魔法少女ものの設定ながら、背景は仏教という斬新さ。ヘタウマ風の味のある画風とアニメーション。それ以上に、次から次へと繰り出されるナンセンスギャグやパロディ。こうした作風を好む人は一発でとりこになるだろう。 そもそも下記の画像のようなセリフをどうやったら思いつくのか。コンピューターゲームでいうなら、体力へのダメージはそれほどでもないが、精神力はごっそり削られる、そういう類だ。
魔法少女ものの設定ながら、背景は仏教という斬新さ。ヘタウマ風の味のある画風とアニメーション。それ以上に、次から次へと繰り出されるナンセンスギャグやパロディ。こうした作風を好む人は一発でとりこになるだろう。 そもそも下記の画像のようなセリフをどうやったら思いつくのか。コンピューターゲームでいうなら、体力へのダメージはそれほどでもないが、精神力はごっそり削られる、そういう類だ。
機械の声だからこそ心に響く 「やりたいこと、何もやってない…」 ミクがつかむその手の先に 街を歩いていて、他人のひそひそ話が聞こえると、自分への悪口ではないかと感じてしまう。親の期待に押しつぶされそうになり、人生をあきらめかける。今年、干支をひとまわりした12周年になるボーカロイド初音ミクは、そんな生きづらさを抱える人たちの支えになってきた。「機械の声」を通じて生まれた人と人とのつながりを追った。 「自分だけじゃない」。ミクたちの歌で知る 東京都の会社員Aさん(18)の生まれ育ちは東北。父の実家に三世代で同居していた。祖父は酒に酔うと祖母を殴り、聞くに堪えない罵声を母に浴びせる。自分では覚えていないが、3歳のころ、ふとんの中で泣く母に「ぼくがお母さんを守る」と言ったそうだ。「だから私はがんばれた」と母が述懐するのを中学生になって聞いた。母によると、3歳のAさんはその後、積極的に家事を手伝い
4月から東大駒場キャンパスで、「ボーカロイド音楽論」と題したゼミが行われる。講師を務めるのは、初音ミクなどのボーカロイドで作曲を行うボカロPでもあり、音楽評論家でもある鮎川ぱてさんだ。 「若い世代向けのコンテンツを、若い世代が自分たちで作るようになった時代について、東大生と真剣に考えたい」と語る鮎川さんに、若い世代が現代日本のエンタメをどのように楽しんでいるのか聞いた。(取材・文 須田英太郎) 【関連記事】 第1回講義録! 東大で注目の講義「ボーカロイド音楽論」全文掲載 学園ドラマがない時代にどうやって10代は初恋を知るのか ──唐突ですが、最後にヒットした学園もののテレビドラマって何だと思いますか? えーと、ヒットの度合いにもよりますが……。なんでしょう。最近は、学園ドラマってあんまり印象が無いですね。芳根京子さん主演の『表参道高校合唱部!』なんかがありましたけど。 そうですね。00年代
ニコニコ動画で公開されている初音ミクがヒップホップを歌う「ミックホップ」と言うジャンルの曲から5曲をセレクトしたEP「MIKU HOP」がTWITTERを中心にバズっているのだそうです。以前にウチでも記事にしました。 マスタリングを担当されたという方がそんなEPのバズり方について考察をされておられるのですが、 ・「ミックホップ」のBuzzをマーケティング的視点で考えてみた。 - What a Wonderful World 音楽面での批判コメント(黒くない、新しくない等、主にヒップホップサイドからの指摘)が上がるようになってきます。また、一部のボカロPさん達から、「ミックホップ」のタグや、名称、作品の紹介文などに違和感、不快感を表明するツイートがチラホラと。(これは「ミックホップ」という言葉の成立過程に原因があるようですが、今回の話の本筋とは直接関係がないので割愛します。) もちろん、これ
柴那典×さやわか 『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』刊行記念対談(前編) 2014.04.14 13:00 音楽ライターの柴那典氏が、初音ミクや同人音楽などボーカロイド文化の隆盛について、音楽史的な視点から考察した著書『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)が4月3日に発売された。今回リアルサウンドでは、同氏が先日4月6日に五反田のゲンロンカフェで行った、物語評論家のさやわか氏とのトークセッション『★さやわか式☆現代文化論 第6回『初音ミクの真実!』さやわか×柴那典』の模様を取材。テレビとネットの境目で発生しているコンテンツの移り変わりや、同人即売会におけるCDの売れ行きなど、様々な話題を存分に語り合った。 「30代より上と10代前半でものすごい文化の断裂がある」(柴) さやわか:この本のおかげで、初音ミクについてわざわざ説明しなくても「読んでおいてね」で済むようになったので、非
