タグ

批評とアートに関するshimomurayoshikoのブックマーク (2)

  • 表現の不自由展について【私はロランバルト『明るい部屋』を曲解して語る】|幸村燕

    遅ばせながら、私も多くの議論を呼んだ「表現の不自由展」について語りたいと思う。しかし、私は憲法については門外漢であるし、表現の自由についての議論など、およそ語ることができない。だが、私には憲法の問題などの次元とは別の次元に、この展覧会の核心が、この議論の核心があるように思えて仕方がない。そのため、私は「表現の不自由展」について、現在行われている議論とは別の次元で語りたい。 私は「表現の不自由展」について語るために、まずロランバルトの主著『明るい部屋』に依拠しようと考えた。彼について詳しい人からすれば、曲解しているように思われるかもしれないが、それでも、私なりの解釈として理解していただきたい。彼はこのの「狂気をとるか分別か?」という断章の中で、写真の真価としての「狂気」が、社会制度によって分別を与えられてると述べた。つまり、社会制度によって写真は分別の領域に囲い込まれ、その狂気を覆い隠され

    表現の不自由展について【私はロランバルト『明るい部屋』を曲解して語る】|幸村燕
    shimomurayoshiko
    shimomurayoshiko 2019/08/13
    『ストゥディムとは、写真を取ったものが意図している社会的なコード』『プンクトゥムとは見るものを突き刺す狂気、コード化されていない。ストゥディム「好き/嫌い」の次元←→プンクトゥム「愛する」の次元』
  • 芸術は爆縮だ! -「絵画は死んだ」への画家小倉の返し - 蠅の女王

    このフレーズ気に入ってまして、いつも使わせて頂いておりますありがとうございます 「芸術は爆縮だ!」 2009-12-10 20:53:38 via Twitter Web Client 音楽界と違ってアート界には主流も傍流もとっくに無えよ 今日もしばれるのう。もそっと寄って火にあたれや。 先日東京での地域アートとアーティストの関わりについてのシンポジウムに行ってきた時の話をしよう。普段、自分が構築したアートクラスタ薄めのTwitterタイムラインでキャッキャしてるもんだから、たまに下界へ出て現代アートクラスタに直接会うと、オーソドックスな技法での具象絵画で制作していることを自己紹介すると、 「美大教育粉砕、制度化された◯◯粉砕!俺たちは過去のやり方に縛られずカウンターアート張っていくぞー!」 とばかりに敵愾心のようなものや不振な目を向けられることがあるのを、すっかり忘れてしまうものなのじゃ

    芸術は爆縮だ! -「絵画は死んだ」への画家小倉の返し - 蠅の女王
  • 1