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若き日の、作家、太宰治が文壇の重鎮、佐藤春夫に宛てて書いた手紙が新たに見つかりました。自分の作品を芥川賞に選ぶよう懇願するなどの内容で、当時の心境を物語る資料として注目されています。 このうち、昭和10年6月の日付があるものは初めて送った手紙とみられ、佐藤から作品の評価を伝え聞いた太宰は「うつかり気をゆるめたらバンザイが口から出さうで、たまらないのです」と喜びをつづっています。 また、昭和11年1月の手紙は長さ4メートル余りの巻紙にしたためられています。前の年に行われた芥川賞の最初の選考会で作品が候補になったものの選ばれず、手紙には「こんどの芥川賞も私のまへを素通りするやうでございましたなら、私は再び五里霧中にさまよはなければなりません」「私を忘れないで下さい」「いのちをおまかせ申しあげます」と自分の作品を選ぶよう懇願する内容になっています。 太宰治が芥川賞の選考委員に受賞を懇願する手紙や
ところで、芸術と倫理のあいだの相克というこの問題については、暴力についで性の領域についても見ておく必要があることは、いうまでもありません。この領域においては、芸術はたえずスキャンダルを巻きおこしては、倫理の顰蹙を買いつづけてきました。 今回からの記事で取り扱いたいのは、20世紀のアメリカで活躍したロシア人作家、ウラジーミル・ナボコフの傑作『ロリータ』です。最初に、この小説の作者であるナボコフについて、少しだけ解説を加えておくことにしましょう。 ソビエト連邦を生みだした革命により、ロシア貴族の家庭に生まれたナボコフが大西洋を越えてアメリカへと亡命せざるをえなかったことは、彼自身にとっては不幸なことでしたが、ひょっとするとこのことは、芸術の歴史にとってはまたとない僥倖であったといえるかもしれません。この人は、本来ならばあのマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』のような小説を書いていたかも
この内容で2000円は安かった! こんにちは。電子書籍のレビューサイトを運営していますカグア!です。 本日は、セルフ出版など個人や独立作家さんを応援する団体である日本独立作家同盟が主催するセミナーに参加してきました。 >>日本独立作家同盟: 同盟について 定期的にこういったセミナーを開催するとのことで、その第一回が開催。はえある最初の登壇者はセルフ出版の草分け・藤井太洋さんです。作品作りやプロモーションなど、コンテンツをビジネスにしていくエッセンスやヒントが満載でしたので、レポートします。 関連記事 >>文章力を上げるオススメの書籍11冊 セミナー会場はすごくキレイで素敵でした 2015年5月16日、渋谷駅から徒歩10分くらいの場所にあるHDEさんで行われました。HDEさんはクラウドセキュリティで有名な会社さんです。首都高すぐわきのグラスシティというビルの中なのですが、アクセスはすごくいい
1998年7月4日に開業した東京・下北沢の書店「フィクショネス」を、2014年7月22日に閉店しました。本当は開業と同じ7月4日に閉店したらきっちりしてていいと思ったのですが、閉店の腹を決めたのがひと月前で、それまで十数年続けてくれた詩人カワグチタケシの「詩の教室」(毎月第3日曜日)をしっかり終えて貰うため、この日を終業日としました。 「人のいうことを聞きたくない」 「フィクショネス」を開くまでの僕は鬱屈したサラリーマンでした。横浜のポルタという地下街に今もある書店から始まって、書店中心に職場を二、三度変えました。自分は小説家であるはずなのに、なんでこんなことやってるんだと思いながら毎日満員電車に乗っていました。その鬱屈は、結果サラリーマン生活を放り出して「フィクショネス」を開いてしまった程度には、度外れたものだったと思います。貯金も保険もつぎ込んで、親からお金も借りました。 ですから心情
ブログで稼ぎたいので、アフィリエイト小説を書いてみた ブログでお金を稼ぎたいので、小説とアフィリエイト広告のマッシュアップ「アフィリエイト小説」に挑戦してみた結果、名作が台無しになりました。暇な時にお読みください。 アフィリエイト小説『走れメロス』 メロスは激怒した。 「怒らない体」のつくり方――自律神経を整えるイライラ解消プログラム 作者: 小林弘幸 出版社/メーカー: 祥伝社 発売日: 2014/03/14 メディア: 単行本 この商品を含むブログを見る 必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。 いまさら聞けない 実用四字熟語辞典 作者: ISMPublishingLab. 出版社/メーカー: イズムインターナショナル 発売日: 2013/11/18 メディア: Kindle版 この商品を含むブログを見る メロスには政治がわからぬ。 ドラえもんの社会科おもしろ攻略 政治の
