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台湾と現代史に関するnagaichiのブックマーク (16)

  • 池袋西口の中華『新珍味』はなぜ台湾独立運動の聖地となったか(田中 淳) @gendai_biz

    東京・池袋駅西口から徒歩3分。雑踏にたたずむ老舗の庶民派中華料理店『新珍味』が、最近、台湾人客の間で「聖地」としてクローズアップされていることをご存知だろうか。 店のオーナーは、昨年100歳となった現役の台湾人革命家・史明(しめい)。彼への再評価の気運が高まるとともに、『新珍味』を訪れる台湾旅行客が増えているのだ。 池袋西口の生き字引ともいうべき史明が語る、驚くべきエピソードの数々とは──。 「台湾独立運動のゴットファーザー」の店 「焼きギョーザに半ライス、あとビールね」 「大滷麵(ターローメン)とニラレバ炒め」 平日のランチタイムを過ぎたというのに、『新珍味』の客足は途絶えることがない。2階のテーブル席では常連たちがネクタイを緩めながら昼ビールで気勢を上げている。敷地面積わずか9坪で、1階はカウンター7席のみの小さな店ながらメニューは60種類を網羅。書き入れ時も作り置きせず、注文を受け

    池袋西口の中華『新珍味』はなぜ台湾独立運動の聖地となったか(田中 淳) @gendai_biz
    nagaichi
    nagaichi 2022/09/09
    id:BigHopeClasic 「gendai.ismedia.jp」と「gendai.media」の差みたいですが。 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/64326
  • 超高学歴版「田中角栄」? 謀略・金権・中国とのコネ…日本人が知らない“親日家”以外の李登輝 | 文春オンライン

    大日帝国軍人、中国共産党員、中国国民党員、台湾団結聯盟精神的指導者、特務の監視対象、台湾大学教授、テロリストの友達、独裁者の側近、台北市長、中華民国総統、キリスト教徒、親日家、金権政治家(黒金教父)、汚職疑惑の被告、ミスター・デモクラシー、漢奸、台湾の国父──。 これはいずれも、8月14日に葬儀がおこなわれた中華民国(台湾)の元総統・李登輝が97年間の人生のなかで背負った立場や肩書、ニックネームである。とても同一人物とは思えないほど、彼はさまざまな身分を背負ってさまざまな活動をおこない、毀誉褒貶を受けてきた。 李登輝はもとは優秀な農業学者だったが、48歳のときに総統の蒋経国に請われて独裁国家・中華民国の技術官僚になり、いつの間にか出世して1988年の蒋経国急死を受け代理総統に就任。上からの改革を進め、1996年には中華圏の歴史上初の民選総統になった。ただ、2000年の総統選で後継者の連戦

    超高学歴版「田中角栄」? 謀略・金権・中国とのコネ…日本人が知らない“親日家”以外の李登輝 | 文春オンライン
  • 李登輝元総統の訃報に接して : ふぉるもさん・ぷろむなあど

    館ブログ(書評等):ものろぎや・そりてえる(http://barbare.cocolog-nifty.com/) ツイッター:https://twitter.com/troubadour_k (運営者:黒羽夏彦 /黑羽夏彥/KUROHA Natsuhiko 2014年1月開設) 昨晩(2020年7月30日)、李登輝・元総統が入院先の台北榮民総医院で亡くなられた。まずは深く哀悼の意を表したい。1923年生まれだから、97歳。その前日からネット上で「死去したのではないか」という噂が出回っていたが、台湾團結聯盟が声明を出して否定するという一幕もあった。おそらく容体の急変で病院周辺が慌ただしい様子を見せたことからそのような情報が出てきたのだろう。30日の午前中には蔡英文・総統、頼清徳・副総統、蘇貞昌・行政院長らが急遽、日程をキャンセルして李登輝のお見舞いに訪れており、やはり切迫した状態だったこと

    李登輝元総統の訃報に接して : ふぉるもさん・ぷろむなあど
  • 日清食品創業者・安藤百福の歴史から「消えた娘」は台湾でホームレスになっていた | 文春オンライン

