大学の恩師に会社辞めたいって言った。 とりあえず5年がんばれという定番の説教をくらった。 これまでお前みたいな学生をたくさん見てきた。お前とは経験が違う。 そういわれてしまうと反論できない。 誰にも分からない未来の話をするとき、経験の寡多を問題にするのは卑怯だ。
あらかじめ古臭いSFアニメガッチャマンクラウズを一言でいえば「『新しい』とは何かを勘違いしたSFごっこアニメ」だ。 スタッフは新しめのガジェットを詰め込めば「新しいアニメ」になると勘違いしている。 SFとは未来のプロトタイプであり、現状追認でしかないクラウズは「SFごっこ」でしかない。 新しいようでいて既に古臭いガッチャマンクラウズ。その理由を三つ挙げよう。 ガジェットが古臭いガッチャマンクラウズの世界ではGALAXというSNSが浸透しているが、 その画面は一言で言えば、ポストペット、あるいはセカンドライフだ。 架空の部屋に架空のキャラクターを置き、会話をしている。 この画面を見るたびに、私は恥ずかしくなる。いったい何年前のインターネッツだ。 バーチャルリアリティもアバターもすでに終わった。誰も使っちゃいない。 LINEを見ればわかる。高速に意思疎通ができればいいのだ。架空の部屋も、人形も
先日会社の人と横浜みなとみらいに行ったのだが、夏休みもあって、結構混雑してた。 幼児連れが多かったことについて、会社の人が「いくら夏休みとはいえ、何故?」と聞いてきたので、 「恐らく、アンパンマンミュージアムのせいでしょう」と回答したら、 「アンパンマンなんて、もう流行ってないでしょ?」とのたまわれて、ズッコケた。 「確か作者死んだよね」って、クレヨンしんちゃんと混同してないか? アンパンマンについて言えば、「卒業する」というのはある。 早ければ3歳、遅くても4~5歳になると「卒業」するものだが、 「アンパンマンを見たことない」「アンパンマンが嫌い」という乳幼児には、自分はお目にかかったことがない。 日本の乳幼児にとって、アンパンマンはもはや「通過儀礼」化している。 アニメ放映開始時(25年前)の「アンパンマンの乳幼児への浸透度」が20~30%程度だとしたら、 現在のアンパンマンの乳幼児浸
僕は観る前に事前に一通りのネタバレとかレビューを読んでいたので、まあ大体の内容は予想通りだったわけだけど、それでも驚くべきところはあった。 これはおそらく今のところ指摘されていない話だと思うが「二郎の妹がバスから歩いている菜穂子とすれ違うシーン」の話だ。 その後のシーンで、菜穂子は山の病院に戻ったのだ…みたいな感じで説明されているけど、よく考えると「病院に戻るために汽車に乗るにはバスに乗っていくはず」で、ということは菜穂子はバス停に向かって歩いていくはずなんだけど、菜穂子を訪ねてきた妹が乗ってるバス(菜穂子の住んでいる家の最寄りのバス停に向かっているバス)とすれ違うっていうのは、これはバス停に向かっていないということだ。つまり菜穂子は病院に戻ったのではなく、人目につかない森の中かどこかに向かって歩いて行って首を吊って自殺したのだと思われる。 これを思いついたのは映画を見た後、家に帰って布団
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