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スペインと近世に関するnagaichiのブックマーク (19)

  • 350年前のスペイン難破船、宝物の山を発見

    350年前に沈没した難破船から宝石などさまざまな「宝物」が見つかった/ Courtesy The Bahamas Maritime Museum 海賊の伝説からハリウッド超大作にいたるまで、埋蔵された宝物や大昔の難破船の話は何世紀も人々を魅了してきた。だが、ある探検家チームにとっては伝説が現実になった。350年前に沈没したスペインのガレオン船から遺物の山を引き揚げると、そこにはかつて海洋の騎士たちが所有していた金貨や宝石や貴重な宝飾品が含まれていた。 1656年、「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・マラビーヤス(魅惑の貴婦人)」号は仲間の船と衝突した後、バハマ沖のサンゴ礁にぶつかって沈没した。船はキューバからスペインのセビリアへ、フェリペ4世へ税金として納める献上品など大量の宝を運んでいた。891トンの船は2年前に沈んだ別の沈没船から回収した宝を運ぶ任務も負っていたため、積荷はいつもより重

    350年前のスペイン難破船、宝物の山を発見
  • カルロス2世のWikipedia、競走馬用の血統フォームが使われてる→ハプスブルク家の近親婚は馬でもやらないヤバい血の濃さなのか...

    リンク Wikipedia カルロス2世 (スペイン王) カルロス2世(Carlos II, 1661年11月6日 - 1700年11月1日)は、ハプスブルク(アブスブルゴ)家最後のスペイン国王(在位:1665年 - 1700年)。 フェリペ4世とマリアナ王妃の息子である。フランス王ルイ14世妃マリア・テレサは異母姉、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の最初の皇后マルガリータ・テレサは同母姉に当たる。庶出の異母兄にオニャテ伯フアン・ホセ・デ・アウストリアがいる。 カルロス2世はスペイン王であると共にナポリ王国、シチリア王国などの南イタリアのほぼ全土の王であった。スペイ 13 users 37 G.B.遠藤(5G) @EndWorld318 PS4/HoI2/Stellaris。FEPKMOD共同作者もしくはFEPK-DHSA作者。Wikipedia友達。アイコンはFullkaiの人に描いていた

    カルロス2世のWikipedia、競走馬用の血統フォームが使われてる→ハプスブルク家の近親婚は馬でもやらないヤバい血の濃さなのか...
    nagaichi
    nagaichi 2021/11/20
    現在は修正済みのようだが、歴史趣味が人界の倫理をある程度度外視しないと成り立たないと判る例(違;
  • 戦国時代の日本の”実力”~「スペインが日本侵略」「秀吉の明征服」などはあり得たか(平川新氏の説を巡って)

    中公新書 @chukoshinsho 8月7日は、伊達政宗に仕えた支倉常長の亡くなった日です(1622年)。彼は慶長遣欧使節として海外に行き、帰国後に没しました。「秀吉・家康・政宗の外交戦略」の副題を持つ、平川新著『戦国日と大航海時代』は、当時の日とヨーロッパ列強による虚々実々の駆け引きを描き出した一冊です。 pic.twitter.com/J2EEO9w1Tl 2018-08-07 11:13:42

    戦国時代の日本の”実力”~「スペインが日本侵略」「秀吉の明征服」などはあり得たか(平川新氏の説を巡って)
  • シェイクスピア作品にも登場、「ムーア人」とは?

    シェイクスピアの戯曲『オセロ』の主人公は、ムーア人のヴェニス軍将軍。その主役の姿でここに描かれた19世紀のアフリカ系米国人俳優、アイラ・オルドリッジは、黒人では初めて英国でシェイクスピア劇の舞台に立った。(Photograph by Hi-Story, Alamy) 「ムーア人」という言葉をご存じだろうか。 聞き覚えはあるが、実際にはよくわからないとしても無理はない。シェイクスピア作品などの文学をはじめ、芸術、歴史書で目にするにもかかわらず、特定の民族を示す名ではないからだ。ムーア人とはむしろ、スペインをその時々に支配したイスラム教徒やアフリカ系の人々などを表す概念として、何百年もの間使われてきた言葉だ。 ラテン語の「マウルス」に由来するこの語は、もともと現在の北アフリカにあった古代ローマの属州、マウレタニアに住むベルベル人などを指す呼称だったが、次第にヨーロッパで暮らすイスラム教徒に対し

