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ことばと先秦に関するnagaichiのブックマーク (5)

  • なんで「公爵」「侯爵」って名前にしたんだろう

    口に出した時にどっちも「こうしゃく」になっちゃうの、めちゃめちゃ困るのはわかりきってただろうに

    なんで「公爵」「侯爵」って名前にしたんだろう
    nagaichi
    nagaichi 2022/03/25
    公・侯・伯・子・男は周の爵制。殷のころにも侯・伯・子・田・邦伯(方伯)といった爵位があったらしいが。秦漢のころには二十等爵だったのが、魏晋で五等爵が復活。都合の悪いことは曹氏や司馬氏のせいにしておけ。
  • 大器晩成の意味

    増田で『老子』もしくは『魏書』を引いている投稿があったので、久しぶりに『老子』の原文に触れた。 「大器晩成」っていつも疑問で、漢代以降の「大人物(あるいは大事業)は時間をかけて完成するのだ」的な解釈でもいいんだけどさ。 最近、古い文字資料が出てきて「大器免成」と書かれてて、「大器」は成立することを免れる、だから成立しないのだ、なんて逆の解釈することもある。 この新解釈は耳目を引きがちだが、それゆえに、取ってつけたような印象を受ける。 老子の原文、「大器晩成」がある辺りはおんなじような文構成になっている。 明道若昧。進道若退。夷道若纇。上徳若谷。大白若辱。廣徳若不足。建徳若偸。質眞若渝。大方無隅。大器晩成。大音希聲。大象無形。 明るい道は暗きがごとし。 道を進んでいるようで退いている。 高い徳は谷のように深く。 大いに白いものは辱(よご)れているように見え、 広い徳は、足りていないように見え

    大器晩成の意味
    nagaichi
    nagaichi 2017/06/30
    思想面は詳しくないけど、歴オタ的にいうと、『老子』も近年の楚簡の出土で新展開してたりするから。
  • 古代中国の共通語 - 宮城谷昌光氏の春秋・戦国時代の小説を読むと、多くの政治家や英雄・知識人が中国の東西南北至る所を放浪し、その国々の宰相... - Yahoo!知恵袋

    春秋戦国時代には、 一応の「雅言」と呼ばれる共通語があったといわれています。 「周秦漢晋方言研究史」(華学誠:著)によると、 中国の伝説時代、 炎帝族と黄帝族が融合して華夏族ができ、 原始的漢語である、華夏語ができた、と記載されます。 華夏語は、春秋戦国時代には、 雅言(夏言)と称するようになったともされます。 戦国時代末期の「爾雅」は、 全19編、2219項目、5239個の言葉が掲載されている最初の字典とされますが、 それに掲載されている方言を分類すると、 秦晋 周韓鄭(漢代趙魏含む) 衛宋 齊魯(漢代東齋海岱含む) 燕朝(漢代北燕朝鮮含む) 荊楚(漢代南楚含む) 呉越(漢代南越含む) の7地方に分けられるとされます。 発音などに地域での相違がかなりあったようです。 「孟子」に、 「南蛮人は鳥の舌を持つ人」 「楚語と華夏語は同属だが、違いは大きい」などの記載があります。 「春秋左氏伝」に

    古代中国の共通語 - 宮城谷昌光氏の春秋・戦国時代の小説を読むと、多くの政治家や英雄・知識人が中国の東西南北至る所を放浪し、その国々の宰相... - Yahoo!知恵袋
  • お菓子っ子さんによる古代中国の共通語事情

    お菓子っ子 @sweets_street あちこちで「中国は方言がきついから、昔の文人や武将は他の土地の人と話す時は筆談で話してた」という意見を見かけるのですが、春秋時代成立の論語に「詩経や尚書は雅言で伝えてるよ。儀礼を執り行う時も雅言を使うよ」とあります。当時に於いては、詩経や尚書などの経典は口頭で伝承します(続く) 2012-06-01 10:08:09 お菓子っ子 @sweets_street (承前)詩経や尚書は周代から各地で口頭伝承されてきた詩や記録をまとめたもの。つまり、各地の伝承を同じ言葉で伝えるための共通語が広く話されていたということ。これらの経典がテキスト化されてからも、文章の暗誦は必須とされているので、経典を学ぶ人は皆雅言を使うわけです(続く) 2012-06-01 10:17:26 お菓子っ子 @sweets_street (承前)春秋戦国時代のインテリは、自分の学派

    お菓子っ子さんによる古代中国の共通語事情
  • 鶏口牛後は鶏口牛後ではない - てぃーえすのメモ帳

    臣聞鄙諺曰『寧為雞口、無為牛後』今西面交臂而臣事秦、何異於牛後乎?夫以大王之賢、挾彊韓之兵、而有牛後之名、臣竊為大王羞之」 (『史記』蘇秦列伝) いわゆる「鶏口牛後」という言葉。 索隱按、戰國策云「寧為雞尸、不為牛從」。延篤注云「尸、雞中主也。從謂牛子也。言寧為雞中之主、不為牛之從後也」正義、雞口雖小、猶進。牛後雖大、乃出糞也。 (『史記』蘇秦列伝注) 注によれば、『戦国策』では「鶏口」ではなく「鶏尸」、「牛後」ではなく「牛従」となっているのだそうだ。 (『顔氏家訓』でも指摘されている。) 大意は同じだが、文字は全然違ってくる。 それが正しいとすると、「鶏口牛後」は「鶏尸牛従」と書くべきだということになる。 こちらだったら、日でこれだけ人口に膾炙した言葉にはならなかった気がする。

    鶏口牛後は鶏口牛後ではない - てぃーえすのメモ帳
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