    台北市内の喫茶店で嘆息しながら語るのは、安藤百福の事実上の長女として出生した呉美和(ウー・メイホゥ、76)だ。グレイヘアを上品にまとめ、穏やかな笑みをたたえた彼女が、日々の事にも困窮するホームレスとはにわかに信じがたい。だが美和は傍らのスマートフォンと、くたびれたキャリーバッグ、黒ずんだデイパック、衣類をギュウ詰めにしたビニール袋を指差し「これが私の全財産」と自虐気味に笑う。 現在は台湾で路上生活を送る呉美和 ©田中淳 美和は今年2月から1ヵ月間、単身で東京に滞在した。 目的は、異母弟に当たる日清品ホールディングス代表取締役社長(CEO)の安藤宏基(71)と面会すること。だが、予約なしで日清品東京社を突撃したところで社長に会えるはずもなく、ガードマンに速やかな退出を求められたという。実はこれまでにも、彼女は何度となく同じような行為を繰り返している。 「百福の娘として世間に認められた

    日清食品創業者・安藤百福の歴史から「消えた娘」は台湾でホームレスになっていた | 文春オンライン
    nagaichi
    nagaichi 2019/03/30
    報道されることで、日本側遺族の対応も少しは変わるかしらん。それとも
  • 中華ゲーム見聞録:1945年の台湾が舞台のADV『雨港基隆』政府による民衆虐殺があった歴史的事件「二・二八事件」を扱った台湾人の物語 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

    中華ゲーム見聞録:1945年の台湾が舞台のADV『雨港基隆』政府による民衆虐殺があった歴史的事件「二・二八事件」を扱った台湾人の物語 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト
  • なぜNHK「まんぷく」は、安藤百福の“台湾ルーツ”を隠したのか(野嶋 剛) @gendai_biz

    日清品創業者の安藤百福(1910-2007)と、その・仁子をモデルにしたNHK連続テレビ小説「まんぷく」が好調だ。視聴率は放送開始1ヶ月以上を経ても、20%超をキープする。インスタントラーメンという国民への視聴者の関心の高さを感じさせるが、物語には、一切触れられていないことがある。 それは安藤百福が台湾出身者であるという来歴である。なぜ台湾というルーツが消されたのか。安藤とはいかなる人物だったのか。『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』著者の野嶋剛氏が台湾の故郷への現地取材を行うと意外な事実が次々と明らかになった。 国籍と即席麺 放送が始まったのが今年10月。私もほとんど欠かさず見ており、戦前戦後の厳しい社会環境でたくましく支え合う2人の夫婦愛に時には心を揺さぶられ、時にはハラハラしながら引き込まれている。現在までの視聴率もなかなか好調なようである。 このドラマでは、安藤は日人として描

    なぜNHK「まんぷく」は、安藤百福の“台湾ルーツ”を隠したのか(野嶋 剛) @gendai_biz
    nagaichi
    nagaichi 2018/11/11
    『麺の歴史』では中国のことを生き生きと語ってた印象あるわ、安藤会長。
  • 国民党の弾圧、検証へ 台湾、民進党が立法化:朝日新聞デジタル

    衆院選 速報 朝刊 記事一覧 紙面ビューアー 夕刊 記事一覧 紙面ビューアー 連載 特集 ランキング コメント その他 動画・音声・写真 土曜別刷り「be」 記者イベント 天気 数独 12星座占い サイトマップ 検索 ヘルプ Q&A(よくある質問) 総合ガイド お申し込み ログイン マイページ 有料会員紙面ビューアーコース登録済み 無料会員(クーポン適用中)紙面ビューアーコース登録済み 無料会員紙面ビューアーコース登録済み 朝日ID会員朝日新聞デジタル未登録 紙面ビューアーコース お客様サポート(個人設定) お客様サポート(個人設定) メール設定 スクラップブック MYキーワード 会員特典・プレゼント 提携プレミアムサービス ログアウト

