一軍登板なしで引退した清原の「外れ1位」 いまから30年以上前のドラフト会議で、福岡県で有数の進学校である東筑高校のエースが1位指名されたことをどれだけの人が覚えているだろうか。1985年ドラフト会議の目玉はPL学園(大阪)の清原和博。清原と相思相愛と言われた読売ジャイアンツが同じPL学園の桑田真澄を1位指名したことで大きなニュースになった年だ。その年、近鉄バファローズに1位指名されたのが、桧山泰浩だった。 1985年春に甲子園出場を果たした桧山は、将来を嘱望された大型投手だった。1位指名競合のすえ、清原を獲得できなかった近鉄の「外れ1位」だったことが期待の大きさを表している。しかし、バファローズに6年間在籍しながら、一度も一軍マウンドに上がることなく、ユニフォームを脱いだ。 福岡市の大濠公園のすぐそばに「桧山泰浩事務所」はある。ドラフト指名から32年、引退してから26年――元プロ野球選手