大阪観光は数あれど、圧倒されるならここ 道頓堀、大阪城、通天閣…大阪観光メジャースポットももちろん楽しいだろうが、そこに圧倒されるだろうか。道頓堀のグリコの看板に圧倒される人がいたらちょっぴり悲しい気持ちになってしまわないだろうか。 そこで国立民族学博物館である そこで国立民族学博物館である。確実に圧倒されるはずだ。とにかくその"文化"のボリュームにである。 日本コーナー、このボリュームが全世界で繰り返される 世界の文化は歳を重ねるにつれおもしろくなるぞ 世界の文化が大ボリュームで展示されている。それがどうしたんだ?と思う方もいるかもしれない。 わかる。大学生の頃にみんぱくを訪れた私も「あるなあ」程度に思っていたのだが、これが歳を重ねるにつれどんどんおもしろくなっていくのである。 「これで暮らしてるのか!」「こんなものどうやって考えついたんだ!」「なんでこんな模様になるんだ…!!」などなど
今から550年ほど前、ペルーの北部沿岸地域のチムー文明で、140人以上という南北アメリカ大陸で(おそらく人類史上でも)最大規模の子供の集団生贄(いけにえ)の儀式が行われていた証拠が発見された。子供のほかに200頭以上のリャマの子も生贄としてささげられた。チムー文明は、ヨーロッパ人がやって来る前、先コロンブス期にペルーで栄えた、いまだ謎に包まれている文明。ペルー国立トルヒーヨ大学のガブリエル・プ
https://twitter.com/kamekujiraneko/status/1039819492992249856 先住民生存捕鯨の枠自体なくせと? 先日は紋別で警察にアイヌのサケ猟が阻止される事件があったが、アイヌのサケ猟は行政が「文化を評価」した上でごく一部の枠を与える形で「許可」を出す。それは「人種差別に繋」がらないの? 反捕鯨国の米・豪等では先住民が主体的に天然資源を管理している。 今回もまずはツイートをご紹介。元ツイは公明党の捕鯨族議員・横山信一氏で、発信は9月11日、開会中のブラジル・フロリアノポリスの国際捕鯨委員会(IWC)総会の会議場から。前回紹介した徴用工訴訟関連より1桁少なくバズッてはいませんが、横山議員の元ツイの倍近くはRTをいただいております。 で、拙ツイート内に出てくる「先日の事件」というのがこちら。北海道とネット以外ではあまり話題になっていませんが。 ア
「ムスリム批判は絶対に許されない」移民が侵食するスウェーデンの“パラレル・ソサエティ”化が深刻すぎる(国防省レポート)- 記事詳細|Infoseekニュース https://news.infoseek.co.jp/article/tocana_51213 この記事の内容を概略すると、スウェーデン国防省が公式に「組織的にイスラム教集団をスウェーデン内に増加させようとしている連中から守らないと国防に問題出ますよ」という一見陰謀論じみたことを言っているのだ。 スウェーデンは高福祉高負担社会であり、それこそ”保育園落ちた日本死ね”とか言っている人が羨む程度には子育てへの福祉は充実している。 だが、それは少子化解決に大して殆ど効果がなく、結局大量の移民を受け入れることで人口を保ってきた。 その結果無視できないほど、どんどん国内でイスラム教徒の数が増えていき、とある地域に住んでいたり活動していたLGB
【カイロ秋山信一】リオデジャネイロ五輪の柔道男子100キロ超級で、イスラエル選手との試合後に握手を拒否したエジプトのイスラム・エルシェハビ選手(34)が毎日新聞の取材に応じ、「試合の棄権を求める声もあり、試合前から重圧があった。柔道のルールを守った上で、(イスラエルを敵視する)アラブ人やイスラム教徒の感情を尊重し、握手は拒むことを決めた」と説明した。 エルシェハビ選手によると、試合8日前にイスラエル選手との対戦が決まった後、インターネットを通じて「イスラエルの存在を認めないために棄権すべきだ」「敗北は許されない」などの意見が寄せられていると知った。代表チーム内で対応を協議し、試合後の握手の義務はないことを踏まえ、結果に関わらず握手は拒むことを決めた。
なにゆえ きみら 呪いのことばでロシヤをおびやかすのか? なにが きみらを憤激をさせたのか? リトワニヤの動乱か? やめにしてくれ。これは スラヴ民族同士のあらそい 内輪の 昔からの 運命にさだめられたあらそい きみらが解決できる問題ではない。 プーシキン、「ロシヤを中傷するものたちへ」 河出書房出版『プーシキン全集1』より、草鹿外吉訳 (1)ロシア: ウクライナの不可分の一部 最初に私の出自についてお話ししたい。今から200年ほど前、私のロシアの姓である「ストノーギナ」は、実は「ストノーガ」という古くからあるウクライナの姓だった。ストノーガというのはコサックの名前だ。つまり、地元の軍人と、ロシアの当局からもウクライナの当局からも独立した、ウクライナで最も自由な人々の名前だった。 その後、私の先祖はロシアに移り住み、姓が少し変わった。ここで言いたいのは、私のように血が混じった人間はロシアと
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