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ブックマーク / mujin.hatenadiary.jp (31)

  • 諸葛誕の父 - 思いて学ばざれば

    『世説新語箋疏』を読んでいたら、諸葛誕の父は諸葛玄じゃないかとの推測が書いてあった。 『世説新語箋疏』方正篇 余嘉錫は考える。 諸葛靚の姉は司馬懿の子である琅邪王司馬伷の王妃である。『晋書』司馬伷伝によると、司馬伷の長子・司馬覲は字を「思祖」といったという。『北堂書鈔』『太平御覧』に引用する『晋武起居注』では「東莞王の世子・司馬瑾」と作っており、諸葛子瑜と同名である。字を「思祖」というのは、外祖父である諸葛子瑜を思慕するという意味なのだ。 三子・司馬繇は字を「思玄」という。『諸葛亮伝』には「諸葛亮の従父・諸葛玄」とあり、書「品藻篇」では「諸葛誕は諸葛瑾・諸葛亮の従弟」とある。さすれば諸葛誕は諸葛玄の息子なのだろう。「思玄」というのは、外曾祖父を思慕するという意味なのだ。 『太平御覧』に引用する『魏末伝』は、「諸葛誕が文欽を殺したので、文欽の子・文鴦と文虎は、諸葛誕を殺してその肝をった」

    諸葛誕の父 - 思いて学ばざれば
  • 2012年12月25日のつぶやき - 思いて学ばざれば

    2012年12月25日のつぶやき - 思いて学ばざれば
    nagaichi
    nagaichi 2012/12/27
    「司馬覲の字は『祖父の諸葛瑾を思慕する』、司馬繇の字は『諸葛玄を思慕する』という意味である…という説」<地味にワロタ;その発想はなかった;
  • 2011年12月01日のつぶやき - 思いて学ばざれば

    2011年12月01日のつぶやき - 思いて学ばざれば
  • 曹操廟に合祀された 25(+5) 功臣 - 思いて学ばざれば

    明帝青龍元年(二三三) 夏侯惇(大将軍) 曹仁(大司馬) 程昱(車騎将軍) 斉王正始四年(二四三) 曹真(大司馬) 曹休(大司馬) 夏侯尚(征南大将軍) 桓階(太常) 陳羣(司空) 鍾繇(太傅) 張郃(車騎将軍) 徐晃(左将軍) 張遼(前将軍) 楽進(右将軍) 華歆(太尉) 王朗(司徒) 曹洪(驃騎将軍) 夏侯淵(征西将軍) 朱霊(後将軍) 文聘(後将軍) 臧霸(執金吾) 李典(破虜将軍) 龐悳(立義将軍) 典韋(武猛校尉) 斉王正始五年(二四四) 荀攸(尚書令) 陳留王景元三年(二六二) 郭嘉(軍祭酒) 同時代人の目するところ、この 25 人が魏の建国の功臣というわけである。 ただし裴松之の指摘するように、晩年は曹操と対立して外されている荀彧、典韋を上まわる功績を立てた許褚、この 2 人を加えて実質は 27 人とすべきだろう。 さらに個人的な見解を差しはさめば、献帝の奉戴を勧めて、のちに

    曹操廟に合祀された 25(+5) 功臣 - 思いて学ばざれば
  • 献帝推戴はとっさの思いつき - 思いて学ばざれば

    曹操が献帝を推戴したのはとっさの思いつき。 もともと曹操は、袁紹のもとにいた。袁紹は後漢の光武帝の戦略をつよく意識していて、だからこそ都落ちしたとき河北へ行ったのだろうが、最初は自分が帝位につくつもりはなく、劉虞を帝位につけて、自分はちょうど光武帝における鄧禹のような役割を担おうとしていた。状況証拠から憶測すると、そうなる。曹操は、その袁紹のもとで部将をやっていた。 ところが袁紹は、献帝の正統性に否を突きつけつつ劉虞を帝位に登らせる戦略に頓挫してしまって、けっきょく献帝に屈服することになる。その理由は、劉虞が帝位を固辞したということもあるし、諸侯の反応が芳しくなかったということもある。献帝に服従したとき、袁紹がもらった官職は右将軍だから、袁術よりも下位に甘んじたことになる。宿敵の公孫瓚でさえ袁紹の服従を無邪気に喜んでいるくらいだから、袁紹がいかに惨めな月日を味わったかよく分かるというものだ

    献帝推戴はとっさの思いつき - 思いて学ばざれば
  • 曹操の墓 - 思いて学ばざれば

    【枕流亭ブログ】曹操の墓キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!

