・日本という閉鎖された島国の ・わりと独自の言語で ・そんなに世界的に有名になるほどの特殊性はない料理で ・「南蛮」がバカにしてるのが西欧 だからこそ今でも文句言われないで残ってられてると思うとすごいぜ 南の蛮人だろ? アメリカに先住民由来のレシピで作ったトリ料理、「インディアン・バーバリアン・チキン」みたいなのがあったら爆速で改名させられてると思う チキン南蛮が最後の砦だよ
![チキン南蛮って名前](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
新型コロナウイルスの集団感染が確認されたクルーズ船内の写真を副大臣が投稿したことについて、加藤厚生労働大臣は、「不潔」など問題があることばが使われていて不適切な行為だったという認識を示しました。 これについて、加藤厚生労働大臣は、閣議のあとの記者会見で「本人にも確認したが、『不潔』という言葉自体が的確ではなく、掲載したのは適切ではなかったということで、削除したと聞いている」と述べました。 そのうえで、「副大臣は『中の状況を』という思いで投稿したと思うが、『不潔』ということばを使っていること自体が問題だ。本人もそう思い写真を削除したが、私もそう思う」と述べ、不適切な行為だったという認識を示しました。 立憲民主党など野党側は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、厚生労働省などにヒアリングを行いました。 議員からは、クルーズ船で業務にあたった厚生労働省などの職員の感染が確認されたことについて「
日本の大学、特に文系の学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系の学者達は自分たちの存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系の研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系の先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。 だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端の研究は専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン。一般・特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系の研究も基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じ
🥀七瀬。 @509126 女の子は自由に一人称使ったらいけないんですか?? 私→普通 僕→女の子なのに…?? 俺→男かよ 自分→自分って誰w 名前で呼ぶ→ぶりっ子じゃん うち→なんか変… わい→だっさ 女の子の一人称は「私」って決められてるんですか?別にみんな違ってみんな良くない??💦 2019-09-13 19:48:08 ののあ@この垢使わない @nnooooa5555 @509126 ff外失礼します 私も前まで自分の事を名前呼びしてたんですけど、「名前呼びってぶりっ子じゃね?」みたいな事を言ってくる友達がいたので私を省略してわしになりました()。流石にわしはやばいかなぁってなって今はわいです。 ほんと自分の一人称がキモがられるって意味わかんないですよね、 2019-09-14 11:57:28
「きくち、なにひとり飲んでる!乾杯!乾杯!!」 なぜだか僕は、宜蘭という街で、台湾の原住民族、タイヤルの人々に囲まれて無限に出てくる台湾ビールを飲まされてた。杯を乾かせば、即ビールを注がれ、高まる気勢の中乾杯だ!といって、コップを打ち付け合うのである。ビールを飲み干さず、こっそりちょっと残して机に置こうものなら、おれと酒を飲めないのか的悲しみの表情を向けてくるのである。 お前らも大変だなと、魯肉飯 うかれぽんち大学生テニスサークルではない、台湾のタイヤル族なのである。僕は、もうここまで来たならいくしかないのだな、負けないんだからねと頑張ってビールを飲み干し続けた。真向かいに座っているタイヤルの警察官は、お前なかなかいけるやんけというような表情だった。隣に座っていた、大学時代の後輩加藤は、ビールの炭酸で妊婦のように腹が膨らみ、店のトイレに駆け込んでいった。 どうしてこうなったのか…… ことの
本質的な部分が略され、特徴を表している部分のみが残ってしまった略語が多々ある。 ・携帯電話→携帯 ・スーパーマーケット→スーパー ・コンタクトレンズ→コンタクト ・高速道路→高速 ・Wikipedia→wiki ・USBメモリ→USB 「○○△△を○○」って略すな!って言葉、他にある? 追記1日越しでバズってて驚いた。せっかくなので、ブコメとツリーにある言葉をまとめておくよ。 ・甲子園球場→甲子園 ・国立競技場→国立 ・花園ラグビー場→花園 ・プラスティック樹脂→プラスティック (熱可塑性樹脂が熱可塑性と呼ばれている状態) ・Github→Git ・JavaScript→Java ・セブンイレブン→セブン ・モーダルダイアログボックス → モーダル ・ダイアログボックス → ダイアログ ・被差別部落 → 部落 ・コマーシャルメッセージ(CM)→コマーシャル ・有給休暇 → 有給 ・マイクロ
