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アメリカと遺産に関するnagaichiのブックマーク (5)

  • ホープウェルの儀式用土塁群とは、米国の最新の世界遺産、見所も

    もやがかかったホープウェル文化国立歴史公園。(PHOTOGRAPH BY TOM ENGBERG, THE NATIONAL PARK SERVICE) 2023年、米オハイオ州にあるホープウェルの儀式用土塁群がユネスコの世界遺産に登録された。州の中央部から南部にかけて8カ所に点在する土塁(マウンド)群は、幾何学的な形をした土の構造物としては世界最大級だ。米国で25番目となる世界遺産登録で、オハイオ州からは初めて。 ホープウェル文化は、オハイオ州南部を流れる川の渓谷で紀元前200年~西暦500年に栄えた。以前は、このホープウェル文化を含む複数の北米先住民族をまとめて「マウンド・ビルダー」と考古学者たちは呼んでいた。そのなかでも、ホープウェル文化数学土木工学、天文学は北米で最も進んでいたと考える専門家もいる(ホープウェルとは、1890年代にこの土塁群が発見された土地の所有者の名に由来して

    ホープウェルの儀式用土塁群とは、米国の最新の世界遺産、見所も
  • 「イランは爆撃する米国の52の文化遺産を挙げるべき」発言の教授がクビに 「表現の自由」論争(飯塚真紀子) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    あわや第3次世界大戦かという危機感を世界に与えたアメリカとイランの対立。その元凶となったのは、トランプ氏がした「イランが報復したら、文化遺産を含む52の施設を攻撃する」という警告だった。 そして、トランプ氏のこの警告はアメリカで、新たなる波紋を生み出している。 トランプ氏の警告を批判するかのように、マサチューセッツ州にあるバブソン大学の非常勤教授アシーン・ファンジー氏がFacebookにこんな投稿をしたのだ。 「報復として、ハメネイ師(イランの最高指導者)は爆撃する米国の52の文化遺産を挙げるべきだ。うーん、モール・オブ・アメリカ?、カーダシアン家の住まい?」 ちなみに、モール・オブ・アメリカはミネソタ州にある全米最大のショッピングモールで、カーダシアン家はアメリカの人気番組「カーダシアン家のお騒がせライフ」で著名になったセレブ一家だ。 ファンジー氏がFacebookにした問題の投稿。出典

    「イランは爆撃する米国の52の文化遺産を挙げるべき」発言の教授がクビに 「表現の自由」論争(飯塚真紀子) - エキスパート - Yahoo!ニュース
    nagaichi
    nagaichi 2020/01/17
    もとのトランプ発言が相当アレだけど、アレに合わせてレベルを下げるのは不毛。……とはいえ、さすがにこれはジョークと判定したい。(政治的発言は発言者の意図を離れて悪意で解釈されやすい問題)
  • 100隻超える「幽霊船団」眠る湾が海洋保護区に

    米メリーランド州マローズ湾。第一次世界大戦時に建造された木造の蒸気船がひしめいている。(PHOTOGRAPH BY JAMES L. STANFIELD, NAT GEO IMAGE COLLECTION) 今から100年前、米国各地の造船所で、大量の木造蒸気船が建造された。第一次世界大戦で、ドイツ軍との戦闘に役立てるためだった。 歴史あるそれらの船は、現在も100隻以上が、米国メリーランド州マローズ湾に存在する。なかば沈んだ船は、鳥やコウモリ、魚やビーバーのすみかとなっている。(参考記事:「2400年前の沈没船を発見、驚きの保存状態」) 7月8日、この一帯50平方キロメートル弱が、米海洋大気局(NOAA)によって国立海洋保護区に指定された。米国で新しい国立海洋保護区が指定されるのは、ほぼ20年ぶりのこと。この「マローズ湾・ポトマック川国立海洋保護区」には、第一次世界大戦中の「幽霊船団」だ

    100隻超える「幽霊船団」眠る湾が海洋保護区に
  • アメリカ全土に点在する巨大な矢印。この正体はいったい? : カラパイア

    アメリカの各地に、長さ約21mの巨大な「矢印」が横たわっている。しかもコンクリート製だ。これらはすべて1920年代に建造されたものである。 一体これらは何なのだろう? UFOを呼び込むためのものとか、エイリアンに合図を送っているとか、政府の陰謀めいたアレなのか?とか、オカルトめいた妄想がとまらなくなってしまうわけだがそうではない。

    アメリカ全土に点在する巨大な矢印。この正体はいったい? : カラパイア
  • 「アメリカ独立宣言書」をどう保存するか | WIRED VISION

    前の記事 街を自在に飛び回るパルクール・ロボ(動画) Mac搭載ネットブック:『iPhone 3GS』で不要に 次の記事 「アメリカ独立宣言書」をどう保存するか 2009年7月 6日 Tony Long アメリカ独立戦争の間、独立宣言書は地図の『Thomas Guide』のように、丸めて持ち歩かれていた。これは、激動する戦況を考えれば無理からぬものだったのかもしれない。[独立宣言は、英国によって統治されていた13植民地が独立したことを宣言する文書。フィラデルフィアで開催された大陸会議で1776年7月4日に採択された宣言書は、フィラデルフィアが英国に占領された後、大陸会議と共に米国内部を転々と移動した] けれどもその後、貴重な文書の保存という点では理解しがたい出来事が起きている。1823年には、宣言書の模造品が作成された時に水で字がにじんでしまった。そしてその後、宣言書は約40年間、米国特許

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