    シェイクスピア作品にも登場、「ムーア人」とは?
  • 実は世界一周を成し遂げていなかったマゼラン

    1519年9月、マゼランは5隻の船団を率いてスペインから出航した。3年後、ビクトリア号(1590年の地図に描かれている)ただ1隻が、世界を一周してスペインに帰ってきた。(GRANGER) 今から500年前の9月20日、フェルディナンド・マゼランが地球を一周する歴史的な旅に乗り出した。単純な探検の物語と思うかもしれない。だが、そんなことはなかった。探検家マゼランとその航海には矛盾が多い。マゼランはポルトガル人なのに、スペインを代表して航海に出た。非常に優れた船長だったが、乗組員からは嫌われていた。その遠征隊は初めて船で世界を一周したものの、マゼラン自身は一周を成し遂げていない。そもそも彼の名前はマゼランではなかった。 それでもなお、1519年に始まったフェルディナンド・マゼランの遠征を境に、世界がすっかり変わったのは間違いない。その旅は「史上最も偉大にして、最も重要な航海でした」と語るのは、

    実は世界一周を成し遂げていなかったマゼラン
  • 16世紀ラテンアメリカの反乱と武装蜂起 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Adamt 新たな秩序を求めて抗争が続いた16世紀のラテンアメリカ 16世紀前半にラテンアメリカに侵入したスペイン人征服者(コンキスタドール)は、火砲や馬といった優勢な武器、原住民同士の反目を利用して征服を実行し、1522年にはコルテスがアステカ帝国を、1533年にはピサロがインカ帝国を滅ぼしました。またスペイン人が持ち込んだ病原菌は免疫のない原住民の命を容易に奪い、原住民人口の大幅な減少をもたらしました。 ただし、原住民もただスペイン人にやられっぱなしだったわけではなく、帝国の王族の末裔を担いだり、宗教指導者の下に集まったりしてスペイン人支配に抵抗しました。 また征服した側のスペイン人も、スペイン国に富を収奪されることを嫌い、独自の支配を求めてたびたび国に歯向かっています。 16世紀のラテンアメリカは、スペインの植民地としての体制がまだ整わず半ば混乱状態にあり、その

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  • 「修復」で彫刻が台無しに スペインの教会で - BBCニュース

    ペンキのひとはけが退屈なインテリアを様変わりさせることもある。しかしそれが歴史的な彫刻なら、専門家に任せるのが最善の策のようだ。

    「修復」で彫刻が台無しに スペインの教会で - BBCニュース
  • テルシオという語にまつわる誤解について。 - 三分の一

    テルシオ(tercio)という言葉を日語版ウィキペディアで検索すると以下のような記述が見られる。 『テルシオ(tercio)は、1534年から1704年にかけてスペイン王国が採用した軍事編成。あるいはまた、その部隊の戦闘隊形。』 一読してわかる通り、ここではテルシオという言葉に対して二通りの意味が与えられている。 ひとつは編成単位として、ひとつは戦闘隊形としてのtercioである。 しかし、後者は歴史的には正しくない用法である。 実際にTercioが存在した16~17世紀期間中に、スペイン軍及びその他の国・勢力の戦闘隊形に対してtercioという名称が与えられた事実は確認できない。 同時代の史料は、tercioという言葉を常に前者の意味合いで使っている。 例えば1598年にロンドンで出版された『The theorike and practike of moderne warres』では巻

  • 16世紀の本から「中世ヨーロッパのメガネ跡」が見つかる

    メガネの発明は、視力が低下した人でも目を極端に近づけずにの文字を読んだり、遠くの物を見たりすることを可能にしました。そのため大きく人類史に影響を与えたともいわれるメガネの発明ですが、発明者の名前が正確に特定されているわけではなく、発明者については諸説あるとのこと。そんなメガネが中世ヨーロッパで使われていた証拠が、中世の写に残っていたそうです。 Early printed book contains rare evidence of medieval spectacles http://sites.utexas.edu/ransomcentermagazine/2012/04/17/medieval-spectacles/ これまでにメガネの発明者として多くの人々が名前を挙げられてきましたが、そのいずれも確かな証拠がないことが最近の研究者らによって示されています。メガネの発明者が誰かを特

    16世紀の本から「中世ヨーロッパのメガネ跡」が見つかる
  • ルネサンス期のヨーロッパ人の心をわしづかみにした「赤色」は小さな虫をすりつぶして作られていた

    By Slave2TehTink ヨーロッパをはじめ、日など世界各地では古くから「赤」、特にスカーレット(緋色)」や「茜色」と呼ばれる色は富と地位を象徴する色として扱われてきました。しかし鮮やかな赤は発色させることが難しく、天然の材料を使うしかなかった時代には、非常に貴重なものでした。そんな中、世界に衝撃を与えたのは、コチニールカイガラムシをすりつぶして作られた染料でした。 BBC - Culture - The insect that painted Europe red http://www.bbc.com/culture/story/20180202-the-insect-that-painted-europe-red 今でこそ、鮮やかな色を再現する方法は科学的に説明がつきますが、当時のヨーロッパで「鮮やかな色を再現する方法」は「魔法」のようなものであり、限られた職人グループの中で

