メソ@🐤🐓🐦赤チョコボおじさん @jackal_casull となりのトトロを観るたびに「サツキの作る弁当米多すぎ」と言われがち問題に心を痛める 昭和30年代ごろはまだ少量の塩気強いおかずをあてに米をたくさん食べる食生活だったはずなので、かまどで飯炊きしていた時代考証的にはあのメザシと梅干しと桜でんぶの入った弁当は正しい 2022-08-19 20:45:18
投影できないまでに劣化した、内容不明の映写フィルムを復元したら、テレビ放送草創期の貴重な映像が大量に――。まるで遺跡の発掘のようなエピソードが、Twitterで注目を集めています。 話題のフィルムは、劣化して蛇の抜け殻状態。いったい中身は……? 話題となったのは、映像や音声といった資料の電子化を手掛ける会社、北海道アーカイブセンター(@Hokkaido_ACC)。くだんのフィルムはある人の遺品で、蛇の抜け殻のような形にゆがんでいて映写機を通らず、「もうゴミにしかならない」と言われていました。 内容を示すメモもなどなく、ビューワー(簡易的にフィルムの内容を確認する装置)を使っても、コマがゆがんでいて静止画の確認すら不可能。そこで、同社は映写機に通せるレベルまでフィルムを復元し、投影を試みました。 そうしてスクリーンに映ったのは、昭和30年代のものと思われるモノクロのコマーシャル映像。アサヒビ
鐘の音(除夜の鐘)ダイエット-30kg @kanenooto7248 今のオタクは信じられないことかもしれないが、昔は「そのアニメを見たことはないがフィルムブックで読んだ」というオタクが結構いたのであるw アニメは放送されない地域の人間は、レンタルビデオ屋よりも先にフィルムブックでアニメを見たことにしていたのであるw 2022-02-06 19:41:35 鐘の音(除夜の鐘)ダイエット-30kg @kanenooto7248 本当にテレ東が映らない地域でオタクをやるとなると、レンタルビデオ屋に入荷される日を待つしかないが、レンタルビデオ屋よりも、フィルムブックの方が早い、アニメ漫画の方が早いってことが(マジで何の話だ) 2022-02-06 19:43:34
ソ連が崩壊してから12月25日で30年になる。史上初の社会主義超大国としてアメリカと世界を二分し、冷戦を繰り広げたが、経済の悪化や、政権弱体化を招いたゴルバチョフ氏の改革などにより、1991年に消滅した。 物不足、厳しい情報統制…そんなイメージが強いソ連だが、実際はどうだったのか。1980年代末から崩壊までのソ連で子ども時代をすごし、現在は日本で声優として活躍しているジェーニャさんに「私が生きたソ連」を語ってもらった。 ソ連の記憶について語る声優のジェーニャさん ――ソ連での暮らしぶりを教えて下さい。 私はシベリアのノボシビリスクという都市で生まれたんですけど、父が軍人だった関係でリャザンやゴーリキー(現在のニジニノブゴロド)など転々としていました。 ものは少なかったですね。それはあとから分かったことで、当時は普通だと思っていました。商店に行っても、陳列棚が空っぽの記憶しか残っていません。
ジブリのスタート スタジオジブリは、「風の谷のナウシカ」の内容的興行的成功を機に、「天空の城ラピュタ」製作時の1985年に、「風の谷のナウシカ」を製作した出版社・徳間書店が中心となり設立したアニメーション・スタジオです。以後、宮崎駿・高畑勲両監督の劇場用アニメーション映画を中心に製作してきました。ちなみに「ジブリ」とはサハラ砂漠に吹く熱風のことです。第2次大戦中、イタリアの軍用偵察機が名前に使用していましたが、飛行機マニアの宮崎がこのことを知っており、スタジオ名としたわけです。「日本のアニメーション界に旋風を巻き起こそう」という意図があったと記憶しています。 ジブリのように原則的に劇場用の長編アニメーション、しかもオリジナル作品以外は製作しないスタジオというのは、日本のアニメ界では、というより世界的にも極めて特異な存在だと思います。なぜなら、興行の保証が得られない劇場用作品は、リスクが大き