    曹操の墓 - 思いて学ばざれば
    nagaichi
    nagaichi 2009/12/28
    今回、うちが初の100ブクマ達成したのは、話題性+速報性の勝利wであったのですが、早い時間帯にmujinさんにリンクしていただいたのが相当に効きました。感謝。
  • 光武帝と雉 - 思いて学ばざれば

    『古小説鉤沈』に引く『列異伝』 秦の穆公の時代、陳倉の住民が地面を掘って、異様な生き物を見つけた。その形は猪にも似ていないし、羊にも似ていない。人びとは名前がよく分からなかった。 穆公に献上しようと引っぱって(行くうちに)、途中で二人の子どもに出会った。 子どもが言った。「こいつの名前は媼といって、いつも地面の下で死人の脳みそをってんだぜ。もし殺すつもりなら、こいつの頭に柏を突きさすといいよ。」 媼が言いかえした。「あの二人の子どもは名前を陳宝といって、雄を捕まえたものは王者になれるし、雌を捕まえたものは覇者になれるんだ。」 陳倉の住民は媼を置き去りにして二人の子どもを追いかけた。子どもは雉に化け、乎林に飛んでいった。 陳倉の住民が穆公に報告すると、穆公は労役囚を駆りあつめて大々的な山狩りをし、ついに雌のほうを捕まえたが、ふたたび化けて石になってしまったので、汧・渭のあたりに据えおいた。

    光武帝と雉 - 思いて学ばざれば
    nagaichi
    nagaichi 2009/11/29
    もぐらじゃなかった。『正字通』女部:「媼,地神曰媼。」/『史記』では穆公じゃなくて文公。『史記』秦本紀:「(文公)十九年,得陳寶。」
  • 曹純の年齢がおかしい - 思いて学ばざれば

    『水経注』が曹騰やその一族の碑に言及していることはよく知られている。 『水経注』巻二十三 (原文)濄水又東,逕譙縣故城北。《春秋左傳・僖公二十三年》,楚成得臣帥師伐陳,遂取譙,城頓而還。是也。王莽之延成亭也。魏立譙郡,沇州治。沙水自南枝分,北逕譙城西,而北注濄。濄水四周城側,城南有曹嵩冢,冢北有碑,碑北有廟堂,餘基尚存,柱礎仍在。廟北有二石闕雙峙,高一丈六尺,榱櫨及柱,皆雕鏤雲矩,上罦罳已碎。闕北有圭碑,題云:《漢故中常侍長樂太僕特進費亭侯曹君之碑》,延熹三年立。碑陰又刊詔策,二碑文同。夾碑東西,列對兩石馬,高八尺五寸,石作麤拙,不匹光武隧道所表象馬也。有騰兄冢。冢東有碑題云:《漢故潁川太守曹君墓》。延熹九年卒,而不刊樹碑歲月。墳北有其元子熾冢,冢東有碑,題云:《漢故長水校尉曹君之碑》。歷太中大夫﹑司馬﹑長史﹑侍中﹑遷長水,年三十九卒,熹平六年造。熾弟胤冢。冢東有碑,題云:《漢謁者曹君之碑

    曹純の年齢がおかしい - 思いて学ばざれば
  • id:isikeriasobiさんの孤独に泣いた - 思いて学ばざれば

    http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/mujin/20091006/p1 これはひどすぎる…。あれだけisikeriasobiさんを代弁するふりをしておきながら、実はまったくかれの主張を理解してなかったとは…。ちょっとちくいちお尋ねしますけど、 id:WinterMute コミュニケーション 排外主義に賛成していると思われてたのか……。周辺話題の噛み合わない感もそういう話なのかなー。 2009/10/09 あなたが排外主義に賛成していると、わたしが誤解しているとあのエントリから読みとれるんですか? ちょっと噛み合わないにもほどがあると思うんですが…。わたしが言っているのは、かつてisikeriasobiさんを支持して反日上等を批判してきた人は、あのときとおなじ理由で今回もtoledさんを批判しつづけるべきってことなんですよ。排外主義そのものは

    id:isikeriasobiさんの孤独に泣いた - 思いて学ばざれば
    nagaichi
    nagaichi 2009/10/09
    かつて青島刑事(CV:isikeriasobi)が「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きているんだ!」と言ったのに、観客は共感した。青島刑事は去り、また会議室の人(CV:mujin)が勝手なことをいい始めている図にしか見えない。
  • 選挙権は権利です - 思いて学ばざれば

