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おくやみと戦後に関するnagaichiのブックマーク (10)

  • 上皇后を大笑いさせた日本通のフィリピン人作家

    フィリピンの作家フランシスコ・ショニール・ホセ(Francisco Sionil José)さんが2022年1月6日に亡くなった。97歳だった。日で言えば文化功労章にあたるフィリピンのナショナル・アーティストの称号を持ち、アジアのノーベル賞とされるマグサイサイ賞のほか、2001年には日政府から勲三等瑞宝章を授与された。「仮面の群れ」「民衆」などフィリピン近現代の苦悩を描いた代表作が日を含む多くの国で翻訳されている。 亡くなってから少し時間がたったが、改めてホセさんについて書いておきたいと思ったのは、私の見た限り日の新聞やマスメディアが訃報を伝えていないからだ。東南アジアの社会や文化に対して日人の関心が薄れていると常日頃感じている私は、戦中から戦後にかけて日と深くかかわったこの作家の記憶を少しでも留めておきたいと考えた。 日軍兵士からビンタの過去 ホセさんはマニラの歓楽街エルミ

    上皇后を大笑いさせた日本通のフィリピン人作家
    nagaichi
    nagaichi 2022/03/27
    「三島とともに遠藤周作の態度は横柄(arrogant)だったとする一方で、大江のほか、黒澤明、大岡昇平をdecent(謙虚、礼儀正しい)と評した」「発展の基礎はいつも倫理や道徳だ」「セックス・アンド・バイオレンスです」
  • 新崎盛暉さん死去 沖縄大学元学長、沖縄現代史研究の第一人者 82歳 | 沖縄タイムス+プラス

    沖縄現代史研究の第一人者で社会運動に尽力した沖縄大学元学長の新崎盛暉(あらさき・もりてる)さんが31日午後5時38分、肺炎のため南風原町内の病院で死去した。東京都出身。82歳。告別式は5日、那覇市首里当蔵町3の4の1、万松院で。喪主は・恵子(けいこ)さん。

    新崎盛暉さん死去 沖縄大学元学長、沖縄現代史研究の第一人者 82歳 | 沖縄タイムス+プラス
  • 「ヒロシマが全滅です」原爆の一報を伝えた女性が死去 あの日、14歳だった彼女が見たものは

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    「ヒロシマが全滅です」原爆の一報を伝えた女性が死去 あの日、14歳だった彼女が見たものは
  • 青空書房の店主逝く 93歳「本に埋もれて死ねたら…」:朝日新聞デジタル

    戦後の闇市から立ち上がり、開業70年を迎えた「青空書房」(大阪市北区)の店主、坂健一(さかもと・けんいち)さんが亡くなった。大阪の古書店主で現役最高齢の93歳だった。「に埋もれて死ねたらええわ」。その言葉通り、が山積みの店舗兼自宅で静かに息を引き取った。 店は天神橋5丁目交差点近くの路地を西へ入ったところにある。開けっ放しの玄関には「二度とない人生 ここでしか無い一冊」という坂さん自筆のポスター。家族の話では3日朝、ヘルパーが独居の部屋を訪ねると、坂さんはベッドに横たわって亡くなっていた。日めくりカレンダーの日付は「2日」だった。 15歳でモーパッサンの小説「女の一生」に出会い、「生きる人間の魂」に衝撃を受けてからの読書人生。太平洋戦争が始まり、学徒動員で赤紙が来た日はロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」を読み、不屈の音楽家の生涯に「愛と勇気を学んだ」。動員先には「西洋ものは何

    青空書房の店主逝く 93歳「本に埋もれて死ねたら…」:朝日新聞デジタル
  • 訃報:野坂昭如さん85歳=「火垂るの墓」で直木賞 | 毎日新聞

    第37回総選挙で田中角栄元首相の選挙区、新潟3区から立候補する野坂昭如氏=新潟県で1983年11月29日、高橋勝視撮影 「焼け跡闇市派」を自任、業の作家以外にも作詞や政治など多彩な活動で話題を集めた元参院議員の野坂昭如(のさか・あきゆき)さんが9日、心不全のため死去した。85歳だった。通夜・密葬は近親者で営む。葬は19日午前11時、東京・青山葬儀所。喪主は暘子(ようこ)さん。 1930年鎌倉生まれ。間もなく母が亡くなり、神戸市内の親類の養子となった。45年神戸大空襲で家を焼かれ養父は死亡。疎開先の福井県では義妹を栄養失調で失った。この体験は「火垂(ほた)るの墓」のモチーフとして生かされた。 50年早稲田大文学部仏文科に入学。在学中からコントを執筆。大学除籍後、作詞家やコラムニストとして活躍した。68年「アメリカひじき」「火垂るの墓」で第58回直木賞を受賞、人気作家となった。72年編集

