インターネット寺院
ここでマインド・コントロールの手法について説明しておこうと思うのですが、恐らく、多くの教会のクリスチャン皆さんは「そんなことをする教会があるんかな~。」と思われると思います。ちょっと信じられないような。。。 確かにキリスト教会全体の数に比べたら、極々限られた少数の教会の話にすぎないのかもしれませんが、嘘のようなホントの話、実際に起きてしまっていることでもあります。 ある程度、マインド・コントロールによる支配体制ができあがると、活動も活発になりますので、人数も増えていきます。それだけ悲しいかな、「教会」で心に傷を負ってしまう人も増えていってしまうのです。 ちょっと弁護をすると、キリスト教会がカルト的になってしまう場合には、「マインド・コントロールで信徒を支配してやろう」というような確信犯ではなく、むしろ一生懸命で、責任感が強く、熱心であるあまりに、気負いすぎて、気づかない内にマインド・コント
フェロモンボディのボディソープを買いました。 スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...
9月6日の朝日新聞朝刊に「仏教、自殺とどう向き合う」と題して、自殺を考える人にどう仏教が対処しようとしているか記事が掲載されていました。 葬式仏教と揶揄される現状にとどまらず、生者に寄り添えるのか。 記事では、臨済宗の僧侶が僧侶約3000人に「自殺問題研究会を作ろう」とハガキを出したところ、返事をくれたのは3人にとどまり、会は実現していない例を取り上げ、多くの僧侶が及び腰になっている現状をさらけ出している。 また、よくマスコミも取り上げる「自殺志願者駆け込み寺」の篠原鋭一氏の取り組み、また自殺率が最も高い秋田県での動きが紹介されていた。 前項でも述べたが、「葬式仏教」でさえ行き詰まりが来ているのに、更に「自殺者」に向き合えるほど、僧侶には余裕が無いのが実情。 「死んでしまった人」に対しての「葬式」はできても、「死を考えている人」への「カウンセリング」の知識など、もともと僧侶には皆無なのだ。
自民の歴史的大敗……「自民への逆風」それだけです。 今回の参議院選挙は、特に民主党がすぐれた政党だから勝利した、ということでないことは誰もが知っています。 宗祖親鸞聖人は、為政者に近づくことを戒め、「主上・臣下、法に背き義に違し、忿を成し、怨を結ぶ」と痛烈な天皇・権力者批判をしているのは有名な話。 宗教と、政治とは分離されなければなりません。 ところが、今回、本願寺派は宗門特別推薦として派内の僧侶を民主党候補として送り込み、当選を果たしました。 この件について、「衝撃」と言うか「やっぱり」と言うか、中外日報平成19年7月31日号に報じられていました。 「特別推薦」藤谷氏の8万票止まりに衝撃(本願寺派) 本願寺派の特別推薦を受けて比例代表に立候補した民主党新人で山口県岩国市の教蓮寺前住職の藤谷光信氏(70)は、79656票を獲得して当選。 また特別推薦を受けて大阪選挙区に立候補した自民党前職
関連経典:『中部経典』 第八六経(Majjhima-nikqya,86 Axgulimqla-sutta) 盗賊アングリマーラ(アングリマーラ経) 関 稔訳 アングリマーラの帰依 このように私は聞いた。 あるとき、世尊はサーヴァッティー(舎衛城)のジェータ林にあるアナータピンディカの 園(祗樹給孤独園=祗園)に滞在された。 そのとき、コーサラ国のパセーナディ王の領地に、残忍で、血まみれの手をし、殺戮 と破壊に専念し、生きるものたちにたいし憐みを示すことがない、アングリマーラという 名前の盗賊がいた。彼のせいで、村も村ではなくなり、町も町ではなくなり、地方も地 方ではなくなってしまった。彼は、人々を次々に殺害しては、切り取った指の飾り環を 身にまとっていた。 さて、世尊は、午前中に、衣服をととのえ、鉢と衣を持ち、サーヴァッティーに食を乞 いに入られた。サーヴァッティーで食を乞