協和語(きょうわご)は、満洲国の建国初期に用いられた日本語と中国語のピジン言語である。興亜語(こうあご)、日満語(にちまんご)、大東亜語(だいとうあご)などとも呼ばれた。 概要[編集] 「協和」とは、満洲国のスローガンである「五族協和」に由来する。主に日本語を母語としない漢民族や満洲民族といった中国人が用いていた[1]。そのため、中国語の単語も混じっており、さらに用言の語尾変化と助詞の一部を省略したものだった。これは、英語に対するピジンイングリッシュのような言語とも言える[2]。あるいは、一種のクレオール言語とみなすこともできる。 日露戦争後、新都市地域においてロシア語に代わって日本語が勉強されるようになっていた[3]。ただし、日露戦争の時に日本兵によって「カイロカイロ(帰らう帰らう。帰る場合にも行く場合にも使われる)」や「メシメシ(飯飯。召し上がれの意で使われる)」などの畳語が日満混合語
変なモノ好きで、比較文化にこだわる2人組(1号&2号)旅行ライターユニット。中国の面白可笑しいものばかりを集めて本にした「 中国の変-現代中国路上考現学 」(バジリコ刊)が発売中。 前の記事:中国のニセ製品の名前を考察する > 個人サイト 旅ライターユニット、ライスマウンテンのページ トップ合格できそうな本は600円 買った参考書は華東理工大学出版社の「高考日語模擬試巻」で、値段は36.8元(だいたい600円)。センター試験で「中国語」や「ドイツ語」などの科目の入試問題集がレアなように、高考での「日本語」の入試問題集もレアで、なかなか本屋では見つけづらい品物だ。確実に買うのならAmazonで買っちゃったほうが楽だろう。 この本には8回分の模擬試験があるので、8回分の「俺ってトップ合格ができるんじゃね!」が体験できるわけだ。大学入試の際、頭を悩ませ続けた経験しかない僕には精神清涼剤になりそう
政治的,それもかなり下品な言葉だけど,「なんでも安倍総理の責任にする人」を一部のネット民が「アベノセイダース」と呼んだり,逆に「野党の答弁を盲目的に批難する人」を「ヤトウガー」と呼んだりするのを見かけるよね。彼らはどちらも対象を卑下・揶揄する目的で前述の言葉を使っている。今はこの言葉の真偽可否ではなく,〝片仮名にすると馬鹿にした印象になる〟という現象そのものを知りたい。国語や文法の教科書・Wikipediaを見ても,片仮名の役割に“相手を侮蔑する”なんていうのは載っていない。とするとあくまで予測だが極めて新しい言い方なのではないか。 そもそもなぜ片仮名の文章が人を小馬鹿にした印象を与えるのだろう(っていうか与えてるよね。僕はそう感じるんだけども,僕の感性がおかしいだけだったり……)。当て推量だし,なにより言語学には暗いので大いに錯誤しているかもしれないが,僕の持論はこうだ: (1) 片仮名
シラビーム方言(しらびーむほうげん)とは日本語の方言のうち、モーラ(拍)の独立性が弱く、音節が語の長さを測る単位となる方言をいう。 概要[編集] 東北北部や九州南部では、促音・撥音・長音をアクセントの単位として独立して数えず、モーラ(拍)ではなく音節を単位とし、例えば「学校新聞」は「ガッ・コー・シン・ブン」と4つの単位に区切られる。 このような方言は柴田武により、シラブル(syllable)とフォニム(phoneme)からシラビーム方言と命名された。 一方で、モーラ方言に属する共通語では促音(ッ)・撥音(ン)・長音(ー)をアクセントの単位として独立して数え、モーラ(拍)を単位とし、例えば「学校新聞」は「ガ・ッ・コ・ー・シ・ン・ブ・ン」の8拍として捉えられる。 音節、モーラ方言(拍)、シラビーム方言(音節音素)比較の例 単語 音節区切り (音声学上の単位) モーラ(拍)方言での区切り (いわ
はてブにエントリしている(していた) 日本語(口語文法)のクソな所で打線くんだwwwwwwwwww http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/5262274.html に 6(二):反実仮想の助動詞の消失 「ましかば~まし」という現実とは異なる仮定,現実不可能な願望を表すことが かつての日本語ではできた いまや「もしも~だったら」というただの仮定・条件と同じ表現しかできないという悲しみ というのが入っている。 うろ覚えだけど、反実仮想の「まし」は鎌倉時代あたりに単なる推量になって その後消失したというのを何かで読んだ記憶がある。 また英語でも12世紀頃(中英語の時代)から仮定法(の一部)が衰退していったという話がある。 たぶん日本語史における中世期も英語史における中英語期も、言語の変化が比較的大きな過渡期の時代だったはず。 で思い出したのが、少し
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