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ブックマーク / blog.talktank.net (6)

  • (包摂的)ポピュリズムが成功する可能性はあるか?

    1. なぜ「マジョリティのヘテロ男性」は差別され得ないのか? 文化人類学やカルチュラル・スタディーズは"差別というのは、基的に「コミュニティの境界確定」のためにある"と論じてきた。 自然界は通常、曖昧なものである。 例えば、大人と子どもを考えてみよう。 村の秩序は、たとえば大人になれば村の方針を決める寄合に参加できる、酒が飲める、結婚ができる、と行った「権利」を「大人」に付与するであろう。 一方、昆虫の類ではない人類に、大人と子どもの境界線が自然に与えられるわけではない。 大人であるかどうかは、年齢であったり、慎重であったり、第二次性徴があったかどうかだったり、あるいは「戦に出る」能力と行ったなんらかの能力であったりで決められるだろう。 現代社会であれば、法律は通常年齢を大人と子どもの境目を決める手段として選び、特に誰が何かを宣言しなくても、法律は全ての個人を粛々と大人に分類していくだろ

    (包摂的)ポピュリズムが成功する可能性はあるか?
  • 野党とは何か。あるいは、民主国家はどのような「政党」を持つべきか。

    財団が発表している「18歳意識調査」第12回 テーマ:国会改革について、という報告書は、我が国の若者の「政治」に対する理解についての、なかなか深刻な問題を表しているように思う。ちゃんと精査したわけではないが、一読しての感想として 1)とにかく、意見の違いが顕在化するのが落ち着かない。2)「成果の客観的評価」が可能だと思っている。3)討議は少人数で短く行うべき。といった感覚を抱いている回答者が多い印象を受ける。 全体に自己啓発系ビジネス書っぽいという印象を抱く。ただ、そういう意味では昨今メディアやポピュリスト政党が強調する「カイカク」(してるふり)と同根であり、若者が、というより日社会に蔓延する空気の問題なのだと思う。 実際、大学の授業でも政策決定プロセスについての話になると「野党が情けないから」「批判ばかりだから」社会問題が解決できないというコメントも出てくる。 そんなわけで、我々は

    野党とは何か。あるいは、民主国家はどのような「政党」を持つべきか。
  • 沖縄と福音派教会: あるいは「隣人を理解し、尊重することと批判的になることの両立」という問題について|天使もトラバるを恐れるところ

    「米軍属女性遺棄 悲しみに共感 教会に通う米軍人や軍属ら」(琉球新報) という記事にあるとおり、ネイバーフッドチャーチ沖縄の牧師の呼び掛けて、信徒が「沖縄とともに悲しんでいます」といったプラカードを掲げて国道に立った。 この行為について、背後にタカ派色を強める新興宗教「幸福の科学」がいるのではないかという指摘がある。一方で、それはガセネタで「集会は純粋なものだったので安心してほしい」という反論もあった。これは、両方とも「ある程度は事実で、ある程度は間違い」というべきものであろう。これはまず、アメリカのキリスト教の文脈を理解する必要がある。 まず、ネイバーフッドチャーチ沖縄は、"Assemblies Of God"(AG)というペンテコステ派系の教団に属する教会である。詳細は追って説明するが、AGはカルトというわけではなく、一般的なプロテスタント教会の一つであると考えられているが、プロテスタ

    沖縄と福音派教会: あるいは「隣人を理解し、尊重することと批判的になることの両立」という問題について|天使もトラバるを恐れるところ
  • 社会包摂のための言論の自由とその限界について

    1)「言論の自由」はデモクラシーの根源である 「言論の自由」はデモクラシー(民主制)の根源であると考えらえている。というのも、第一に自分のおかれた苦境について、そのことを表明し、社会に対して改善を求めることから始まるからである。もちろん、この苦境の原因には、上位者の社会的不正やより直接的な抑圧も含まれるであろうから、言論の自由が完全に認められないことは、それが社会的問題として認識されることを阻むことになる。 フランス大革命に先立って、Cahier de doléances (カイエ・ド・ドレアンス/陳情書)が三部会によって全国から収集された。特に第三身分(平民)からは生活の不満が多く伝えられた。アントニオ・ネグリに言わせれば、これが民主制の原点である。つまり、クレーム(異議申し立て)という言葉は、日ではあまりいい意味に使われないことが多いが、弱い立場の人のドレアンス/クレームがどれだけ自

    社会包摂のための言論の自由とその限界について
  • 科学と差別について

    科学と差別の関係は複雑である。 差別の定義も多様であるが、ここでは「人の行為ではなく属性によって取り扱いに差をつける」ということにしておく。 また「人の努力によってどうすることも出来ない事柄で不利益な扱いをすること」という言い方をすることがあるが、これはたぶん「属性」だと意味がよくわからないことを配慮して言い換えたものではないか、と推量される。ここでいう「属性」とは、たとえば国籍や民族、宗教、人種、家柄、肌の色、心身の障がい、性的指向、といったことである。 単に「差をつける」のか「不利益な扱い」に限定するのかは論点の一つである。 一般には、たとえば「黒人/アフリカ系であればトラック競技が得意であろう」といった前提で物事を決めるのも、表面的には「不利益」ではなく優遇措置に見えるが、それによってトラック競技をしたい「黒人ではない」人々に不利だということだけではなく、トラック競技が得意であろ

  • 何故日本に緑の党が必要か? あるいは参加型民主制の必要性について

    緑の党については「国際的に見て緑の党が、政党であるだけでなく、私自身も深く関わっているオルタグローバル運動(通常は政党政治とは距離をとることが多い)の一つでもある」という両義性を持っていることなどから、関心とシンパシーを持って眺めてきた。また過去、スウェーデン緑の党の創立メンバーであるペール・ガットン氏や、現在フランス緑の党の代表であるパスカル・デュラン氏などの話を聞く機会も得られたので、この機会に論点をまとめておきたい。なお、私自身は日の緑の党の党員ではないが、身内が深く関わっていると言うことで、あまり中立的な立場ではないということを加味してお読みいただきたいが、一方でこの文章で日の有権者一般に「緑の党に投票しよう」ということを呼びかける、という意図があるわけではない。 なぜ日に緑の党が必要なのだろうか? 脱原発のためだろうか? TPPに反対するためだろうか? そういったことは、緑

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