タグ

障害学に関するsora-papaのブックマーク (2)

  • 親の障害の認識と受容に関する観察-受容の段階説と慢性的悲哀  

    親の障害の認識と受容に関する考察-受容の段階説と慢性的悲哀中田洋二郎 国立精神・神経センター精神保健研究所 項目 内容 A Parental Response to Having a Child with Developmental Disorders:A Stage Model or Chronic Sorrow? Yujiro Nakata(National Institute of Mental Health,NCNP,Japan) Waseda Psychol.Rep.,1995 Vol.27 83~92 はじめに 発達に障害のある子どもの親はどのように障害の状態を認識し受容するのだろうか。これまでの研究ではいくつかの異なる見解が論じられてきた。この論文では、それらの見解を概観し私たちが行った障害の告知と障害の認識に関する調査の結果から障害児の親の障害受容の過程について考察する。

    sora-papa
    sora-papa 2010/10/12
    参考になる。
  • 「発達障害」とは集団生活において不都合が生じているからこそ「障害」と認知された状態 - umeten's blog

    (4) 「発達障害」とは集団生活において不都合が生じているからこそ「障害」と認知された状態だと考えている。たとえば、学校で「発達障害」が問題になる。従来、それは個々人にある「障害/病理」が既存の学校制度にあわないからだと考えられてきた。こうした考え方のもとでは、「障害/病理」のあるこどもが治療/矯正対象となる。こうした現象こそが、「障害/病理」のあるこどもの自尊心を損ない、「健常児以下の存在」としての認知をうえつけてきたのではないか。そこで、私たちは、学校制度が「発達障害」の子どもを排除する装置になっている可能性を再検討すべきだと考えた。そうした意味での「学校不適応症候群」である。なお、こうした考え方は「障害学」におっている。 『発達障害チェックシート できました』をやってみました 目次 > 2. 届いた感想http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resour

    「発達障害」とは集団生活において不都合が生じているからこそ「障害」と認知された状態 - umeten's blog
    sora-papa
    sora-papa 2010/07/07
    発達障害という概念が社会的に構成されている(そして、社会問題の個人化・内面化でもある)という趣旨に同意。安易に発達障害を「治す」と語るのは、社会の問題を個人の内面で解決しろという精神論的側面をもつ。
  • 1