遅ばせながら、私も多くの議論を呼んだ「表現の不自由展」について語りたいと思う。しかし、私は憲法については門外漢であるし、表現の自由についての議論など、およそ語ることができない。だが、私には憲法の問題などの次元とは別の次元に、この展覧会の核心が、この議論の核心があるように思えて仕方がない。そのため、私は「表現の不自由展」について、現在行われている議論とは別の次元で語りたい。 私は「表現の不自由展」について語るために、まずロランバルトの主著『明るい部屋』に依拠しようと考えた。彼について詳しい人からすれば、曲解しているように思われるかもしれないが、それでも、私なりの解釈として理解していただきたい。彼はこの本の「狂気をとるか分別か?」という断章の中で、写真の真価としての「狂気」が、社会制度によって分別を与えられてると述べた。つまり、社会制度によって写真は分別の領域に囲い込まれ、その狂気を覆い隠され