8月30日に開催されたマジカルミライのマジライブ夜の部レポートです。 総評は「もはやサイリウム振ってる場合じゃない」です。 僕の席は西スタンド9列目でした。最後方よりひとつ前の席です。でもはっきりいって当たりでした。遠いのでミクは豆粒サイズですけど、ステージ上方の3つのモニターと2つのサイドモニター、そしてライティングをはじめとする数々のステージ演出すべてがバッチシ見渡せるという、ある意味最上級のポジション。横に拡張したディラッドボードの中をミクが右へ左へと走り回り、ジャンプしてマイク位置に戻るパフォーマンスなどなど、小さいながらもしっかりと目で追えました。その度に「うおーミクさん走った」「うおーミクさん飛んだ」「ミクリンレンの3人が広がって踊っとる」と脳内大絶叫で大興奮。時々サイドのモニターで表情を確認し、上方に映し出されるムービーと歌声が一体となって迫ってくる演出に陶酔したり(特にLN
「日本はものづくりの国といわれているが、実はもの“づかい”の国なのではないか」と福岡俊弘氏は指摘する。たしかに、ツイッターを大喜利に使うなど開発者が想定しないような使い方をするのが長けているのは日本のユーザーの特徴といえそうだ。 また、古くは浄瑠璃や歌舞伎から現代ではボーカロイドの初音ミクにいたるまで、日本の芸能は「掛け合い」を通じて生み出された二次創作によってクオリティが高められてきたことは、前回お届けした対談前編でも指摘したとおりである。 さてそんな折、最近ネットを中心に「ACTA(偽造品の取引の防止に関する協定)」についての議論がにわかに熱を帯びている。ヨーロッパでは表現の自由を侵害する恐れがあるとして約250万人のデモが起こり否決されたこの協定だが、日本では法案の一部が今年7月31日に参議院委員会等で可決した。行きすぎた監視が日本の「創作の連鎖」に負の影響を及ぼさないとよいのだが…
supercellが売れて、「音楽としてのVocaloid論」的な議論があちこちで為されているわけですが。自分としては、「音楽」としては普通にアリですが、「売れること」については正直なところ猛烈な違和感があります。というか正直、何か薄気味の悪さを感じています。 で、いろいろ考えてはみたんだけど、どうにもまとまらんし、まとめる時間もないので、もうメモ書きとして書き散らしたテキストをまんまのっけてみることにする。 supercellの中の人が初音ミクではなく、プロトゥールズ+生歌で同じ曲を出したとしたら、400万再生行ったか、という話。それは「絶対にない」。確実に言い切れる。 — “メルト"、確かにすごくいい曲なんだけど、メロだけ切り取って聴いてみると、どのメジャーレーベルにも一人はいる地味な女性シンガーソングライターが一生懸命書いて歌って、でもプロモ不足で売れなかった「いい曲」と同質のものを
初音ミクを筆頭としたボーカロイドが歌う様々なアマチュア楽曲。そのボーカロイド廃人周辺には「ボカロ耳」という言葉がある。 ボーカロイドの歌声はこれまでに比べれば驚くほど自然に近くなっているが、やはりまだまだ合成音であることが否めない。しかし、そんな合成音でちょっと不自然なところがありまくりな楽曲であっても気にならなくなってしまったり、そんなことはどうでも良くなって素直に歌や楽曲に感動できるようになってしまった様な場合に用いる。どちらかというと妙な合成音声であっても聞き取れるようになってしまったことを自嘲的に表現するような言葉だったりするのだけれども。 そんな「ボカロ耳」という言葉のことについて考えていたら、長年の疑問が既に氷解していることに気がつく。「音の世界でのデフォルメってなんだろう」という事についてである。 今更述べるまでもなく、私は二次元側というか漫画やアニメ、ゲームに萌キャラといっ
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