    国民党の弾圧、検証へ 台湾、民進党が立法化:朝日新聞デジタル
  • 戦後・台湾の生きた歴史に迫る~『牯嶺街少年殺人事件』 -- 朝日新聞GLOBE

    © 1991Kailidoscope シネマニア・リポート Cinemania Report [#38] 藤えりか 中台分断から60年以上、自らを中国と切り離した「台湾人」だと強く意識する世代が増える台湾。1960年代初めの台湾が舞台の『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(英題:A Brighter Summer Day)(1991年)を見ると、その淵源を垣間見る思いがする。4Kデジタル修復版が日で11日に公開されたのを機にプロデューサー余爲彦(ユー・ウェイエン)(65)と来日した、主演の張震(チャン・チェン)(40)にインタビューした。 インタビューに臨むチャン・チェン=仙波理撮影 『牯嶺街少年殺人事件』の舞台は1960~61年の台北。第2次大戦後、中国共産党との内戦に敗れて国民党政権とともに大陸から渡った「外省人」と、戦前から住む「省人」との対立が深まっていた。大人たちの不穏な

    戦後・台湾の生きた歴史に迫る~『牯嶺街少年殺人事件』 -- 朝日新聞GLOBE
  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ ※カテゴリは、「その他のお問い合わせ」を選択して下さい。

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  • 台湾「228事件」で日本人遺族が賠償申請 | NHKニュース

    台湾で、戦後、中国大陸から来た国民党政権によって住民が武力で弾圧された「228事件」に巻き込まれ、犠牲になったとされる沖縄県出身の2人の遺族が、2日、台湾を訪れ、被害の認定と賠償を求める手続きを行いました。 事件では、現地にいた日人も巻き込まれたことが明らかになっていて、沖縄県の与那国島出身の2人の遺族は、2日、台北にある、事件の被害者の認定などを行う台湾の財団法人を訪れ、認定と賠償を求める申請書を提出しました。申請によりますと、2人は、当時、仕事台湾を訪れていて、事件に巻き込まれ亡くなったとしています。 台湾側は、日人への賠償については、台湾の人々に対する日の戦後補償が十分でないことを理由に認めていませんでしたが、申請が認められなかったために裁判を起こした別の日人遺族への賠償を命じるはじめての判決がことし2月、確定しました。 事件当時39歳だった石底加ねさんの娘の具志堅美智恵さ

    台湾「228事件」で日本人遺族が賠償申請 | NHKニュース
  • 台湾:弾圧「2・28事件」 日本人へ賠償、初認定 | 毎日新聞

    【台北・鈴木玲子】台湾で1947年に国民党政権が台湾住民を武力弾圧し多数の死傷者を出した「2・28事件」で日人の父親が犠牲になったとして、日人遺族が台湾当局に損害賠償を求めた行政訴訟の判決で、台北高等行政法院(裁判所)は17日、600万台湾ドル(約2056万円)を支払うよう命じた。同事件で外国人被害者に賠償を認めたのは初めて。 訴えていたのは、沖縄県浦添市の青山恵昭(けいしょう)さん(72)。青山さん一家は日統治下だった台湾・基隆で暮らし、漁師だった父の故・恵先(えさき)さん(当時38歳)は出征後、ベトナムで終戦を迎えた。復員後の47年3月、台湾に家族を迎えに行き、基隆で国民党軍の兵士に連れ去られ、行方不明になった。

    台湾:弾圧「2・28事件」 日本人へ賠償、初認定 | 毎日新聞
  • 時事ドットコム:昭和天皇「蒋介石支持を」=国連代表権問題、佐藤首相に促す−日米文書で判明

    昭和天皇「蒋介石支持を」=国連代表権問題、佐藤首相に促す−日米文書で判明 蒋介石総統率いる中華民国(台湾)政府が国連の代表権を失う直前の1971年6月、佐藤栄作首相が米国のマイヤー駐日大使(共に当時)と会談した際、昭和天皇から「日政府がしっかりと蒋介石を支持する」よう促されたと伝えていたことが分かった。秘密指定解除された米国務省の外交文書で判明した。台湾の国連代表権維持への後押しを伝えたものとみられる。天皇の政治問題への関与発言が公になるのは極めて異例だ。  この問題について、日の外交文書にも「陛下が(中国問題を)心配しておられた」というマイヤー大使に対する佐藤首相の発言が記載されている。昭和天皇の発言の背景には、蒋介石が終戦直後に中国に残った日人の引き揚げや天皇制の尊重、対日賠償請求権の放棄など「以徳報怨」(徳をもって恨みに報いる)と呼ばれる寛大な対日政策を取ったことに「恩義」や「