    訃報:野坂昭如さん85歳=「火垂るの墓」で直木賞 | 毎日新聞
  • 水木しげるサンと呉智英氏~元資料整理スタッフが見た、知られざる一面

    マンガ評論を含めた幅広い評論活動で知られる呉智英氏は、まだ著書を出す前、1970年からアルバイトで水木しげる先生の仕事場に出入りし、氏の集めた膨大な宗教、神話、民俗資料の整理とアイデア抽出、あるいは自伝編集などを手伝っており「最も長期間水木を見てきた一人」を自負、作品評論を行ってきたそうです。今回の訃報に際し、呉氏は多くのメディアにコメントを寄せましたが、ファンの中にはまとめ者も含め、呉智英の過去の文章を思い出し、紹介する人(批判も含む)もいました。 「水木 呉」での検索を中心に、それらをまとめました。 呉氏は、12/1夜のTBSラジオ「session-22」にも出演予定のようです。

    水木しげるサンと呉智英氏~元資料整理スタッフが見た、知られざる一面
    nagaichi
    nagaichi 2015/12/02
    なるほどディオゲネスか。
  • 鶴見俊輔さん死去 「思想の科学」「ベ平連」93歳:朝日新聞デジタル

    リベラルな立場で幅広い批評活動を展開し、戦後の思想・文化界に大きな影響力を持った評論家で哲学者の鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ)さんが死去したことが23日、わかった。93歳だった。 1922年、東京生まれ。父は政治家だった鶴見祐輔。母方の祖父は政治家の後藤新平。38年に渡米し、翌年にハーバード大哲学科に入学。日米開戦後の42年3月、無政府主義者の容疑で逮捕されたが、戦時交換船で帰国した。43年、海軍軍属に志願してインドネシアに赴任。英語の短波放送などを翻訳し、幹部向けの情報新聞を製作した。 戦後の46年、雑誌「思想の科学」を都留(つる)重人、丸山真男らと創刊。米国のプラグマティズム(実用主義)を紹介するとともに、共同研究の成果をまとめた「共同研究 転向」は戦前・戦後の思想の明暗を新しい視角からとらえた。49年、京都大人文科学研究所助教授。54年、東京工業大助教授。 60年5月、岸内閣の新日米

    鶴見俊輔さん死去 「思想の科学」「ベ平連」93歳:朝日新聞デジタル
  • 山口淑子さん死去 「李香蘭」で活躍 NHKニュース

    戦時中の中国で、李香蘭の名前で女優として歌や映画に活躍し、戦後はテレビ番組の司会者や参議院議員も務めた山口淑子さんが今月7日に亡くなりました。 94歳でした。 山口さんは、体調を崩して3年ほど前から病院に入退院を繰り返していましたが、心不全のため自宅で亡くなったということです。

  • 訃報:竹内実さん90歳=現代中国研究- 毎日jp(毎日新聞)

  • asahi.com(朝日新聞社):「2度も被爆、私にはやることがある」 山口彊さん - 社会

    「(高齢なので)今回が最後の講話になると思うが、他の人にバトンタッチし、輪を広げてほしい」。広島、長崎両市で二重被爆し、4日に死去した山口彊(つとむ)さんは昨年6月、長崎市での講話で若者たちにそう語った。亡くなる直前まで、二度にわたって自身を襲った核兵器の廃絶を訴え、そのために体験を次の世代へ伝えたいと願っていた。  山口さんが被爆体験を語り出したのは晩年になってからだ。被爆者団体にも所属していない。被爆の影響で左耳が不自由になったが、「自分は重い被爆をした人たちと異なり、傷も残っていないので」と考え、積極的に人前には出なかった。  だが、2005年に次男をがんで亡くすと、山口さんは「二度も被爆してなぜ生きているのか。伝えるために生かされているからだ」と、自ら答えを出した。記録映画「二重被爆」に出演し、体験を語った。以来、国内外のメディアから取材が相次ぐようになった。  核廃絶を願い、オバ

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