○八〇年代反核運動の盛り上がり では、三・一一以前、彼の考えはどのようなものだったのか。 反原発運動を反核運動とセットにして厳しく批判するようになったのは、一九八〇年代はじめ、文学者による反核署名運動が起きてからだった。始まりは反核運動への批判だった。 一九八一年、中野孝次、小田切秀雄、西田勝、小田実らが発起人となって「文学者の反核声明」が呼びかけられた。 「署名についてのお願い」は次のような文から始まる。「さて今春、アメリカでレーガン政権が発足して以来、軍備増強論がにわかに高まり、限定核戦略が唱えられ、中性子爆弾の製造が決定されて、核戦争の脅威が人類の生存にとっていっそう切実に感じられるようになってきました」。アメリカの新しい戦略核兵器がヨーロッパに配備されれば、核戦争への歯止めが失われる危機感から、幅広い、反核、平和の運動がヨーロッパで広がっているとし、「世界最初で唯一の悲惨な被曝体験
【ニューヨーク/ウランバートルIDN=ジャムシェッド・バルーア】 国際連合安全保障理事会(安保理)は、これまでで最大規模の核実験(通算6回目)に踏み切った朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)に対して、全会一致で制裁強化に合意する一方、6か国協議の再開を呼びかけた。 中国・北朝鮮・日本・韓国・ロシア・米国による多国間協議を訴えることで、15カ国から成る安保理は「朝鮮半島情勢に対する、平和的、外交的、政治的解決へのコミットメント」を表明した。 この問題はまた、ニューヨークから1万150キロも離れたウランバートルで8月31日から9月1日に開催された「核軍縮問題に関する国際会議:グローバル及び地域の側面」でも注目を集めた。ウランバートルは、南を中国、北をロシアと接しているモンゴルの首都である。 会議は、モンゴルのジャルガルサイハン・エンクサイハン元国連大使が事務局長を務めるNGO「ブルーバナー(青旗
国際的な反核平和団体らが世界中に呼びかけた平和を求める共同行動「平和の波」が26日、全国各地で取り組まれました。東京・有楽町マリオン前では、日本原水協と日本平和委員会が街頭宣伝。核兵器禁止条約の第1回締約国会議に出席すらせず、改憲や軍拡を狙う岸田政権に怒り、「被爆国にふさわしい政治に変えよう!」「日本は核兵器禁止条約に参加を」と参加者が訴えました。 行動は、国際的な反核平和団体「国際平和ビューロー」(IPB)などが呼びかけ、軍事同盟の縮小・解体や核兵器廃絶などを世界各地で求めました。 東京・有楽町の宣伝で、日本原水協の高草木博代表理事は、国連憲章違反であるロシアの侵略戦争反対や核兵器禁止は、いまや世界で多数派の世論だと述べ、「ご一緒に、侵略戦争反対、核兵器なくせと声をあげましょう」と語りました。 日本平和委員会の千坂純事務局長は、ウクライナ侵略を口実に、岸田政権などが改憲や大軍拡を主張して
長崎原爆の日に合わせ毎年長崎市で開催される二つの原水爆禁止大会は9日、新型コロナウイルス感染拡大防止のため規模を縮小し、原水爆禁止日本協議会(原水協)系の世界大会はオンラインで、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)系はミニ集会で核兵器禁止条約の早期発効を訴えた。 原水協系大会では、平和団体「国際平和ビューロー」(IPB、ベルリン)が、平和や軍縮などの分野で活躍した個人・団体に贈る2020年ショーン・マクブライド平和賞に「ヒバクシャ国際署名」を選出したことを報告。同署名は「生きているうちに核兵器のない世界実現を」との願いを込めて2016年に始まり、署名は国内外で1184万筆を超えた。同署名連絡会の代表で日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中熙巳代表委員は、核兵器禁止条約の批准国・地域が発効に必要な50に迫っているとして、「受賞を励みに力を尽くす」と述べた。 原水禁系は長崎市の爆心地公園でミニ
【反核平和運動・原水爆禁止世界大会】 原水爆禁止2009年世界大会 国際会議:発言 アン・ライト 元米外交官 元米陸軍大佐 アメリカ合衆国 原水爆禁止2009年世界大会国際会議の場で核兵器のない世界を実現するために発言できることを光栄に思います。 まず、私の国が下した広島と長崎への原爆投下という決定について、謝罪したいと思います。その決定は間違いであり、私はそれを恥ずかしく思います。 核兵器廃絶を求めるようになる背景としてはめずらしい私の経歴をお話ししたいと思います。 私は29年間米陸軍に仕えて辞職した退役軍人です。辞職したときは米陸軍予備役軍の大佐でした。また、米国の外交官として、ニカラグア、グレナダ、ソマリア、ウズベキスタン、キルギスタン、シエラレオネ、ミクロネシア、モンゴルに赴任しました。2001年12月には、アフガニスタンのカブールでの米国大使館再開のための少チームの一員として5ヶ
