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歴史と言葉と人物に関するLouisのブックマーク (2)

  • 片倉小十郎相手に、いつもの市松。

    2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板  http://ikura.2ch.net/sengoku/ 13 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/06(金) 17:50:53 ID:1rAiB5Dj 有名かも知れんけどまとめになかったので… いつもの市松。 福島正則がある時聚楽第で伊達政宗とその臣、片倉小十郎に出くわした。 武辺でのし上がった正則は死に装束や十字架を担いで罪を免れるなど 小賢しさ満載の政宗を良く思っていない。 からかってやろうと出会い頭に「無鳥島の蝙蝠め。」と罵倒した。 無鳥島の蝙蝠とは、鳥がいない島のコウモリ。 つまりは、奥州には碌な武将がいないから政宗如きコウモリでも 勝ち上がってこれたという侮辱である。 これは織田信長が長曾我部元親に対して言った言葉とされるものを どこかで聞きかじって使ってみ

    片倉小十郎相手に、いつもの市松。
    Louis
    Louis 2009/11/07
    さすがは市松さん!/しかし「ちんちくりん」の意味は知らなかった
  • 「織田信長」が名乗りを「上総守?」と書いていて、間違えたという話を聞いたのですが、「介」と「守」で - 「織田信長」が名乗りを「上総守... - Yahoo!知恵袋

    参考1は奈良・平安時代の制度です。 少しスクロール、国司の項目をご覧下さい。守は分国の長官、介は補佐・次官です。 時代を下ると朝廷自体が力を失い、有名無実のものとなってゆきました。 江戸幕府では、幕府が朝廷に奏請して職階を臣下に与えましたが、大名の任国と職階は一致するわけでもなく、 また大名でなくても守はもらえました。 信長は最後には正二位・右大臣になりましたが、上総介は私称の可能性があるようです。 律令制では国の格は横並びでなく、上総国は一番上級の大国で親王(皇位継承権をもつ皇子)任国でした。 実際には親王は赴任しませんので、親王任国の制度後では介(大介)が実質上の長官になるようです。参考3.上総国クリック。 http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/r_kanshoku.html#Shibukan http://oshiete1.goo.ne.jp

    「織田信長」が名乗りを「上総守?」と書いていて、間違えたという話を聞いたのですが、「介」と「守」で - 「織田信長」が名乗りを「上総守... - Yahoo!知恵袋
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