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政治と検察に関するsuzu_hiro_8823のブックマーク (5)

  • 魔境「検察審査会」の暗部が半分見えた

    検察審査会の闇を追及している民主党の森ゆう子議員(参院法務委員会)が、最高裁に命じて「審査事件票」を提出させた。「審査事件票」とは検察審査会の会議を開いた回数や立ち会った検察官の人数など基的なデータをまとめたものだ。 最初に最高裁から提出された「同事件票」は1度目の議決に関するもので、「被疑者:小沢一郎」と「被疑事件政治資金規正法違反」の2件以外はすべて真っ黒に塗りつぶされていた(写真・上段)。申し立てを受理した日までが塗りつぶされていることに驚く。 「個人情報でも(捜査の秘密でも)何でもないではないか?」あまりにも不誠実な最高裁の対応に憤慨した森議員が再提出を厳しく求めたところ、約2週間後に「黒塗り」がほとんど外された「事件票」が出てきた(写真・下段)。 8回にわたって会議を開き、検察官延べ1名が立ち会ったことなどが分かる。 だが、強制起訴を決めた2度目の議決に関する『審査事件票』は

    魔境「検察審査会」の暗部が半分見えた
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2010/12/22
    裁判員制度といい、検察審議会といい「巨悪を許すな」という"素朴な正義"が悪用されるとこうなるといういい事例ですね。/たいていにおいて"素朴な正義"は"ガキっぽい正義"で要するに「厨二病」と同列なんじゃないかと
  • 大切なのはノイズを出し続けること ~ 11月24日シンポジウム「検察・メディア民主党」 - 誰も通らない裏道

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2010/11/29
    そのノイズも、あるていど信憑性のあるものかあるいは信用するに足るモノでないと、またどこぞのデマツイートみたいな事をしてしまうと、既存メディアにとって格好の攻撃材料になりますからね。
  • 検察審査会と「市民感覚」の罠

    久しぶりに太陽の光がまぶしい。この1週間は、八ッ場ダムのビデオ撮影のために、現地ロケで歩き回っていた。その間、天気はあまりよくなくて、奄美大島では記録破りの集中豪雨で大きな災害が発生した。亡くなった方にお悔やみを申し上げ、怪我をされた方や家屋の被災のために避難中の方にお見舞いを申し上げたい。 さきほど、TBS「報道特集」で検察審査会を取り上げた。旧知の金平茂紀記者はニューヨークから帰ってきたようだ。かつて「報道のTBS」と呼ばれていたことを見いだすのが難しいぐらい低迷している現状を建て直してほしいと感じる。番組は「検察審査会」を取り上げていた。大阪と東京で、検察審査会で審査員をつとめた経験者が証言していく。 「疑わしきは罰せずというのが裁判所・検察官の考え方。市民感覚では、これだけ疑わしいのであれば、裁判で」「相手側に立てない場合がある。権力が強い人には厳しい判断が出ると思います」(審査員

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2010/10/23
    『なぜ、報道しないのか。長年、法務・検察のインチキを容認し、60数年にわたって問題にしたこともないからだ』そしてそれ(≒報道)を根拠に言いたいだけ言いまくりその後沈黙しているアレな方々にも…(苦笑)
  • 検察は「暴走」したのか : 池田信夫 blog

    2010年02月11日00:28 カテゴリ法/政治 検察は「暴走」したのか ネット上には、検察や記者クラブを批判して「反権力」を気取る手合いが多いようだが、ネット世論のいい加減さはマスコミ以上だ。たとえば上杉隆氏は「日は推定無罪の原則を持つ法治国家であるはずだ。だが、いまやそれは有名無実化している。実際は、検察官僚と司法記者クラブが横暴を奮う恐怖国家と化している」と検察とマスコミを攻撃しているが、小沢氏を有罪と推定したメディアなんか存在しない。問われているのは刑事責任ではなく、政治責任である。胆沢ダムをめぐる談合の仕切りが収賄罪に問えなくても、政治的に責任がないわけではない。 むしろ小沢氏以外の政治家のスキャンダルが闇に葬られてきたことが問題なのだ。大物政治家の事件は、2004年の日歯連事件以来6年ぶりだが、これは一審では無罪判決が出て批判を浴びた(最高裁では有罪)。判決も指摘する通り、

    検察は「暴走」したのか : 池田信夫 blog
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2010/02/11
    刑事責任と政治責任がごっちゃになって混乱に拍車を掛けていた、とのこと。/うまく逃げたようにおいらには見えますけどね(さてどっちがでしょうかw)
  • 『小沢抹殺を狙う検察官僚の荒々しき国家権力』

    government of the people, by the people, for the people 昨日、小沢一郎関連の事務所などに突然のガサ入れをした東京地検特捜部。その指揮にあたるのが特捜部長、佐久間達哉氏である。 「一罰百戒」。検察としてこの言葉をどう解釈すべきか。佐久間氏と同期の元長崎地検次席検事、郷原信郎氏はかつて、このことについて議論したことがあるという。 郷原氏は「一罰」について、悪質性の高いものでなければならないと主張した。検察が悪質性の高い罪を犯した一人を罰することによって、「百戒」、すなわちその他大勢の戒めにできるという考えだ。 これに対し、佐久間氏はこう反論したそうだ。「一罰」は何でもよい、悪質であるかないかにかかわらず、何でもひとつ罰すれば、「百戒」につながる、と。 これを聞いたとき、筆者の思考回路は、不覚にも戦前の日陸軍内の路線対立に短絡してしまった

    『小沢抹殺を狙う検察官僚の荒々しき国家権力』
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2010/01/14
    この動きが政治的な停滞をもたらし、中国に乗っ取られるようなことはないようにお願いしたいモノですね(苦笑)
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