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鎌田哲哉に関するshimomurayoshikoのブックマーク (9)

  • ひとつの運命

    酒井信雄 作 CRITICAL・MOMENT 編 1 小林秀雄はその文壇デビュー作「様々なる意匠」(一九二九年)を次のようにして閉じた。 ――私は、今日日文壇のさまざまな意匠の、少なくとも重要と見える者の間は、散歩したと信ずる。私は、なにものかを求めようとしてこれらの意匠を軽蔑しようとしたのでは決してない。ただ一つの意匠をあんまり信用し過ぎない為に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない。 実に颯爽とした若々しい文章である。一読しただけでは、彼が、世に蔓延る上等とは言い難い「様々なる意匠」を歯牙にもかけず、己の道を勇ましく突き進まんとしているようにも見えるが、二七歳の若き小林が読者にそう見せているだけである。この文章の影には、何かを信じたいのに何ものも信じられず、もがき苦しみつつも、そんな自分の姿を周囲に見せまいというプライドから素直になれない、憔悴しきった若者の姿がある。 「批

  • 「合評会」を読んで

    圭二/「合評会」を読んで 「重力01」が、創作の部分が弱いという指摘は、そのままこの合評会にもはっきりと反映されているように思った。読んでいて、大杉さんや鎌田さん、西部さんのパートは、やっぱり盛り上がっている感じがするし、もっと話を続ければいいのにと思った。逆に創作批評のパートは、あんまり語ることがないのか投げやりな感じもした。そういう印象を与えるのは、井土さんを除き、僕も含めて創作を担当した連中が合評に参加していないせいかも知れない。しかしそれ自体がやっぱり「弱さ」だと思った。 端的に言うと、私も可能さんも、市川さんも、追い込みが足りなかったのはあきらかだ。創作者なのだから、作品で勝負するしかないのは当たり前だとして、では当にそれぞれが「作品で勝負するしかない場所」まで、自分自身を追い込んでいたのか。また同時に、主に鎌田さんからの激しい追い込みに曝されていたわけだが、当にそこで批

  • 『柄谷行人初期論文集』書評/鎌田哲哉

    この書物は極めてみずみずしい。それは、柄谷行人の思考が私に深くい込んでいるせいで生じる印象ではありえない。今日の柄谷が、その知的な荒淫と粗暴な言動においてフョードル・カラマーゾフに酷似しているとしたら、「思想はいかに可能か」の熱狂を隠した明晰さは、初春の若芽のようなイヴァンを読者全てに想起させずにいない。だがまさにそのゆえに、書の洞察は、それが徹底的である限り回避不能な一個の死角をも露出させていく。 まず確認すべきは、柄谷がこの処女論文の主題を、後年何度も自覚的に反芻していることだ。「「思想はいかに可能か」という評論は、ある三角形のイメージにもとづいていて、その三点が互いに他を超越する循環を形成するようになっており、結論として「不可能である」ことを証明することになっている」(「受賞の頃」)「日でものを考えようと思ったら、その中点に行かないとだめではないかと、あとから逆に居直って思うよ

  •  『カルチャー・レヴュー』49号(2005.05.01) | 評論誌「カルチャー・レヴュー」Blog版

    ■連載「文学のはざま」第8回 鎌田哲哉の闘争 ねじりこむ批評の意地と熱意と鋭さのありか 村田 豪 今回は、批評家、鎌田哲哉を取り上げます。 いまやジャンルとしてはずいぶんマイナーに属するであろう純文学系批評の中で、さらに世間的に著名とはいいがたい鎌田哲哉を論じるのは、一種の狭さ、息苦しさがあるのですが、それは許容してほしいと思います。というのも、これまでこの連載小文をささやかながら書くにあたって、少なからぬ点で鎌田の批評を参考にしてきたという借りが私にはあり、ここらでその負い目をすっきりさせたい気持ちがあるからです。 もちろん真似をして書いたつもりはありません。それでも鎌田が刻みつけた批判=批評の水準を、意識せぬうちに踏まえてしまっていたのは事実です。福田和也やスガ秀実などを扱った回にはそれが顕著で、そのことは一度はっきり自註してもいます。ただ今回は、参照していた鎌田の批評のフレームを、こ

  • なんだか汚い。二度とこういうものに触れられたくない。(あるネットおたくへのメール)/鎌田哲哉

    [筆者付記] 私は先日(10月21日午前3時)、ある首都圏のネットおたく=消費者に次のメールを書いた。その内容は、このおたく(杉田俊介)に三行半を突きつけて、「岡山人民映画会」への出入りを全面的に禁止するものだった。諸事情で、メールが杉田の手元に届くこと自体に数日を要したが、それも含めて何とか開会直前に事後の対応を終えたので、ここにその全文を公開する。こだわりあるラーメン屋の親父が、ろくでもない自称「お客」の胸倉をつかんで、自分の店から勘違い連中を叩き出す。以下のメールを、私はそうした光景を念頭に走り書きしていたが、そこに「普遍性」がないとは全く思わない。その判断が、別に杉田だけに適用されるものではないからだ。双子のように杉田と馴れあう、大澤信亮その他のはったり連中は、以上の事実をよく考えて身の処し方を決めるがよかろう。元フリーター(?)のがま蛙二匹に比べると、転向コンビの平野謙と荒正人さ