はじめに 私は、愛媛県松山市に在住しています。 これまでに『三島由紀夫と刺青』『三島由紀夫と橋家』『三島文学に先駆けた橋健行』『三島由紀夫のトポフィリア』『三島由紀夫と神風連』などの研究論文を、鼎書房が刊行する「三島由紀夫研究」に発表するとともに、エッセイや小説などを手がけてきました。 また、この六月に拙論を二つ発表しました。 一つは、「三島由紀夫と神風連――『奔馬』の背景を探る」で、「三島由紀夫・鏡子の家 三島由紀夫研究⑭」(鼎書房)に掲載されました。「三島由紀夫と神風連――『奔馬』の背景を探る」では、三島が『奔馬』を執筆したときの参考文献を踏まえて、三島と神風連関係者との深い繋がりや影響などを探りました。徹底的に熊本人脈を調査して、「アッ」と驚くような結論に導くことができたのではなかろうか、と考えています。 もう一つは、「小説に描かれた『三島由紀夫』覚書」で、「現代文学史研究 第二〇集
☆本日のお話・二次創作について考えた③☆ いろいろと書いて参りましたが、重要なのは冲方とその共同広告ユニオンである冲方サミットが今後どうしていきたいかということに尽きます。 結論から申し上げれば。 ①二次創作を全面解禁する。 ②ひいてはメディアミックス作品のどれもが一次創作であると明確にすることでトラブルの種を一掃する。 ③サミットの大命題であるユーザーとの距離をいっそう縮めるべく、ともに作品を盛り上げて下さるファングループを募り、優先的に作品のリリースをご提供できるようにする。 ④一次創作者も二次創作者も全てのユーザーも、海賊版や違法ダウンロードや不適切な中古販売といった、業界を消耗させるしろものの規制や抑制をはかっていく。 これらをどうにかして実現したい所存。 【①について:最初の一歩としての二次創作全面解禁】 まず二次創作について、可能な限り契約書の発行といった法務をなくし、利用規約
昨日、TSUTAYAで号泣しました。 | 水野敬也オフィシャルブログ「ウケる日記」Powered by Ameba 昨日、TSUTAYAで号泣しました。 ただ、その理由を書いてしまうと一行で終わってしまい 感動の理由も全然伝わらないと思うので 涙までの経緯をお伝えしたいと思うのですが、 そもそものきっかけは、2002年に映画館でピクサーのアニメ「モンスターズインク」を見たことに遡ります。 僕は当時25歳で学生時代から所属していたプロダクションを辞め、無職の状態でした。 ただ、「本を出したい」と思っていたので、最低限の生活するためのアルバイトを週2日だけして、あとは一日中本を書いていました。 当時、僕は門前仲町で友人とルームシェアをしていたのですが(友人に無理を言って家賃もかなりの部分、彼に負担してもらっていました) 門前仲町の近くにある、日本で一番大きなイトーヨーカドーにシネマコンプレック
梅雨、師走、従兄弟、女将、乳母、小豆、心太、浴衣、田舎、相撲…中学生ならどれも読める。しかし、「梅雨(つゆ)」について、「梅」が「つ」なの?「雨」が「ゆ」なの?と聞くと、「…?」。あまり責めるのは可哀想。「熟字訓」ですから。 「なぜそう読むのか教えて?」と逆質問されても、「義訓から…えーと、慣用的なものとなったわけで…早い話が…」としか説明のしようがない。 熟字訓で、凄いのは、「閑話休題」。「どこが凄いの?『かんわきゅうだい』でしょ。熟字訓じゃないでしょう」と、言われそう。確かに今はそうなのですが、歴史的に「それはさておき」と読まれていた時代もあったのです。 国語の先生!生徒が、閑話休題を「それはさておき」と、読み仮名をつけても、×にしないで褒めてあげてください。「一問5点のところだが、20点あげよう」…そこまでしなくてもいいです。 さて、閑話休題、熟字訓で難問にぶち当たりました。 「襁褓
