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インドとイギリスに関するnagaichiのブックマーク (5)

  • いいアーティスト見つけたんだけどなんも読めないから何一つわからない→詳細が判明「異世界みたい」

    リンク Wikipedia タミル語 タミル語(タミルご、தமிழ் Tamiḻ)は、ドラヴィダ語族に属する言語で、南インドのタミル人の言語である。 同じドラヴィダ語族に属するマラヤーラム語ときわめて近い類縁関係の言語だが、後者がサンスクリットからの膨大な借用語を持つのに対し、当言語にはそれが(比較的)少ないため主に語彙の面で異なる。 インドではタミル・ナードゥ州の公用語であり、また連邦でも憲法の第8付則に定められた22の指定言語のひとつであるほか、スリランカとシンガポールでは国の公用語の一つにもなっている。 世界で18番目に多い7400万人 13 users 56

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  • 映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』は10億人の人の歴史を踏みにじる

    映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』は10億人の人の歴史を踏みにじる英国で政治家チャーチルを描いた映画がヒットした。だが英国に植民地として支配された歴史を持つインドから見れば、チャーチルは何百万人ものインド人を餓死させた人種差別主義者とうつるのだ。 私の実家では、べ物の好き嫌いを言ってはならない。「このべ物をつくるために、誰かが時間と労力をかけているのよ」と母に昔から教えられてきた。 私たちの家では、べ物を無駄にはできない。自分がべるものに、他の誰かが費やしてくれた時間と労力をありがたく思うことは、誰もがすること、あるいはすべきことだろう。 しかし、私の家族がテーブルに乗っているべ物に感謝する理由は、もっと深いところにある。私の両親は、インドとパキスタンの分割とそれに続く混乱と飢饉を経験し、そのトラウマを抱えながら生き抜いてきた。 彼らは、飢えた人々が虫け

    映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』は10億人の人の歴史を踏みにじる
  • カレーの歴史を洗い直したら大きな謎に突き当たった 日本カレーの“源流の源流”に迫る | JBpress (ジェイビープレス)

    における「カレー」が、場のインド由来でなく、英国を経由して日に伝わってきたというのは知られている話だ。明治初期、文明開化に伴い英国から西洋料理の1つとして伝わったとされている。 そうすると、日カレー史にとって「インドから英国にカレーが渡った」ということが重要な点の1つとなる。英国は1600年に東インド会社を設立し、インドに進出。1858年から1947年まではインドを植民地としていた。当然、この強い関係から、インドから英国に文化が紹介されて、英国におけるカレーが広まったことにはなりそうだ。 だが、誰がどのようにそれをしたのだろうか。 「ヘイスティングがカリを英国へ」原典は百科事典 日ではさまざまな媒体で、1772年頃、英国人ウォーレン・ヘイスティングズ(「ヘイスティングス」「ヘイスティング」の表記もあり)が、カレーの原料となるスパイスをインドから持ち帰ったと説明されている。ヘ

    カレーの歴史を洗い直したら大きな謎に突き当たった 日本カレーの“源流の源流”に迫る | JBpress (ジェイビープレス)
    nagaichi
    nagaichi 2016/10/15
    『へうげもの』にカレーが出てくるのはやりすぎだよなあと思った人の数→
  • 時事ドットコム:「ボンベイ」に戻します=インド商都ムンバイの表記−英紙

    「ボンベイ」に戻します=インド商都ムンバイの表記−英紙 【ロンドンAFP=時事】英紙インディペンデントは、インド西部の商都ムンバイの表記を旧称「ボンベイ」に戻す。アモル・ラジャン編集長(32)が10日、BBCラジオに出演し語った。1995年の「ムンバイ」への変更はヒンズー至上主義の極右政党シブ・セナ(SS)が主導した。編集長は「極右が望む言い方で呼べば、彼らに手を貸すことになる」と理由を説明した。 続きを読む フォーカス 怒濤の157枚 リオのカーニバル トランプ氏の (おんな)達 ハンサム国王夫 皇太子誕生 写真集PR 山 彩 灼熱ファッション コロンビア 覚せい剤逮捕 清原容疑者 残骸回収 北ミサイル ロ ー マ ファッション 世界で一番 うつくしいカオ 世界で最も ハンサムな顔 100人超不明 台湾倒壊ビル ドイツ南部 列車正面衝突

    時事ドットコム:「ボンベイ」に戻します=インド商都ムンバイの表記−英紙
  • チャーチルのインド人嫌悪、歴史的飢饉の原因に 印新刊が告発

    米国から帰国し、英ロンドン(London)の首相官邸前でトレードマークの勝利のVサインを見せるウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)英首相(撮影)。(c)AFP 【9月11日 AFP】第2次世界大戦中の英首相ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)が、インド人に対する人種的嫌悪感から、飢饉にあえぐインドへの援助を拒み、数百万人を餓死に追いやったと主張するが出版された。 第2次大戦中、日軍がインドへのコメの主要輸出国だった隣国ビルマを占領した後も、英国人が支配する植民地総督府は、兵士や軍需労働者にしか備蓄糧を開放しなかった。パニック買いでコメ価格は高騰。また日軍が侵入した場合に植民地内の輸送船や牛車が敵の手に渡ることを恐れた総督府は、これらを押収したり破壊したりしたため、流通網も破壊された。 こうして1943年、「人為的」に起きたベンガル

    チャーチルのインド人嫌悪、歴史的飢饉の原因に 印新刊が告発
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