    衆院選が終わったあとで言うのもあれだけど、選挙前だと言いにくい雰囲気なんだよね。 「選挙権を行使しない人には政治を語る資格はない」という言いぐさが、キライです。 そういう人はなぜか「被選挙権を行使しない人には…」とは決して言わないんですよ。それ言っちゃうと自分に跳ねかえってくるから。 まあ、こういう言いかたをする人ってのは、国民が政治にたずさわる方法が選挙しかないと思ってるわけで、逆にいうと、選挙権さえ行使すれば責務をはたしたつもりになれてしまうので、かえって危険なんですよね。国政にたずさわる方法は一つだけじゃあない。いくつもの方法があるなかで、そのうちの一つでしかないわけ。 あまっさえ、他人の発言を聞きいれない口実にするなんてのは、もう最低。人間としてありえない。行使しなければ非難されたり別の権利をうばわれたりする「権利」って、なによ。そんなの権利でもなんでもない。権利という言葉の意味す

    選挙権は権利です - 思いて学ばざれば
    nagaichi
    nagaichi 2009/09/08
    ガチな反体制主義者やアナキストにとっては、選挙参加は体制の正統性を追認する行為になるね。また直接行動を重んじる立場では、選挙参加は自分の政治性の委任移譲になる。俺はそこまで原理的になれんけど。
  • 曹洪と曹仁 (2012/1/1 3:17) - 思いて学ばざれば

    曹洪がいつも小物扱いされてて萎える。 武帝時代の後半はたしかに曹仁の活躍が大きかった。しかし前半は曹洪のほうが存在感が重かった。というのも、曹丕が借財を申しいれるほど曹洪の家は裕福だったから、曹操の挙兵は、かれの財力あればこそ可能なのだった。徐栄に敗れたあと募兵をかけて勢力を恢復したのも、すべて曹洪の力である。 曹仁曹洪 190豪傑たちが一斉蜂起したとき、曹仁もまた密かに若者たちと結んで千人あまりを手に入れ、淮水・泗水の流域を駆けずりまわった。*1(豪傑並起,仁亦陰結少年,得千餘人,周旋淮﹑泗之間。 太祖に従って別部司馬となり、厲鋒校尉を兼務した。(從太祖為別部司馬,行厲鋒校尉。)太祖が義兵を起こして董卓を討伐したとき、滎陽にいたって董卓の部将徐栄に敗北した。太祖は馬を失ったが、曹洪が馬を太祖に授けた。帰還して譙に逃れた。(太祖起義兵討董卓,至滎陽,為卓將徐榮所敗。太祖失馬,洪以馬授太祖。

    曹洪と曹仁 (2012/1/1 3:17) - 思いて学ばざれば
  • 関羽すごいなー。 - 思いて学ばざれば

    「龐悳伝」 のちに自身で関羽と戦闘を交えたとき、関羽を射て額に命中させた。 関羽わっと一声叫んで、急いで矢を引き抜いたが、脳みそまで抜けて来たので、 「これは父の精、母の血だ。棄ててなるものか」 とそのまま口に入れて呑みこむや、ふたたび槍をとりなおし龐悳めがけて馬を躍らせば、 龐悳不意を衝かれ、たちまち顔の真只中に穂先を受けて突き殺された。

    関羽すごいなー。 - 思いて学ばざれば
    nagaichi
    nagaichi 2009/08/02
    夏侯惇化した関羽。
  • 美しい物語 - 思いて学ばざれば

    実務家による現場リポートがweb論壇にとって貴重な財宝であることは疑いを差しはさむ余地がない。しかし、それを受けとる側の器量もまた試されているように思える。 わたしは外国人支援の現場を見ていないので、実務家たるid:isikeriasobiさんの報告に疑いを差しはさむ余地なんか最初からなくて、たぶん実際それは信頼に値すると思うんだけど、isikeriasobiさんが「反日上等は依頼人の立場を悪くする」というのは新聞報道などで仄聞したことからだけでも、おそらくその通りだろうなと想像が付くというものだ。外国人支援の戦いは最初から勝てないことが決まっていて、せいぜい勝てないまでも負けないくらいにしかできなくて、行政のさじ加減ひとつでどうにでも状況は転がりうる。依頼人の勤務先の上司の友だちが暴力団関係者の昔の仲間だったとか、支援者の所属する同僚が別の団体で参加してるデモ行動で他の参加者が何か器物損