    ルネサンス期のヨーロッパ人の心をわしづかみにした「赤色」は小さな虫をすりつぶして作られていた
    nagaichi
    nagaichi 2018/02/07
    「コチニールカイガラムシ」
  • 何千億円もの価値ある金銀財宝を積んだ307年前の幻の沈没船が発見される

    海底に沈んでしまったものの中で「最も引き揚げる価値のあるもの」と考えられてきた、307年前に金銀財宝を積んだまま沈没したスペインのガレオン船「サンホセ号」の残骸が発見されました。 Spanish galleon may contain biggest treasure haul ever found on seabed | World news | The Guardian http://www.theguardian.com/world/2015/dec/06/wreck-spanish-galleon-treasure-haul Colombia says treasure-laden San Jose galleon found - BBC News http://www.bbc.com/news/world-latin-america-35014600 発見された船の残骸は、もとも

    何千億円もの価値ある金銀財宝を積んだ307年前の幻の沈没船が発見される
    nagaichi
    nagaichi 2015/12/07
    エゲレスの私掠戦術の餌食になったイスパニア船。
  • 18世紀の沈没船から財宝、価値1億2000万円 米フロリダ

    米フロリダ沖に沈む18世紀のスペイン船から発見された財宝。財宝探索業者1715フリート・クイーンズ・ジュエルズが公開(2015年7月28日公開)。(c)AFP/HO/Queens Jewels LLC 【7月29日 AFP】まだ見ぬ財宝を求めて活動するトレジャーハンターの一家が、米フロリダ(Florida)州沖で18世紀のスペインの沈没船から推定100万ドル(約1億2000万円)の価値がある「戦利品」を発見した。一家に業務を委託していた会社が28日、発表した。 今回、発見された財宝は、金貨51枚、長さ12メートルの金の鎖でできた装飾品、スペイン王・フェリペ5世(Felipe V)のために鋳造された「ロイヤル」と呼ばれる特別なコインだ。 この中で最も重要なのは、非常に希少なコイン「ロイヤル」だと財宝の捜索を行っている業者「1715フリート・クイーンズ・ジュエルズ(1715 Fleet - Q

    18世紀の沈没船から財宝、価値1億2000万円 米フロリダ
  • スペイン「無敵艦隊」の残骸がアイルランド沖で発見 400年ぶり

    (CNN) 400年以上前に海底に沈んだとみられるスペインの軍艦の残骸がこのほど、アイルランド北西の沖合で発見された。同国遺産省のダイバーらによって大砲、木材、錨(いかり)といった人工物が数多く引き上げられている。 現場はアイルランド北西部スライゴ州のストリーダという町の沖合。発見された残骸は16世紀に「無敵艦隊」との異名をとったスペイン海軍の艦隊に所属した艦船「ラ・フリアーナ」のものとみられる。過去2年間の暴風雨で海底の砂が流され、埋まっていた人工物が露出したという。 アイルランドのハンフリーズ遺産相は新聞発表で、今年4月に木材部分が海岸に漂着したのを受け、調査を開始したと説明。「発見された人工物が歴史的、考古学的に極めて重要な史料であることは明らかだ」と述べた。これらの回収作業は向う数週間にわたって続く見通しだという。 ラ・フリアーナは1570年に建造され、無敵艦隊130隻の1隻に編入

    スペイン「無敵艦隊」の残骸がアイルランド沖で発見 400年ぶり
  • アントラキノンと「完璧な赤」 : 有機化学美術館・分館

    6月15 アントラキノンと「完璧な赤」 さて前回は、アントラキノン骨格を持った染料アリザリン(アカネ)について書きました。日を含め、世界各国で赤色のもととして重用された化合物です。 アカネ色素アリザリン しかしそれを上回るほどもてはやされたのが、16世紀にアメリカ大陸からもたらされた「コチニール」という染料です。これをヨーロッパに持ち帰ったのは、アステカ帝国を征服したスペイン人エルナン・コルテスでした。 コルテスの肖像(wikipediaより) コチニールは布への定着性が高く、鮮やかで深い赤色に染まるのが特徴です。ボイルの法則で知られ、化学という分野を切り拓いた一人であるロバート・ボイルは、「コチニールからは”完璧な緋色”が得られる」と絶賛しています。この色は「カーマイン」と呼ばれ、そのもととなる化合物は「カルミン酸」(carminic acid)と名付けられています。 カルミン酸。背景