  • 杉田「僕はNAM、『重力』、『フリーターズフリー』っていう空間に参加するなかで、自分を問うということをしてきた。それが十分だとはまだ思わない。でもたぶん、そういう経験の積み重ねっていうものは、三ツ野さんの中にもあるのかな。ゼロアカだけじゃなくて、降り積もる空間参加の記憶っていうのがあるんじゃないかな。自由っていうのは、過去の時間性と向き合うことから出てくるのかもしれないということを三ツ野さんも書いていたよね。僕はああいうのを読むと、たぶん三ツ野さんのなかで『重力』での経験が生きているのかなという気がするん

    "杉田「僕はNAM、『重力』、『フリーターズフリー』っていう空間に参加するなかで、自分を問うということをしてきた。それが十分だとはまだ思わない。でもたぶん、そういう経験の積み重ねっていうものは、三ツ野さんの中にもあるのかな。ゼロアカだけじゃなくて、降り積もる空間参加の記憶っていうのがあるんじゃないかな。自由っていうのは、過去の時間性と向き合うことから出てくるのかもしれないということを三ツ野さんも書いていたよね。僕はああいうのを読むと、たぶん三ツ野さんのなかで『重力』での経験が生きているのかなという気がするんですよね。」" — 大澤信亮+杉田俊介+三ツ野陽介「鼎談 批評は何を語るのか」in『東浩紀のゼロアカ道場 伝説の「文学フリマ」決戦』講談社、2009年、59頁 さわやかさんの「伝説の「文学フリマ」決戦レポート」だけでけっこう涙ぐんだ。ミネオさん、黒歴史とか言ってたけど、かっこいいよね。ブ

    杉田「僕はNAM、『重力』、『フリーターズフリー』っていう空間に参加するなかで、自分を問うということをしてきた。それが十分だとはまだ思わない。でもたぶん、そういう経験の積み重ねっていうものは、三ツ野さんの中にもあるのかな。ゼロアカだけじゃなくて、降り積もる空間参加の記憶っていうのがあるんじゃないかな。自由っていうのは、過去の時間性と向き合うことから出てくるのかもしれないということを三ツ野さんも書いていたよね。僕はああいうのを読むと、たぶん三ツ野さんのなかで『重力』での経験が生きているのかなという気がするん
  • 近況アップデート - 攝津正

    おはようございます。(1) はてなダイアリーの一日に投稿できる分量を超過して投稿できなくなりました。ですからやむを得ず今日は続きは"femmelets"アカウントではなく、"tadashisettsu"アカウントに書き込みますのでご了承ください。(2) 実験君からCD複製を依頼されましたが原因不明の技術的な問題でどうしてもできません。なので断念しました。(3) グバイドゥーリナ『最後の7つの言葉 / シレンツィオ / イン・クローチェ』、ショスタコーヴィチ『弦楽四重奏曲第15番変ホ短調 作品144』とグバイドゥーリナ『ヴァイオリンとチェロのためのソナタ「リジョイス」』を聴いています。 『高橋悠治リアルタイム1: グバイドゥーリナ』を聴いています。 岡崎乾二郎は鎌田哲哉に腹を立てていました。鎌田さんが彼を含めた人々(すが秀実、関井光男、岡崎乾二郎)を「近大の三アホ」と呼んだからです。「今や関

    近況アップデート - 攝津正
  • 情報商材の返金交渉の注意点と返金交渉の手順

    情報商材の返金交渉の際、クーリング・オフが使えるケースがあります。 クーリング・オフとは、購入した日または契約日を含めた8日間以内であれば、返品や返金ができる、特定商取引法に定められた制度です。 ネットビジネスなどのマルチ商法や、内職商法に該当する場合には、20日以内に期間が延長されます。 情報商材の返金にクーリング・オフが使えるケース 情報商材を電話勧誘にて購入 情報商材を電話勧誘にて、人の意思とは関係なく、流れやムードや勢いなどで購入してしまった場合が当てはまります。 後から請求書や契約書が郵送されるパターンもあるため、放置せずに、届いてから8日以内にクーリング・オフの手続きを行ってください。 訪問販売による情報商材の購入 訪問販売による情報商材の購入も、クーリング・オフの適用内です。 訪問販売には、自宅などに販売業者が訪問するものの他、キャッチセールスや、アポイントメントセールスな

  • 鎌田哲哉/途中退場者の感想──「LEFT ALONE」批判(抄)

    鎌田哲哉/途中退場者の感想──「LEFT ALONE」批判(抄) だが、話はこれで終らない。もしそれが事実の全てなら、私自身が心からほほえんでこの一文を書くことができた。だが上記とは逆に、「LEFT ALONE」には、取り返しがつかない「現在」の致命的な排除がある。この映画は、その製作過程と全く同時期に生じた出来事、対話相手の柄谷行人や何より主人公の秀実が深く関与した一つの出来事をあらゆる個所で隠蔽しており、しかも隠蔽自体がなかったかのように映像全てを進行させてしまっている。言うまでもなく、この出来事とは「資と国家への対抗運動」を自称したNAM(New Associationist Movement)の問題である。 NAMの結成と解体の経緯、内部における知識人と大衆との相互癒着的な依存関係、さらにその解体過程で生じた地域通貨団体Qに対する旧態依然たる左翼的破壊工作の内容、それらについてこ

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