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コミュニケーションと考え方に関するoriakのブックマーク (12)

  • 自分を軽く扱うこと、他人を軽く扱うこと

    自分自身を軽く扱うと周りの人間にも軽く扱っていいと思われるというのはよく聞くが、私自身が誰かを軽く扱う側に立つとは思わなかった。 会社の後輩に何を言っても謝る子がいて、1年くらいは謝る必要がないことで謝らないでと注意していたのだが一向に理解してもらえずにいた。 私は1年で諦めたが、私以外の社員もそれぞれがきちんと数年かけて悪くもないのに謝らないでと伝えている。しかしこれが当に1ミリも伝わらない。同じ言語話してますよね?っていうくらい、ここに関しては伝わらない。 褒めても注意しても、こちらの言動が丁寧でも雑でも、返事には申し訳ございませんがついてくる。 なので、数年経った頃から「どうせ申し訳ございませんしか言わないんだし丁寧なコミュニケーションは時間の無駄だ」と思うようになった。 雑に扱うようになった。返事は一言。雑談はしない。だって、責めてもないのに謝罪されるから。 責めてもいないのに、

    自分を軽く扱うこと、他人を軽く扱うこと
    oriak
    oriak 2022/03/26
    人間の善性を見た
  • なぜSNSでは「こんなにも話が噛み合わない」のか? その「思いがけない理由」(藤田 政博) @gendai_biz

    なぜSNSでは「こんなにも話が噛み合わない」のか? その「思いがけない理由」 人間の「認知」が原因かもしれない 近年話題になっている、SNSの普及による社会の分断。考え方が違う人たちが異なる考え方を受け容れられず、それぞれ集団を形成します。その集団どうしが理解し合えず、社会の中の対立が激化しています。それも、バイアスという観点から説明ができます。『バイアスとは何か』の一部を再構成したものから、SNSによる社会の分断について見ていきましょう。 フィルターをかけて世界を認識する 目を開き、耳をそばだてれば、現実はありのままに見える。普通、そのように感じがちですが、実際にはそうでもありません。 私たちは、頭のなかにある知識、期待、思い込みなどをフィルターとして、目の前の世界からくる情報をふるいにかけたうえで世界を認識しています。これは少し困ったことのようにも思えますが、逆に、認識のための枠組みや

    なぜSNSでは「こんなにも話が噛み合わない」のか? その「思いがけない理由」(藤田 政博) @gendai_biz
    oriak
    oriak 2021/07/04
    どんなに賢しらに振る舞おうと人間は肉体という檻から出られず、常に自身の肉体を通して世界を見ている。無知の知って大事だな。
  • 大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。

    「恩師」の意味を「人生全体に渡って、大きく影響を及ぼす程の薫陶を受けた人」と定義した場合、私には恩師と言って良さそうな人が二人います。 一人は、小学校の3年から4年の時に担任をもってもらったH先生。 もう一人は大学の専門課程、国語学研究室でお世話になったS先生。 H先生については、人生の選択に関わる重要な示唆を色々と頂いたなーと思っていて、例えば昔この記事で書いたんですが、 忍者ハットリくんが、私の人生を大きく変えた、という話。 「ファミコンの忍者ハットリくんに巻物が出てきてかっこいいから、物の巻物にも触ってみたい」 と素っ頓狂なことを言い出した私に、 「巻物は大学行かないと触れないよ」と答えて、さり気なく「大学=巻物」という刷り込みを行ったのがH先生です。 多分私、この教えがなかったら大学行ってませんでした。 上記の記事でも書いた通り、私は大学での専攻として、「巻物に触りたいから」とい

    大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。
    oriak
    oriak 2021/02/09
    何がわからないのかがわからない、というのは仕方ないけど、それを探るのも本人にしかできないことなんだよね。こういうわかりやすい言葉でサポートできる人に憧れる。
  • 世の中に「仲良くしなくていいよ」と教えてくれる場所が無かったな、と思った。

    「距離が近い人とは仲良くしましょう、親しくしましょう」という考え方、 もちろん間違いではないんですが、それだけだと色々としんどい弊害が出てしまいそうな気がしているんですよ。 順を追って書きます。 最近ふと気づいたことなんですが、今私がいる職場で、「仲が良い人」「親しい人」っていないなあ、と思いまして。 例えばプライベートのことまでよく話す人とか、ちょくちょく飲みに行く人とか、なんなら休日に一緒に遊ぶ人とか、昔と違ってあんまりいないんです。 ただ、それで仕事がやりにくいことがあるかとか、職場で上手く人間関係が回らないところがあるかっていうと、これが全っっっ然そんなことがないんですよね。 むしろ人間関係については過去最高レベルでやりやすい。 ちゃんと仕事上のコミュニケーションも取れているし、特段話しにくい人もいないし、情報共有の齟齬もないし、報告はちゃんとあげてもらえるし、実に快適に仕事が出来