2007年02月22日13:27 カテゴリ イエス・キリストを理解してない人たちへ、−(仏陀を理解していない人たちも) http://www.tomabechi.com の掲示板の2004年の2月過去記事: >>>>【記事番号:497】 サトリの先にあるもの・2 投稿者: 苫米地英人 投稿日時: 04/02/16 18:53:44 近代宗教(キリスト教、イスラム教、仏教など)は、原始的宗教に一般に見られる矛盾=神と人間の関係が対等であるという立場、もしくは、人間が神を使役するという、人間が神の上位になる関係を避けることで成り立ってきたといえます。例えば、日本の古来の「御利益」の概念は、人間が、一心不乱に祈ったり、水行をしたり、生け贄を捧げたりして、なんらかの犠牲を神に払えば、神がお返しに御利益をくれるという概念です。これは、人間の行為に神が見返りを提供しなければならないという、人間と神を対
http://anond.hatelabo.jp/20070216195203 そういえばこのネタで江戸時代に徳川幕府が作った「檀家制度」との関連を書く人っていないねぇ。 要はキリスト教の流入を防ぐべく、誰もがどっかの寺の檀家になることを義務づけられたってヤツなんだけど。 で、寺請証文がないと結婚も就職もできなかったわけで。 事実上仏教が戸籍みたいなもんだったわけでしょ? で、それ以外の選択が許されなかったと。 その名残で、それ以外の宗教というものに対して拒絶反応を示すようになったということじゃないかなぁ。 しっかし徳川幕府、宗教まで完全に統制してたんだよなー。今考えたらすげえよな。 実質的に宗教というものを骨抜きにしちゃったんだから。 参考:寺請制度 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E8%AB%8B%E5%88%B6%
2006年12月01日15:00 カテゴリ書評/画評/品評 ブッダ―大人になる道 希望のしくみを読んで、これはスマナサーラさんの単著も読まなくてはと思って買ったのがこちら。 ブッダ―大人になる道 A. スマナサーラ 期待は、全く外れることはなかった。 本書「ブッダ―大人になる道」は、「生」仏教とは、これほど痛快なものだったのか。 現日本テーラワーダ仏教協会長老、アルボムッレ・スマナサーラが、飯能市にある自由の森学園中学校・高等学校で行った授業を本にまとめたもの。 あとがき えっ、これって仏教の本? というぐらい、「仏教」臭くない。そこには線香の匂いもお経の意味不明さも一切ない。 この本で説明した内容は、お釈迦様の言葉を分かりやすく説明したものです。分かりやすくとことさら言わなくても、お釈迦様の言葉はわかりやすいし、実践しやすいし、格好いいし、超現代的でもある。この本を読まれた方が仏教が怖く
4日前の 「鏡の法則」 に関するエントリーで、私は自分の反応が 「シンプルに感動した」派と「馬鹿馬鹿しい」派のどちらにも属さないと、確かに書いた。 しかし、どちらの方により違和感を覚えるかと言えば、馬鹿馬鹿しいとして、無闇に批判する論調の方にである。 高い壷を売りつけるインチキ霊感商法と同じやり口だとか、カルト宗教の洗脳のようだとか、いろいろな批判のしようがある。しかしこのストーリーでは、幸いなことに、壷も売りつけらていなければ、カルト宗教に金を貢がされてもいない。 誰にも迷惑をかけず、誰も不孝にならず、それどころか(一応)幸せになっている。その方法論が気に食わないとしても、あるいは、そのレポートが稚拙だとしても、別にとりたてて悪し様に言う必要はないじゃないかと思うのである。それこそ、人生いろいろだもの。 一般的なことを言えば、そりゃあ、親を恨むよりは感謝している方がいいに決まっている。し
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