『公研』2020年8月号 第 606 回私の生き方 富野 由悠季・アニメーション監督 父への疑念 ──「富野由悠季の世界」展が昨年6月より開催されています(現在中断中、再開は9月の予定)。 富野 今回の「富野由悠季の世界」展で「与圧服」の写真を展示しています。これの開発に父が関わっていて、家に資料が残っていました。 この機会でしかできない話を一つさせてください。父の経歴についてです。父は昔の中学を卒業したあと、東京府立化学工業学校(化工)という専門高等学校へ進んでいます。父のアルバムにあった化工の写真を見ると、3階建てのコンクリート校舎の中央に時計塔があり、石積みの外壁の正面には三つのアーチ状の飾りが施された扉がある立派な建物でした。その前に軍人たちが集まっている写真は、子供の頃は軍の部隊写真だと思っていた。ところが、父は「俺の学校なんだ」と言っていました。 僕はそのアルバム写真を子供の頃
バカボンのパパが“虚無”で、シータが“母性”!? 『Bバージン』、「絶望に効くクスリ」シリーズの作家として知られる、マンガ家・山田玲司氏(@yamadareiji)によるニコニコ生放送「山田玲司のニコ論壇時評」が放送されました。 今回の放送は「パーツの描かれ方」の系譜を切り口に、手塚治虫、ディズニーから『けものフレンズ』まで、“アニメ絵”の歴史を一気に振り返るという大変興味深い内容に。 長大な“ジャパニメーション”の歴史に興味のある方は必見です。 画面左から、山田玲司氏、しみちゃん氏、乙君氏―人気記事― 「これ誰が喜ぶんだ?」NHKアニメ100周年記念ランキング。『エヴァ』も『ナウシカ』も『ガンダム』も不在の事態に疑問の声 現役漫画家が答える「人気漫画を実写映画化すると失敗する3つの理由」って? 山田氏、テンション高めに講義開始山田: やるか! 乙君: どこから。 山田: ぶっちゃけね!
アニメーターにして漫画家のカリスマとして真っ先に思い浮かぶのは、手塚治虫と宮崎駿、そしてこの人だろう。 安彦良和。昨年放映40年を迎えた『機動戦士ガンダム』の生みの親の一人としてあまりに有名だが、『虹色のトロツキー』『ナムジ 大國主』など歴史に材をとった漫画作品でも数々の受賞歴を誇り、批評家から高い評価を受けてきた。毒舌の西原理恵子すら「日本遺産」とあがめるアニメ、コミック界の生ける伝説だ。 まごう事なき巨匠だが、その物腰はどこまでも柔らかく、口調は夕凪のように穏やか。丸めた背中と福顔で玄関から私たち取材陣を招き入れるその姿は、どう見ても好好爺といった風情だ(失礼!)。しかし若かりし頃は全共闘のリーダーにして逮捕歴ありと、ただ者ではない経歴を持つ。主役級ではなく脇役を好み、高所ではなく地べたから事象を切りとるその視点は、自認する「生涯アウトサイダー」としての生き様が映し出されている。 「裏
■中東でも人気の日本アニメまずはこのドキュメンタリーをご覧ください。 https://creators.yahoo.co.jp/itomegumi/0200047660 ******************** 中東に滞在していると、現地の人からかなりの確率で日本のアニメの話題を振られる。 「ONE PIECE(ワンピース)は最高に面白いよね!」 「銀魂、知っている?」 「私、NARUTO -ナルト-の大ファンなの〜」 「DEATH NOTE(デスノート)は映画じゃなくて漫画で見なくちゃ!」 日本出身だからといってみながアニメに詳しいわけではないのだが、異国の地で自分の出身地について無条件に親近感をもってもらえるアニメ・パワーの恩恵は確実に存在すると思う。 ■イラク人アーティスト姉妹私がイラクで知り合ったある2人の姉妹もアニメ・漫画好きだった。 喧嘩がエネルギー源といってはばからない2人は
日本初の長編カラーアニメーション映画として61年前に公開された「白蛇伝」の絵コンテなどの資料が見つかり、専門家は草創期のアニメの制作過程が分かる貴重な資料だとしています。 「白蛇伝」は東映動画、今の東映アニメーションが、昭和33年に公開した日本で初めての長編カラーアニメーション映画でNHKの連続テレビ小説、「なつぞら」で登場した作品のモデルにもなりました。 見つかった資料は、アニメーターがキャラクターの立体感を考える際に使われたとされる粘土模型4体や、全体の構成を指示する絵コンテの第1稿などおよそ40点です。 このうち動画の資料では、キャラクターの動きが、鉛筆の線1本で描かれていて、当時のアニメ制作の丁寧さや精密さがうかがえるということです。 これらの資料は京都市右京区の東映太秦映画村で、ことし4月から始めた資料整理の過程で見つかったということです。 「なつぞら」の時代考証をつとめたアニメ