    世の中に「仲良くしなくていいよ」と教えてくれる場所が無かったな、と思った。
    oriak
    oriak 2019/11/28
    「仲良くしなくていい」と教えてくれたのはネットでした。/ でも現実にはコミュニケーションの必要量が噛み合うことは少なく、自分1人だけで完結するわけには行かず、難しい。
  • なぜ「事実」と「意見」を区別して話せない人がいるのか。

    ちょっとまえ、面白い記事をツイッターで拝見した。 企業の採用担当が、面接時に見ているポイントを端的に表現したものだ。 曰く、「事実と意見を分けて説明できるかは圧倒的に重要で、これができない人はかなり厳しい。」とのこと。 クローズな勉強会などで話をしたら好評だったのでブログに書きました / 面接時に見ているポイント – VOYAGE GROUP techlog https://t.co/64ehNAYLAi — Masanori KOGA (@makoga) October 29, 2019 彼がこれを重視する理由としては 「事実と意見を分けて説明するのがうまい人が書いた障害報告書は読みやすい」とある。 確かに読みやすい文章を書く人は、知的能力が高い事が多いので、採用の精度は良いのではないかと推測する。 ただ、この文章を読んで感じるのは、 「なぜ「事実」と「意見」を区別して話せない人がいるの

    なぜ「事実」と「意見」を区別して話せない人がいるのか。
    oriak
    oriak 2019/11/05
    ブコメ上位に聞き方の問題という指摘とそれを記事の内容の現れと指摘するものがあって興味深い。そのように二択の問題としてしまうことこそファスト&スローで指摘されていることだと私は思うが。
  • 話した後に反省会するのをやめたい

    友だちと話したり、仕事で話したりした日は、家に帰って、こうやって話せばよかった、こうすればよかったとずっと考えてる。考えすぎて自分の時間がなくなる。だからやめたい。

    話した後に反省会するのをやめたい
  • 「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」にどう立ち向かうべきなのか

    タイトル長すぎると思ったんですが、「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」ってなんか適切な呼び方あるんでしょうか。 軽くぐぐったんですが、うまい略称が見当たりませんでした。どなたか、適切な略称をご存知でしたら教えてください。 まあ、字面から言わんとしているところは了解していただけると思います。 例えばPTAとか。例えば町内会とか。例えばマンションの自治会とか。 もしかすると企業や学校でもそうなのかも知れませんが、「ある程度長く続いていて、硬直化した組織」では、しばしば下記のような状態が見受けられることがあります。 ・どう考えても不要かつ無駄な作業が、何故か改善・撤廃されない ・改善しようとすると、そこに長くいた人から何故かよく分からない抵抗や圧力がかかり、改善することが出来ない ・現在の作業者も全員無駄な苦労だということを認識しているが、嫌々その作業を継続している ・

    「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」にどう立ち向かうべきなのか
  • 「チームワークが苦手」という人が本当に苦手なもの。

    この記事を読んでふと思ったんだけど「チームワークが苦手」「団体行動が苦手」という人って、チームプレーさせてみると、実はそんなにチームプレーが下手でもないし、「チームワークが大事」って言ってる人よりむしろチームワークが上手い人が多い、ってこと。 チームワークが苦手、ストレスだって言ってる人が当に苦手なのは、気持ちが悪い馴れ合いや、意味のない社内政治、皆の意見を尊重しているように見せかけて、その実、チーム内の「政治屋」が集めたマジョリティだけで、せっかくのいいアウトプットを殺す「エセ民主主義」だと思う。 当に大事なのは、チームの目的をしっかり理解した上で、お互いが妥協なく、素晴らしいものをつくるために発揮するプロフェッショナリズムと、その効果的な「合力」だ。 ところが、「馴れ合い」や「エセ民主主義」は一見「チームワークを向上させるもの」のように見えるだけで(文字面だけ聞くと、そのことを否定

