄道が通っていたのか。奥沢駅から南に行く道沿いだったのだろうか
  • 白水社 :連載・エッセイ 今尾恵介「鉄道王国の歩み」 第5回 東京急行電鉄(2)

    執筆者プロフィール ●震災後に広まった「郊外志向」 大正12年(1923)9月1日。折悪しくちょうど昼時に南関東を襲った巨大な地震により、昼餉のための火は各地で燃え広がり、都市部の密集市街地を焼き尽くす最悪の事態を引き起こした。その結果は東京市での10万人を超える犠牲者数である。まさに「地獄絵」を目の当たりにして逃げ延びた多くの市民にとって、安全のために郊外に住みたいという意識は切実なものだったに違いない。 東急のルーツにあたる田園都市株式会社は、もちろんこの震災を受けて会社を立ち上げたわけではなく、それ以前から大都市で働く中流勤労者の理想的な居住地としての郊外住宅地─田園都市を提唱し、それは着実に評価を得ていた。その住宅地と都心を結ぶための足として建設されたのが、田園都市の子会社・目黒蒲田電鉄(現東急目黒線・多摩川線・大井町線の前身)である。その最初の路線が開通したのは震災の半年前に

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    mukunokiy0725 2014/08/04
    馬込といっても千束や大岡山の方だが大正期の地図が引用されていて見入ってしまった
  • 江戸時代の道 第8回|品川区

    品川区内に建立された道標のなかで「奥沢九品仏道」とか「おくさハ」と刻まれているものが西大井一丁目と中延五丁目の2ヵ所にあります。 「奥沢九品仏」は、世田谷区奥沢7丁目にある、敷地面積3万6千坪(12万平方メートル)にもおよぶ浄真寺のことです。 この寺の境内一帯には、戦国時代、奥沢城が築かれていましたが、その後、廃城となり、今から330年ほど前の延宝6年(1678)に、珂碩上人により、浄土宗の浄真寺が創建されました。 境内には、身の丈1丈6尺の9体の阿弥陀如来坐像(像の高さは2m80cm)が中品堂・上品堂および下品堂と、3つの仏堂に安置されています。 そこから、一般には「九品仏」と呼ばれています。 ここで、文政10年(1827)に始まったといわれる浄真寺の「お面かぶり」の行事を紹介しましょう。 この行事は、正しくは「二十五菩薩来迎会」といい、3年に1度おこなわれています。 25人の信者が地蔵

  • 朝ドラ「ごちそうさん」で描かれた大阪大空襲・救援電車の真実 - エキサイトニュース

    NHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」の今週火曜(3月4日)放送の第128回では、大阪大空襲のさなか、ヒロイン・め以子(杏)たちが地下鉄の心斎橋駅構内に逃げこみ、さらにはホームに入ってきた電車に乗ってより安全な梅田方面へ避難するという場面があった。そもそもめ以子が地下鉄駅に避難したのは、夫で大阪市職員として地下鉄建設にかかわった悠太郎(東出昌大)から渡された手紙に「地下鉄に逃げれば安全だ」と書かれていたからだ。 このエピソードは、実話にもとづくものである。1945年3月13日夜から翌日未明にかけての米軍による大阪大空襲(第1次)の際、街が火に包まれるなか、大阪市営地下鉄の心斎橋駅に避難してきた人々を救うべく、電車が梅田方面や天王寺方面へ運行されたというのだ。 もっとも、空襲下に地下鉄を走った救援電車について公式な記録は一切残っていない。というのも、戦時中の地下鉄は軍事輸送に使われることも多

    朝ドラ「ごちそうさん」で描かれた大阪大空襲・救援電車の真実 - エキサイトニュース
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    mukunokiy0725 2014/03/07
    久しぶりに大阪というまちを見直した
  • 山口新聞/ニュース

    萩市明木の明木マルチメディアセンターで30日、明木地区の恩人とされる2人の功績をたたえる「彦六・又十郎四百年祭~思いやりの里 明木のキズナ」が開かれた。同祭実行委員会の主催。 恩人とは約400年前、明木の里から萩城の築城に駆り出された石工の「古泉場の彦六」と「菅蓋の又十郎」の青年2人。ともに怪力で、その働きぶりが認められ、藩公から褒美をもらうことになるが、2人は明木の住民全員に対する口屋銭(税金)の免除を願い出て認められたという。 明木地区では2人の石碑が建てられ、毎年4月に感謝の法要が行われているが、感謝の祭りは350年祭に次いで50年ぶり。約1年半前から準備を進めてきた実行委員会の児玉勝利委員長は「地域の皆さんのおかげで今日を迎えることができた。2人も喜んでいるでしょう」とあいさつした。