    アントラキノンと「完璧な赤」 : 有機化学美術館・分館
  • 「ドン・キホーテ」の作者か?捜索チームが棺発見 スペイン

    三位一体女子修道院の地下室のアルコーブの中から見つかった棺の一部。セルバンテスのイニシャル「M.C.」と記されているのが分かる(2015年1月26日公開)。(c)AFP/Sociedad de Ciencia Aranzadi 1月27日 AFP】小説「ドン・キホーテ(Don Quixote)」の作者、ミゲル・デ・セルバンテス(Miguel de Cervantes)の遺体捜索が行われているスペイン・マドリード(Madrid)の女子修道院で、セルバンテスのイニシャル「M.C.」と記された棺の一部が見つかった。スペインの研究チームが26日に明らかにした。 セルバンテスの埋葬場所をめぐる謎を解き明かすため発掘作業を行っていた研究チームは、先週末に三位一体女子修道院(Convento de las Trinitarias Descalzas)の地下室のアルコーブ(壁のくぼみ)の中から棺の一部を発

    「ドン・キホーテ」の作者か?捜索チームが棺発見 スペイン
  • 「スペインの黄金時代」ヘンリー・ケイメン 著

    ひとは自身が属すると考える国、地域、民族、共同体の歴史の中に「黄金時代」を想定するものらしい。いつが「われわれの歴史」の「黄金時代」と考えるかは必ずしも統一されるわけではなく、その認識の違いがときに歴史観の対立となったりするが、稀にそれが揺るぎなく一致することがある。その最たる例として、スペインの「黄金時代」はスペイン人に限らず、世界中の人々の間でほぼ一致した認識があるだろう。十六世紀から十七世紀にかけて、ハプスブルク家の支配の下で世界中に植民地を築き「日の沈まぬ大帝国」として覇を唱えた時代である。 スペインに黄金時代はあったのかスペインの黄金時代については十七世紀から十八世紀の人々は十五世紀末~十六世紀初頭のカトリック両王の時代を黄金時代と考えていたらしい。これが十八世紀になると啓蒙思想家たちの間で十六、十七世紀の文化的成功こそ「黄金時代」にふさわしいと考えるようになり、その理解が現代ま

    「スペインの黄金時代」ヘンリー・ケイメン 著
  • Onlineジャーニー - Onlineジャーニー

    300年続く領土問題 小さな英領 ジブラルタル 参考資料:『Gibraltar』Maurice Harvey著、『ジブラルタル政府』ホームページ(www.gibraltar.gov.gi)、 『英国国立公文書館』ホームページ(www.nationalarchives.gov.uk)など 写真協力:ジブラルタル観光局(www.visitgibraltar.gi) 竹島、尖閣諸島など、領有をめぐる問題に大きく揺れる日。 かつて大英帝国として名を馳せ、最盛期には世界の陸地の4分の1を支配したと 言われる英国も、領土問題とは無縁ではない。 それどころか、ほんの31年前には南大西洋のフォークランド諸島をめぐり、 同諸島の領有を主張するアルゼンチンと戦火を交え、 両国合わせて3000人近い死傷者を出している 。近代国家であろうとも、 領土の争いによって血が流されるという 現実が露呈したことは、記憶に

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  • サムライ末裔?スペインのハポンさんDNA鑑定 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    江戸時代初期に渡欧したサムライの末裔(まつえい)ではないかと言われる「ハポン(Japo´n)」の姓を持つスペイン人のDNA鑑定を行い、日との関係を探る研究プロジェクトが、近く始まる。 スペイン語で「日」を意味する「ハポン」姓を持つ人は、スペイン南部セビリア近郊の町コリア・デル・リオとその周辺に約800人が住んでいる。サムライの末裔と言われるのは、〈1〉1614年にスペインに到着した「慶長遣欧使節」一行が同町に一時滞在した〈2〉古文書に「ハポン」姓が出現するのは、一行が去ってから数十年後から――などの理由からだ。 地元の郷土史家が「サムライの子孫」説を提起していることは、1992年のセビリア万博の数年前から日でも知れ渡り、関心を集めるようになった。

  • インディオは奴隷か,それとも人間か――16世紀スペインにおける議論 - Danas je lep dan.

    前々から気になっていたを読み終えた。歴史学ではなく政治学のだけれど。野蛮から秩序へ -インディアス問題とサラマンカ学派-作者: 松森奈津子出版社/メーカー: 名古屋大学出版会発売日: 2009/04/30メディア: 単行購入: 2人 クリック: 2回この商品を含むブログ (4件) を見る 近代政治思想の流れの中に,インディアス征服と取り組んだスペインの思想家たち,「サラマンカ学派」を位置づけるもの。彼らは,この未知の文明をどう扱うべきかの議論を重ねる中で,従来のキリスト教文明圏のみを対象とした政治思想から脱却し,世界全体を射程に収めた秩序観を樹立するに至った。政治思想にはさほど詳しくないのだが,何とか読むことができた 個人的にもっとも興味深かったのは第2章「理性と賢慮――インディオの性」(pp.73-185)。 ここでは,スペインの法学者たちがインディオの法的地位をめぐって行った論

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