    「チームワークが苦手」という人が本当に苦手なもの。
  • 自分が言ったことが伝わらないイライラをラクする方に変えたいという怠惰な話 - スズコ、考える。

    以前から悩みの種だった、子どもたちの下右左バラバラ事案。 脱いだら2つ一緒にして洗濯カゴに、と何度も何度も口頭で言っているのになかなか洗濯後に出会えない右くつしたと左くつした。そして片方が居ない下を入れる箱(というものが我が家には存在します)にある程度たまったらそれをひっくり返して仲間探しが行われる、という何とも不毛な事をここ数年やってました。 てこ入れせねばと思いつつ放置していたこの事案を打開すべく、画期的な改善案を考えました。 使うのは洗濯ネットです。 脱衣場の目立つ位置に洗濯ネットをマグネットで貼付けて「脱いだ下はここに入れましょう」と子どもたちに何度も言いました。 が。 入ってない。 結局ズボンやパンツと一緒くたに洗濯カゴに押し込まれ、そしてやっぱり行方不明になる下が続出。 ネットに入れて!!!って何度言っても入れない。 正直腹が立ちました。用意して何度も言って、でも行動に

    自分が言ったことが伝わらないイライラをラクする方に変えたいという怠惰な話 - スズコ、考える。
  • 私の周りにいる、異常にコミュニケーション能力が高い人たちのこと - glasstruct log

    考えすぎてコミュニケーション能力が低い人へ - teruyastarはかく語りき この記事を読んで、「あああ、分かるなあ、これ自分のことだなあ」と思ったので、自分なりに「コミュニケーション力」について思ったことをチョボチョボと書きます。主に仕事上のことです。 異常にコミュニケーション能力の高い人たちのこと 私の勤め先は、「学生時代一番人気があった子たちで、就職活動もどこでも行けた」ような人が大変多い。こういう人の集団で過ごしていると、私のようなコミュニケーション能力(以下コミュ力)の低い人間は、丸腰で最前線を匍匐前進で進んでいるような感じです。何かって言うと、会議で軽い、時事ネタなど織り込まれた会話のジャブを進めていきながら核心にズイズイ進んでいく中で、私は変なタイミングで「これってこうすればいいと思います、いやでもそれじゃコンペでは目立たないかもしれないし、もしかしたら敢えてこうするとか

  • 「否定してほしい問いかけ」をする、という理解できないコミュニケーション - K Diary

    こないだ友達数人と飲んでいた時に、隣に座っていた女友達ととある歌手の話をしていた。○○って歌下手だよねぇ、みたいなそんな感じで話していたんだけれど、その友達が「いやー、けど私も歌下手だからなあ」と言った。その友達とは何度かカラオケにも行ったことがあるんだけれど、お世辞にも上手いとは言えなかったから、素直に「うん、そうやね」みたいなことを答えたら、一気に不機嫌になってしまった。そのまま、険悪なムードのままお開き。で、うむむと思ったのでこのように書いている次第。 当然、相手があんまり仲良くない人だとか、知り合ったばっかりの人だとしたら、「いやいや、そんなことないですよ」とお世辞を言ったり、ウソをついたコミュニケーションを取る。嘘も方便とは言いますし、円滑なコミュニケーション、友好な関係性を築く上で自分の心を殺す、という行為もそれはそれで重要だと思う。けれど、十年近くの付き合いですし、そういう

    「否定してほしい問いかけ」をする、という理解できないコミュニケーション - K Diary
  • 「こうして欲しい」ということは褒めちゃう。 - おうつしかえ

    美容院とか習い事で思ったこと。 「こうして欲しい」ということは褒めちゃえば たとえば 「もっと丁寧にやってほしいなー」 って思ったら 「いつも丁寧でうれしいわ」 って、言ってみる。 丁寧にやってくれる可能性が高まります。 「いつも丁寧でうれしいわ」 と言われたら、 もしわたしなら、 「え?丁寧?そうなの?意識してなかったけど、そうなのか。で、それが嬉しいのかぁ」 と思って「この人にはもっと丁寧にしよう」という気持ちになります。 [広告] 叱っても不満をぶつけても「こうやってほしい」という気持ちは伝わらない 注意したり怒ったり叱ったりすれば? 叱られたり、怒られたり、は、指摘された内容よりも 「叱られた」 「怒られた」 という感情でいっぱいになってしまって、そこから先に進めない人もたくさんいます。指摘したそのことは配慮してもらえても、その他の根的なこと(丁寧さが足りないとか)は解決しません

    「こうして欲しい」ということは褒めちゃう。 - おうつしかえ
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