    美しい物語 - 思いて学ばざれば
    nagaichi
    nagaichi 2009/07/03
    mujinさんの違和感の正体>火事と喧嘩ははてなの華よ。誰からも批判されないメタ「リアル」な存在などあってはならない。相対化しろー!偶像を許すなー!引きずり下ろせー!えいえいおー!ということですね。w
  • もやもやするなー - 思いて学ばざれば

    ここ最近のid:isikeriasobiさんの迷走ぶり*1には目に余るものがあるんだけど、現場の実務者*2に対して精一杯の声援は送りたいし、わたしがなぜかあの人とは対立関係にあると目されてる雰囲気があるので*3、なかなか言いたいことが言えずもどかしい感じなんだよね…。 いや当人がどうこうというよりもむしろ、周辺の生暖かい雰囲気がこの上なく何これきしょい的なんだけど、どうしたもんか。 と書いとけば自然と状況が変わったりするだろうか。 なんだ。 はてな辞めるのか…。こりゃ絶望的にひどいね。 *1:ていうか暴走に近いかも。 *2:前エントリは固有名詞がただの一つも書かれてないのに驚くべきことに誰しもがあの人にかかわることだと了解していた。みんな文脈理解力すげーなー。 *3:下手すると当人からもそう思われてる悪寒。

    もやもやするなー - 思いて学ばざれば
    nagaichi
    nagaichi 2009/07/03
    「頭のよすぎる問題」http://d.hatena.ne.jp/mujin/20090412/p1を書いた人は、あまり先回りをしないでほしいものだw。しかし「勿体ない」なあー<こればっか言ってる。
  • 実務家のラディカリスト批判 - 思いて学ばざれば

    に便乗する人が、なんだかなー、の件。 実務家とラディカリストがそれぞれの立場に基づいて互いを批判するってのは何かしらの運動をやってくうえで必要とされるものだし、それはどちらが正しくどちらが間違っているなどと安直に取捨択一できるような性質の問題ではなく、その論争の一方で両者が相互補完的な役割をはたしてるのもおそらくまた確かなことであって、それは運動にかかわるものにとってはさして珍しくもない往々にして見慣れた光景ではないの。よくしらんけど、たぶん。 解せないのは、実務家の威を借りてラディカリストを非難しはじめるうからやからがあとからあとから湧いて出てくること。「あいつらのせいで○○がかわいそうです」とか言っちゃったり。お前ついさっきまで○○に同情的なことちっとも言ってなかったし行動もしてなかったじゃんかよ、と言いたくなるような手合いが、さぞかし実務に理解あるような賢しらな口をきいてる。実務を補

    実務家のラディカリスト批判 - 思いて学ばざれば
    nagaichi
    nagaichi 2009/06/28
    排外的スタンスに立ちながらいしけりさんに星打ってる人らはたしかに滑稽なんだぜ。/さておきラディカルとか関係なくて、筋違いの教条を前面に出してしまうドグマティズムへの批判として俺は読んだんだけど。
  • 日本人捏造しすぎ きめぇww (6/27 7:17) - 思いて学ばざれば

    【2ちゃんねる】正史『三国志』十四巻*1 651 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 09:42:38 0 >>649 支那の捏造は異常だから オリンピックのペンキ草、偽少数民族、口パク少女、チベット虐殺を暴動鎮圧と報道したりしたこと、忘れたか? さして資料もなく現代版魯迅の民家をつくったりして集客してるやつらだぞ 日人は往時の栄華を再現するより古ぼけた現物を見ながら当時の面影を 省察するのが好きで、資料もなく跡地に時代無視した斬新な構造物など建てないが あいつらにとっては面子がすべてだからな もち、つっこみ入れればあいつらひっこめるが こっちが証拠ももたない反証不可能な部分になるとなんのためらいもなく偽証するよ 漢人は政治的な民ということをしっといて損はない んー。……ん、んんんん?w 日人は往時の栄華を再現するより古ぼけた現物を見ながら当時の面影を 省察するのが好きで、