    山口新聞/ニュース
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    mukunokiy0725 2014/01/06
    明木(あきらぎ)をさっき車で通ったらあっちこっちに「明木の恩人 彦六と又十郎」という幟が立ってるので調べた。萩城築城で抜きん出た功績のあった二人、個人への褒美の代わりに明木の税金免除を願い出て認められ
  • 守本利雄_中央区内散歩バックナンバー

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    mukunokiy0725 2013/04/16
    引き続き東京湾の水上生活者について。水上学校についての歴史。
  • 守本利雄_中央区内散歩バックナンバー

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    mukunokiy0725 2013/04/16
    これも水上生活者について調べていて。月島が水上生活者の拠点の一つであったことについて言及がある。紹介されている石井昭示さんの『水上学校の昭和史』は読もう。
  • 豊かだった東京湾  はじめまして - マッチ箱とスタンプ

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    mukunokiy0725 2013/04/16
    家船が昭和七年に絵葉書になってるってのは、陸のひとからは別の文化だとみられていたのだろうか。勝手に家の写真を撮られているようなものだが。
  • 新明解言葉辞典・第3版 東京物語─水上署と水上生活者

    やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける──日の歌が人の心を種として、たくさんの言葉となって表れたように、言葉には人の思いが沁み込んでいる 7/2「東京物語─お台場が埋立地だった頃」にも書いたが、来春、臨海地区に、「踊る大捜査線」で有名になった湾岸署、正式には東京湾岸署がオープンするそうだ。 そして入れ替わりに、竹芝にある水上署が廃止になる・・・ちょっと寂しい。 水上警察署というのは、東京港沿岸部や河川といった水上の警察業務のために1879年(明治12年)に発足した、警視庁に101ある警察署の中でも異色の存在だ。水上署は警備艇を持っている・・・ 水上警察署のホームページを見ると、日の出埠頭、豊洲運河脇、羽田の運河脇、隅田川の両国橋のたもと、中川の船堀橋の下流に、水上を担当する5つの派出所がある。もちろん派出所自体は陸上にある。 また港区から大田区に至る沿岸部の埋立地に8つ

    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2013/04/16
    東京湾の水上生活者について。湾岸署が出来たときは近くに仕事場があったが、水上署の事は知らなかった。
  • 大森捕虜収容所(1) | 大田区・大森

    証言・大森捕虜収容所: 06年夏・平和島から/1 作家・小関智弘さん /東京 ◇“大豆コーヒー”の記憶 ◇いたわり打ち砕くムチ 大田区の平和島競艇場は開催日、モーターボートが水面を水しぶきを上げながら滑走する。3万2000人収容の観客スタンドが巨大な軍艦のように横たわる。 レジャーランドとして名高い東京湾岸の平和島は太平洋戦争当時、名もない人工島だった。 □   □ 「大森収容所はあのスタンド付近に……」。作家の小関智弘さん(73)=同区山王3=が指さした。代表作に『大森界隈(かいわい)職人往来』がある小関さんは大田区で育った。「作業に出てきた捕虜のことをよく覚えています」 1944年、小関さんは国民学校(現小学校)6年だった。 そこには関東甲信越を管轄する連合軍捕虜収容所の部があった。正しくは「東京俘虜(ふりょ)収容所所」という。京浜運河開削に伴う土砂を埋め立てた人工島に43年7月開

    大森捕虜収容所(1) | 大田区・大森
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    mukunokiy0725 2012/06/07
    小関智弘さんの『大森界隈職人往来』、以前チェックだけして忘れていた。図書館で探してみよう。
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    mukunokiy0725 2012/05/22
    豊平文庫で青空文庫の『伊沢蘭軒』を読んでて。真光寺について出てきたので調べてたら目を惹かれた
  • 大井海岸三業地の成り立ちと歴史

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    mukunokiy0725 2012/05/12
    まつ乃家さんのサイトにある記事。勉強になります。
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    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2011/05/27
    雑誌『温故』のWeb復刻がいつの間にか進んでる。椋家から古文書を研究会にお貸ししたのだが、その後行方不明になっている。若干の成果物がこの中に。
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