一人暮らしの我が家に、久しぶりに近所に住んでいる親戚の小学生が遊びに来た。 「久しぶりやで!」 と、何に影響されたかわからないが、少年は似非関西弁で挨拶をした。 お菓子でも出そうと台所でごそごそしている間に、感心なことに少年は机の上に宿題を広げていた。 なんて真面目な子だろうか。 俺の子供の頃とは大違いだ。 「ん? 算数のテストか?」 「うん。間違えたところをもう一度やり直してださないと行けないんだ。でも、この問題わからないから教えて」 「え、マジか」 いくら昔勉強が不得意だったとしても、小学生の算数問題くらいは解けないこともない。 しかし、教えるとなるとこれがまた難しい。 四苦八苦しながら、なんとか聞かれた問題を解かせる。 「ふぅ、終わった……」 「見なおしたぜ!」 偉そうに親指を立てる小学生。 生意気な。 「意外と教えるのが面倒な問題だったな……」 他の問題はどういうレベルなのだろうか
たったひとりで出版社を立ち上げて20年。社長兼社員として編集から営業、販売までをひとりで担い、大手が作らない本を地道に出し続けてきた。時代がいかに変わろうとも、必要とされる本がある限り、ひとり出版社のフル稼働の日々は続く。 本の谷間に棲む 『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』(無明舎出版)という本がある。それも1冊ではなくPart1からPart3まで3冊もある。ひとりでやっている出版社の社長が新刊を出すたびに新刊ニュースを作り、そこに「裏だより」というコラムを書き続け、それが3冊の本になった。今年で創業21年目。20年間でコツコツ出し続けた本は825冊、月に4冊から5冊、年間では50冊から60冊の新刊を出版し、年商は1億2000万円とか。出版不況と言われるご時世にひとりで達成したこの数字は衝撃的ですらある。 東京都世田谷区。静かな住宅街の相当に年季の入ったマンション内にあるという「岩田書院
YouTubeに毎晩粛々とアップされる「詩人天気予報」が一部でアツい話題を集める、詩人・菅原敏(すがわらびん)。「今、一番キザな詩人」を体現するその強烈な朗読スタイルで、日々ファンを増やしています。 彼の詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』のペーパーバック版を昨年出版し、詩と人との接点について長年模索し続ける株式会社ボイジャーの萩野正昭もまじえ、これからの詩人、詩集、そして詩の自由な在り方を、DOTPLACE編集長の内沼晋太郎が聞いてきました。 前編である今回は、菅原さんがいかにして「詩人」という職業に辿り着いたかを中心に迫ります。 詩人・菅原敏ができるまでの道のり 1月7日から現在に至るまで毎日更新されている動画コンテンツ「詩人天気予報」(上は2014年2月24日のもの)。 内沼晋太郎(以下、内沼):僕が最初に敏さんにお会いした時って、たしか敏さんが僕を訪ねて事務所に来てくださったんでし
前回は電子化という方法で蔵書問題を解決したケースをみてきた。 武田徹さんと大野更紗さん。二人に共通しているのは、電子本よりも紙の本の方が読みやすいという考えだ。大量に電子化してしまったことを武田さんは後悔していた。日常的に電子化をくり返し、電子化した本を後もちゃんと読むと言った大野さんにしても「リーダビリティは紙が上」「日本語の本は紙で手に入れたい」と言ったことを話していた。 全ての蔵書を電子化してしまうのは味気ないと僕も思う。iPadなどのタブレットの出現、読みやすさを劇的に良くするアプリの開発という二点によって、「電子化された書棚」というものの活用が可能になってきた。だけれども、それは、武田さんのような尖った人の新しいことへの挑戦か、場所がないけど本をたくさん所有したいという矛盾を解決するための打開策として実践するか、どちらかでしかやる価値がないのではないだろうか。 物体としての本を増
夢野久作の「ドグラ・マグラ」 初期の自筆原稿発見 [福岡県] 2014年01月08日(最終更新 2014年01月08日 03時00分) 推敲による修正箇所が確認できる初期原稿。裏面に杉山龍丸氏が書いた文字が透ける写真を見る夢野久作写真を見る 福岡市出身の小説家、夢野久作(本名杉山直樹、1889~1936)が10年の歳月をかけて書き上げた代表作「ドグラ・マグラ」の初期自筆原稿が見つかった。推敲(すいこう)を重ねた同作の草稿は数多く残っているが、初期のものはほとんどない。出版されたものにはない文章もあり、探偵小説三大奇書として知られる名作の変遷がわかる貴重な資料だ。 久作らの功績を検証しようと昨年発足した「夢野久作と杉山3代研究会」(福岡県筑紫野市)の会員が昨年11月、九州大学記録資料館が保管している久作の長男、杉山龍丸さん(1919~87)の遺品にあった原稿用紙444枚の中から見つけた。龍丸
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