    日本人捏造しすぎ きめぇww (6/27 7:17) - 思いて学ばざれば
    nagaichi
    nagaichi 2009/05/18
    コメ欄で噛みついている人らは、元スレの651の主張をちゃんと読んでるんだろうか?俺が彼らならこんな筋悪なところで戦わんが。刺激的なお題とむじんさんの論法に美事に釣り出されてるな。全く牟田口はダメなやつだ。
  • 上官顕 - 思いて学ばざれば

    筑摩書房『三国志』蜀志来敏伝に引く『諸葛亮集』 将軍の来敏は上役に対してあからさまに、「……」と述べた。 原文はこれ。 將軍來敏對上官顯言:「……」。 わたしには『将軍の来敏が上官顕(という姓名の人物)に対して「……」と言った』と書いてるように見える。この人もそう読んでるっぽい。

    上官顕 - 思いて学ばざれば
    nagaichi
    nagaichi 2008/10/31
    俺にも人名に読める。
  • 南飛烏鵲楼 - 思いて学ばざれば

    以前に言及した【南飛烏鵲楼】なんですが、わたしと共通する意見を開陳されているので、ちょっと抜きだしてみた。 【南飛烏鵲楼】『演義』の作者は羅貫中か? 地の文で関羽のことを「関公」あるいは「公」と呼ぶのは、 2箇所、すなわち「千里独行」と「麦城昇天(関羽の死)」の 部分に集中しており、他の語彙をも勘案すると、 この部分はあとから挿入された可能性があるということです。 【思いて学ばざれば】関羽の千里行 関羽が千里行の途中で遭遇する人物の多くが、関羽の死にからむエピソードを持っている。関平とか周倉とか普浄とか胡班とか。 ということは、この千里行自体が関羽の死の伏線になっているということだ。 これとこれが対応。わたしは先行する講談物語や民間演劇を参考にして著者自身が挿入したものと想像してたけど、そもそも文体からして違っていた(著者が関わっていない可能性がある)とは思いも寄らなかった。 【南飛烏鵲楼

    南飛烏鵲楼 - 思いて学ばざれば
  • あえて呉音 - 思いて学ばざれば

    まあ近ごろは『三国志』の登場人物をみな漢音で読むのが主流なんですが、中国の人名を漢音で読むというのはごく最近からの慣習に過ぎないわけで、そこをあえて呉音で読んでみるとなんだか近世以前っぽくて格好いいかもってのは20年くらい前から思ってるのね。 曹仁(ざうにん) 夏侯恵(げこうゑ) 孫権(そんごん) 黄蓋(わうがい) 陳武(ぢんむ) 馬超(めてう) 法正(ほふしやう) 王平(わうびやう) 呂布(ろふ) 陳宮(ぢんく) 張邈(ちやうみやく) 華雄(げゆう) 文醜(もんしう) 郭図(くわくづ) 孔融(くゆう) 司馬懿(しめい) 鍾会(しようゑ) そうでもないか。

    あえて呉音 - 思いて学ばざれば
    nagaichi
    nagaichi 2008/06/15
    曹仁は「ぞうにん」で「ぞっく・にぇん」。
  • 韓浩をめぐる曹操と袁術の関係 - 思いて学ばざれば

    韓浩は河内出身の義勇軍の隊長で、河内太守王匡の部下なのに、なぜか袁術の推挙を受けている。そして曹操配下の夏侯惇に所属。王匡は韓浩の元上司なのに影がうすくて、そのことをどう思ったのかまったく伝えられてない。 わたしが思うに、曹操は袁術の故吏。だから曹操が単身逃亡したとき、それを家族に知らせたのが袁術だった。曹操は張邈のもとで挙兵し、張邈の客将として董卓と戦ってるけど、この張邈はのちに曹操と対立して袁術のもとへ逃げている。張邈も袁術と親しい関係にあったと思う。袁術軍の一翼を担ったのが張邈で、張邈の客将が曹操だったと。 王匡は董卓に敗れて故郷に帰り、兵士を集めて張邈のもとに戻ってきた。なぜ河内に戻らなかったのだろう。河内に戻る途中、張邈のもとに立ちよっただけかもしれない。たぶんこの王匡も袁術の息がかかってる。だから部下の韓浩が袁術に推挙された。これは上官の王匡を表彰するのと意味が同じ。 その王匡

    韓浩をめぐる曹操と袁術の関係 - 思いて学ばざれば
    nagaichi
    nagaichi 2008/04/19