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事件と戦後に関するnagaichiのブックマーク (7)

  • 沖縄「チビチリガマ荒らし事件」とは何だったのか?(打越 正行) @gendai_biz

    チビチリガマで起こったこと 9月、沖縄県読谷村のチビチリガマが少年らによって荒らされるという衝撃的な事件が起きた。器物損壊の容疑で逮捕されたのは4名で、沖縄県中部在住の16歳、18歳の無職の少年と、17歳の型枠解体工の少年、そして19歳の高校生(休学中)だった。 少年らがガマに侵入した動機は、「肝試し」と発表された。千羽鶴は引きちぎられ、骨壺は破壊され、「平和」と書かれた額は叩き壊された。「肝試し」に加わった、他のメンバーからは、「やるな、やるな」と制止する場面もあったという。 チビチリガマは、沖縄戦の戦跡のひとつである。沖縄戦は、地上戦が展開され、兵士だけでなく一般住民の多くが被害にあった。 チビチリガマでは、83名(新城俊昭著『琉球・沖縄史』より)の一般住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた。その過半数は子どもだった。大人も自身の手で「自決」はできなかっただろうし、子どもならな

    沖縄「チビチリガマ荒らし事件」とは何だったのか?(打越 正行) @gendai_biz
  • チビチリガマが破壊 内部荒らされる 遺骨や遺物、折り鶴も 遺族「ひどすぎる」 (琉球新報) - Yahoo!ニュース

    【読谷】沖縄戦で住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村波平のチビチリガマが、12日午前までに荒らされていたことが分かった。知花昌一さんが同日午前11時ごろに知人のジャーナリストを案内した時に発見した。 ガマ内部の遺骨が集められている部分も荒らされていた。ガマに残されていた遺物のビンやつぼ、急須などの遺物も割られていた。折り鶴が引きちぎられ、ガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」の石垣が破壊されていた。立ち入り禁止の看板も倒されていた。 遺族会の与那覇徳雄会長は「何のために。動機が分からない」と唇を震わせた。「今回は骨にも手を掛けられている。以前にもあったが今回はひどすぎる」と憤った。 現在、警察が規制し、調査をしている。【琉球新報電子版】

    チビチリガマが破壊 内部荒らされる 遺骨や遺物、折り鶴も 遺族「ひどすぎる」 (琉球新報) - Yahoo!ニュース
  • 韓国人慰霊碑脇の木が引き裂かれる 広島 平和公園 | NHKニュース

    5日、広島市の平和公園にある、原爆で犠牲になった韓国人の慰霊碑の近くに植えられたムクゲの木の幹が引き裂かれているのが見つかり、警察が器物損壊の疑いで調べています。 広島市や、在日韓国人でつくる民団=在日大韓民国民団広島県地方部によりますと、このムクゲは、平成25年ごろ、被爆2世で当時の広島駐在の韓国総領事が平和への願いを込めて植樹したものだということです。 ムクゲは韓国の国花で、3の木は高さが1メートルから1メートル70センチあり、いずれも枝分かれする部分から縦に引き裂かれていたということです。ムクゲを管理する民団広島県地方部は、市から連絡を受けて被害届けを出したということで、警察が器物損壊の疑いで調べています。 市によりますと、この場所では3年前の平成26年にも、木の苗が引き抜かれる被害があったということです。 民団広島県地方部のイ・ヨンジュン(李英俊)団長は「韓国だけでなく、

    韓国人慰霊碑脇の木が引き裂かれる 広島 平和公園 | NHKニュース
  • 「伝説のスナイパー」殺害の帰還兵に終身刑 NHKニュース

    イラク戦争に派遣され、アメリカ映画のモデルともなったアメリカ海軍特殊部隊の元隊員が、南部テキサス州で同じくイラク戦争から帰還した元兵士に殺害された事件で、現地の裁判所は元兵士に終身刑の判決を言い渡しました。 この事件はおととし2月、アメリカ海軍特殊部隊「シールズ」の元隊員、クリス・カイルさんが、南部テキサス州で海兵隊の元兵士、エディー・ルース被告に銃で殺害されたものです。 殺害されたカイルさんはイラク戦争に狙撃兵として4回派遣され、160人を射殺した「伝説のスナイパー」と呼ばれ、カイルさんをモデルにした映画アメリカン・スナイパー」は、先月から全米で公開され、興行収入の記録を更新するなど大きな話題を集めています。 カイルさんは軍を退役後、イラク戦争で心の傷を負う同僚の元兵士たちの相談に乗っており、ルース被告もイラクから帰還しカイルさんに相談していました。 裁判では、ルース被告側が精神的な