    時事ドットコム:昭和天皇「蒋介石支持を」=国連代表権問題、佐藤首相に促す−日米文書で判明
  • | 野嶋ブログ「私は書きたい」

    大学は上智大学新聞学科でジャーナリズムを専攻。 朝日新聞に入社後、佐賀支局、久留米支局、福岡部など九州で6年ほど過ごし、2001年からシンガポール支局長に着任。9・11テロでアフガン、イラクに派遣される。その後政治部記者を経て、2007年から2010年まで台北支局長。帰国後、朝日新聞東京社国際編集部次長として中国語ウエブサイト「朝日新聞中文網」を立ち上げ、編集長を務める。現在、週刊誌「AERA」編集部に所属。 著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)「二つの故宮博物院」(新潮社)「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)「銀輪の巨人 ジャイアント」(東洋経済新報社))「チャイニーズ・ライフ」(訳書 明石書店)「ラスト・バタリオン 蔣介石と日軍人たち」(講談社)「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)。

    | 野嶋ブログ「私は書きたい」
    nagaichi
    nagaichi 2015/02/12
    「これに気づいた教師が『陳は支那人じゃない、台湾は日本領だから日本人だぞ』と付け加えたことにかえってショックを受け、『支那人がなぜいけないんだ? おれは支那人だ!』と心のなかで叫んだ」
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    大学は上智大学新聞学科でジャーナリズムを専攻。 朝日新聞に入社後、佐賀支局、久留米支局、福岡部など九州で6年ほど過ごし、2001年からシンガポール支局長に着任。9・11テロでアフガン、イラクに派遣される。その後政治部記者を経て、2007年から2010年まで台北支局長。帰国後、朝日新聞東京社国際編集部次長として中国語ウエブサイト「朝日新聞中文網」を立ち上げ、編集長を務める。現在、週刊誌「AERA」編集部に所属。 著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)「二つの故宮博物院」(新潮社)「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)「銀輪の巨人 ジャイアント」(東洋経済新報社))「チャイニーズ・ライフ」(訳書 明石書店)「ラスト・バタリオン 蔣介石と日軍人たち」(講談社)「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)。

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    nagaichi
    nagaichi 2014/05/01
    『ラスト・バタリオン』って、お題がキワモノすぎないかと。
  • 47NEWS(よんななニュース)

    強烈な揺れと津波に襲われた能登半島最先端、震源近くの町は今どうなった? 深刻な人口減少、高齢化…「それでも」住民は力強く語った

    47NEWS(よんななニュース)
  • 砲撃の島をゆく―台湾・金門ルポ:時事ドットコム

    砲弾からたちまち包丁が 包丁の刀身とするため、砲弾を焼き切る呉さん 「これはみんな、毛主席からの贈り物です」 開口一番、包丁づくりのベテラン職人、呉増棟さん(54)が仕事場に山と積まれた砲弾を指して言った。 ここは台湾支配地域で中国に最も近い金門島。どうも見学客が訪れるたび、同じ言葉で笑いをとっている疑いがあるが、たしかにウイットの利いた言い回しだ。ただし、そのウイットを理解するには、ある程度の予備知識がいる。 1958年、毛沢東の中国は金門島に集中的な砲撃を浴びせ、奪取を図った。着弾した砲弾は、44日間で実に47万9554発。当時子どもだった住民は「雨のように降り注いだ。サイレンが鳴るたびに防空壕に駆け込んだ」と振り返る。多数の死傷者を出しつつ、台湾側が金門を死守したが、砲撃合戦はその後ルーティンワークのようになり、70年代末まで続いた。 呉さんは島に無数に残る砲弾から、包丁をつくる。包

    砲撃の島をゆく―台湾・金門ルポ:時事ドットコム
    nagaichi
    nagaichi 2011/11/29
    台湾(中華民国)の福建省。
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