「兵器支援より和平交渉を優先すべきでは」なぜ地元テレビ局はゼレンスキー大統領にそんな質問をしたのか 「広島サミットは失敗だった」論は根本的におかしい 「G7はかつてなく結束している」の意味 人々にさまざまな思いを残したG7広島サミットが終わった。実りの多いサミットであった。これほど多くの人々に「感動した」と言わせる国際会議は、珍しい。関係者の努力に敬意を表する。そのうえで、背景となった要素を三つ上げると、ウクライナ、ゼレンスキー、そして広島、ということになると思う。 ロシアのウクライナ侵攻の危機は、G7参加者にかつてない緊張感を与えている。G7メンバー(フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ+EU)は、協調しつつ多大な努力を払って侵攻への対処策を講じている。アメリカのジョー・バイデン大統領をはじめとする多くの参加者たちが、「G7はかつてなく結束している」と発言したが、
Published 2023/05/21 18:34 (JST) Updated 2023/05/21 18:35 (JST) G7広島サミットで来日した国連のグテレス事務総長は21日、広島市で記者会見し、世界で新たな軍拡競争が始まっていると指摘、軍縮の動きは「完全に止まった」との認識を示しながら核兵器保有国を非難した。核軍縮推進のため「核保有国は議論しなければならない」と訴えた。保有国に「核の先制不使用」を約束するよう改めて求めた。 グテレス氏は「被爆者の勇気と力強さに感銘を受けた」と振り返った。 発展途上国の多くが債務問題を抱えていることへの懸念も表明。「豊かな国々は世界の大半の国々が深刻な財政危機に陥っている事実を無視してはいけない」と語った。
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広島ビジョン「期待外れ」 ICAN暫定事務局長が批判―G7サミット 2023年05月21日07時05分配信 インタビューに答える国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のダニエル・ホグスタ暫定事務局長=19日、広島市中区 国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のダニエル・ホグスタ暫定事務局長は、先進7カ国首脳会議(G7サミット)で19日に発表された核軍縮に向けた声明「G7首脳広島ビジョン」について「新しい内容がなく期待外れ」と厳しく批判した。時事通信とのインタビューで語った。 バイデン氏、直前まで葛藤 原爆資料館訪問、米世論を懸念 ホグスタ氏は、被爆地の広島にG7首脳が集まったことを評価しつつ、「平和記念資料館や被爆者との面会で感じたことがあるはずだが、声明に全く反映されていない」と指摘。「写真を撮って献花するだけでは意味がない」と嘆いた。 また、広島ビジョンを「
「総理、逃げるんですか」 21日の主要7カ国首脳会議(G7サミット)の議長国記者会見で、岸田文雄首相が会見を終えて演台から離れようとした際、会場にいた男性記者から核廃絶問題について追加の質疑を求める声が上がった。首相は再び演台に戻り、約3分間質問に答えた。 首相は核軍縮問題を自身のライフワークと公言するだけに、「逃げるんですか」との一言に我慢できなかったようだ。 記者会見は同日、広島市の平和記念公園で午後2時40分ごろから始まり、首相の冒頭の発言の後、記者4人の質問に答えた。その後、司会の四方敬之・内閣広報官が会見終了を告げたが、男性記者がサミットで採択した核軍縮に関する首脳声明「広島ビジョン」について「1問だけでいい」と声を上げた。首相は既に演台に背を向け応答要領のファイルも警護官(SP)に手渡していたが、「逃げるんですか」の声にきびすを返し、「核軍縮…
先進7カ国首脳会議(G7サミット)がまとめた核軍縮に関する「広島ビジョン」を巡り、カナダ在住の被爆者サーロー節子さん(91)が20日、帰郷中の広島市で中国新聞のインタビューに応じた。「自国の核兵器は肯定し、対立する国の核兵器を非難するばかりの発信を被爆地からするのは許されない」と批判した。 サーローさんは帰国前から、サミットに関与する市民社会のグループによる政策提言に注目。核兵器禁止条約の締約国との協働などを求める内容だったが、「岸田文雄首相は提言書を直接受け取ったのに、広島ビジョンでは全く無視されている。市民の声を聞いていない」と憤った。 人間として原爆資料館の展示遺品や原爆慰霊碑と向き合うよう訴えてきた、G7首脳の平和記念公園(中区)訪問も疑問視。「文書の文言から首脳の鼓動も体温も感じない。あの場で何を見て、感じたのかを一切非公表とし、広島に来た意義はあったと言えるのか」と話した。 核
【被爆者援護連帯】【反核平和運動・原水爆禁止世界大会】 沈黙の閃光/ セツコ・サーロー いまから40年前の1945年8月6日、アメリカは広島に原爆を投下しました。当時、私は広島女学院に通う13歳の生徒でした。この一発の爆弾でおよそ14万の人々が命を失いました。私は生き残った者のひとりです。その後の人生の大半を、あのとき目の当たりにした恐怖と被害を二度とくり返させないために生きてきました。廃墟から這い出てきた私たちは、いま世界を脅かしている核の破局を垣間見ました。私のことをお話しするのは同情を得るためではありません。警告なのです。 被爆以前の私の生活は、日本の若い女の子としては例外的なものでした。家族は武士階級の家系でした。侍といっても、封建的な特権はずっと以前になくなっていたのですが、それでも武士の家系にははっきりとした社会的な格式が残っていました。私たちの住む広島の大きな家の門には、武士
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