  • 替え玉? 自殺? アメリカの謀略? 戦後最大級の未解決事件・下山事件2 - エキサイトニュース

    いまから65年前の7月、その前月に発足したばかりだった日国有鉄道(国鉄、現JR)の総裁・下山定則が怪死するという事件が起こった。いまなお謎の部分の多いこの事件は、前回紹介したとおり、手塚治虫の長編マンガ『奇子(あやこ)』(1972年)でもとりあげられている(ただし作中では下山は霜川となっている)。 とある地方旧家の人々を描いたその作品中、一家の次男である天外仁朗がGHQの秘密工作員として、下山事件の予行練習として行なわれたと思しき殺人事件に関与する。殺害対象となったのは民進党(共産党がモデルだろう)の地方支部長・江野正。仁朗は、地元の駅で下車した江野を指定された場所まで連れて行き、べつの男たちに引き渡すという指令を与えられる。さらに30分後、同じ場所に戻り、そこに停められた車のなかにある人間の死体を、車ごと指定の線路まで運ぶ。そして死体を線路上に置き、車は放置したままさっさとその場を離れ

    替え玉? 自殺? アメリカの謀略? 戦後最大級の未解決事件・下山事件2 - エキサイトニュース
  • もうひとつの沖縄戦後史──「オッパイ殺人事件」と経済成長/岸政彦 - SYNODOS

    電子マガジン「α-synodos」新連載! 貧困、スラム、売春、犯罪……。1960年前後の「沖縄タイムス」の記事から、戦後沖縄の知られざる側面を鋭く切り取る。 *  *  * 沖縄戦が終わってから13年、復帰まであと14年。1958年は、「戦後沖縄」のちょうど折り返しの時期だった。 那覇のすぐ隣にあり、いまでは閑静なベッドタウンとなっている浦添市。1958年、この街で凄惨な事件が起こった。 ある日、浦添市沢岻付近の幹線道路で、走行中のトラックに飛び込んだAという29歳の青年がいた。Aは一命を取りとめたが、「可愛いやつを殺した、俺もこの車で轢き殺してくれ」とわめいていたという。 そのすこし前。Aは、近所に住む遠縁の自宅を訪れ、同じことを話していた。「一番可愛いやつを殺した。君や親戚を皆殺しにして、俺も死ぬ」そう叫んでいた。そして、Aは、ズボンのポケットから、切り取ったばかりの血まみれの片方の

    もうひとつの沖縄戦後史──「オッパイ殺人事件」と経済成長/岸政彦 - SYNODOS
  • 紅林麻雄 - Wikipedia

    紅林 麻雄(くればやし あさお、1908年〈明治41年〉 - 1963年〈昭和38年〉9月)は、日の警察官。担当した事件において、数多くの冤罪被害者を生み出した。 人物[編集] 現在の静岡県藤枝市出身。 自身が担当した幸浦事件(死刑判決の後、無罪)、二俣事件(死刑判決の後、無罪)、小島事件(無期懲役判決の後、無罪)、島田事件(死刑判決の後、無罪)の各事件で無実の者から拷問で自白を引き出し、証拠を捏造して数々の冤罪を作った。その捜査手法は紅林の部下も含めて静岡県警の警察官に影響を与えることになり、紅林自身は直接捜査に関与しなかったが袴田事件(死刑判決の後、再審が決定)などの冤罪事件を生む温床ともなった。 あらゆる手段を用いて被疑者を拷問し、自白を強要させるなどしたことから「拷問王」と称されている[要出典]。 紅林はさまざまな拷問の手法を考案したが、実行には直接関与せず部下に指示を出していた

    紅林麻雄 - Wikipedia
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