まずは『太陽の王子ホルスの大冒険」が作られた時代背景から考えてみたい。制作が始まったのは1965年、公開されたのは1968年、大作とはいえ、日本のアニメで3年もかけるのは異例のことである。1965年といえば、世界史ではアメリカがベトナム戦争に直接介入し始めた年として、世界史に記憶されている。1968年にはフランスで5月革命が起き、チェコスロバキアではプラハの春と呼ばれる変革運動があり、アメリカでは黒人解放運動のリーダーだったマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺されている。一方、ベトナム戦争は激化していた。 そんな時代の作品である。『ホルス」に先立つこと3年前の1962年、大塚康生は東映動画労働組合の2代目書記長に選ばれた。この時の副委員長が高畑勲。大勢の人間が幾つかのグループに分かれて制作する長編アニメの現場において、労働組合の結成は必然的なものだったとも言える。 大塚は「作画汗まみれ」の
さかのぼること4ヶ月前、Amazon Prime Videoで「ある作品」が初めて配信されることになり、事件的な盛り上がりをみせました。 作品のカスタマーレビューは4.8。レビューの84%は星5つをマークし、コメント欄では「歴史的快挙!」や「平成最後のプレゼント」など、すがすがしいほどの歓喜で一色です。 この作品というのが、国民的人気アニメの「サザエさん」です。 アニメ・サザエさんは1969年(昭和44年)の10月5日、フジテレビで始まりました。少しだけでも見ていただくとわかりますが、現代のサザエさんとは表情も声も違っていて、磯野家全員の性格もエッジが効いています。 当時の時代背景を尊重し、原版のまま配信していて、社会生活史としても貴重な資料とも言える本編は見応えたっぷりなんです。 そこで今回私は、サザエさん一家の夕飯の皿数や、カツオが食べたいとせがむお菓子の種類、サザエさんが行くスーパー
「バナナフィッシュにうってつけの日」の中で、主人公シーモアがハネムーン先で出会った少女シビル・カーペンターに話す作り話に”Bananafish”が登場し、このバナナフィッシュという魚はバナナがどっさり入ってる穴の中に泳いで入って行くが、バナナをたくさん食べてしまうために穴から出られなくなり、挙句の果てにバナナ熱という病気にかかり死んでしまうのだと話し聞かせます。この話をしたあと、シーモアは少女を誘って海に泳ぎに行きますが、なぜか少女は、そこで「存在しないはずのバナナフィッシュを見てしまう」のです。シーモアはやがて宿へと戻り、眠っている妻の横で拳銃自殺してしまいます。 作者J・D・サリンジャーは、ポーランド系ユダヤ人の実業家の父と、スコットランド=アイルランド系のカトリック教徒の母の間に生まれたアメリカ人で、1942年の太平洋戦争の勃発を機に自ら志願して陸軍へ入隊しています。訓練を経て2年後
小熊英二先生が文化庁第二回世界メディア芸術コンベンション「想像力の共有地(commons)」http://www.simul-conf.com/icomag2012/index.htmlで講演されるというので、行ってきました。 最初、隣の国立新美術館と会場を間違えて、ついでなので『まどか☆マギカ』展も見てきました。展示は撮影禁止でした。 コンベンションは政策研究大学院で行われた。入場者は200人くらいかなあ。落ち着いていてよい感じでした。 以下、ごく粗いメモ。発言者の言葉そのままでは全然ない。 1 マンガとアニメーションの越境性・戦後日本社会の検証 小熊英二講演メモ 戦後日本で、なぜ質の高いマンガ・アニメが作られたか。 1950-60年代の日本の経済指数は発展途上国並みだった。しかし識字率は高かった。読書と映画が最大の娯楽だった。 日本は国内市場は大きい。国内市場が小さいと初めから世界市場
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