教育勅語や日の丸・君が代を駆使した国家的洗脳教育がどれほど狂った社会を作り出したか。「桐生市鹵簿誤導事件」は、そのささいな始まりと帰結の重大さによって、それを学ぶための良い教材となっている。 鹵簿(ろぼ)とは、天皇や皇族の行列のことを言う。桐生市鹵簿誤導事件とは、昭和天皇が1934年に群馬県桐生市に行幸した際、鹵簿を先導していた警官が道を間違え、訪問先を予定とは違う順序で回ってしまったという「事件」である。いや、本当にそれだけ。事故を起こしたわけでも、死人や怪我人が出たわけでもない。 たかがそれだけのことがどんな騒ぎを引き起こしたか、江口圭一氏の著書[1]から引用する。 (略)34年11月、群馬・栃木・埼玉の三県下で陸軍特別大演習がおこなわれた機会に、天皇が桐生市などへ行幸することとなった。桐生市は全市あげて準備を大わらわですすめた。天皇に校内を巡覧されることとなった桐生高等工業学校では、