タグ

人間のくずと法輪功に関するbogus-simotukareのブックマーク (3)

  • 澤藤統一郎の憲法日記 » これが、法輪功を邪教と決め付ける根拠?

    (2020年7月16日) 7月13日、当ブログに「法輪功を邪教として弾圧する、中国政府の言い分に耳を傾ける。」という記事を掲載した。 http://article9.jp/wordpress/?p=15223 この表題はいかにも弱い。「中国政府の言い分に耳を傾ける」ではなく、「中国政府を糾弾する」「弾劾する」がふさわしいかも知れない。少し遠慮しても、「中国政府の言い分を検証する」くらいが自然だろう。 しかし私の深層心理には、中国政府を不必要に「糾弾する」「弾劾する」と書きたくない「甘さ」がある。宗教弾圧を行っている中国政府を批判しながらのこの「甘さ」。誰かがこの「甘さ」を批判するかと思っていたら、その反対の側からの批判にぶつかった。「常軌を逸したアンチ中国」というのだ。bogus-simotukareという、ペンネームだけの匿名の人。いかにも世の中は広い。いろんな人がいるものだ。 私のブロ

    bogus-simotukare
    bogus-simotukare 2020/07/17
    「仮にやってたとして何が悪い、信教の自由だ」だそうです。この澤藤の理屈「進化論否定も信教の自由」ならオウム真理教も「殺人などの犯罪はともかく」空中浮遊のでっち上げは何ら問題ないことになるでしょう。
  • 澤藤統一郎の「常軌を逸したアンチ中国」を嗤う(2020年7/15日分)(副題:法輪功は間違いなく邪教ですよ!、澤藤さん)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ

    澤藤統一郎の憲法日記 » 法輪功を邪教として弾圧する、中国政府の言い分に耳を傾ける。 澤藤氏に反論、批判を加えようと思ったのですがコメント欄が無いというのにまず呆れますね。 仮にも「弁護士」「自称・市民活動家」でありながら、読者と対話しようという意思が全くないのが澤藤氏のようです。 堂々と掲載拒否して恥じないとはいえ、リベラル21には一応コメント欄はあったんですが、澤藤ブログにはコメント欄が無い。 まあリベラル21もそうですが、日の「自称リベラル、自称左派」の一部(澤藤氏や阿部治平)には心底呆れざるを得ません。 「詳細な引用はしませんが」ここで澤藤氏の書いてる文章「中国は香港やウイグルで酷い人権弾圧をしている。だから法輪功摘発も不当な弾圧で、法輪功は邪教では無く何一つ問題が無い宗教かもしれない(俺の要約)」は「米国は間違ってる、だからソ連が100パー正しい」「中国は間違ってる。だから解放

    澤藤統一郎の「常軌を逸したアンチ中国」を嗤う(2020年7/15日分)(副題:法輪功は間違いなく邪教ですよ!、澤藤さん)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ
    bogus-simotukare
    bogus-simotukare 2020/07/15
    仮にも弁護士の肩書きを持つ人間がアンチ中国をこじらせて、「進化論否定」「LGBT差別」「信心でガンが治ると放言」法輪功を擁護とは話にならん/追記:日弁連も澤藤のようなバカは弁護士資格剥奪していいと思う
  • 澤藤統一郎の憲法日記 » 法輪功を邪教として弾圧する、中国政府の言い分に耳を傾ける。

    (2020年7月13日) 私は信仰をもたない。信ずべき宗教に関心はない。しかし、信仰の自由には大きな関心をもっている。権力による宗教弾圧にも、社会的同調圧力による宗教差別にも敏感でありたいと思う。信仰が人格の中核をなすということを理解しているつもりだし、少なくも理解しようと努めている。信仰の自由は、個人の尊厳を保障するものとして、徹底されなければならない。 思想の自由も表現の自由も、その内容優れたものを選別して認められるものではなく、あらゆる思想・表現に自由が認められなければならない。これを制約するには、極めて厳格な要件を必要とする。信仰も同じことだ。 優れた信仰も劣った信仰もありえない。多様な信仰の自由が認められなければならない。文明社会では、権力が信仰を選別してはならない。 709事件で弾圧された「人権弁護士」の中には、宗教団体・法輪功関連の弁護活動に携わっていた人が多いようだ。なぜ、

    bogus-simotukare
    bogus-simotukare 2020/07/15
    中国の人権状況は酷いから法輪功は邪教じゃ無いかもしれない、て呆れて二の句が継げない。/id:houyhnhm、「フェミや進化論は共産主義」「信心でガンが治る」とデマる法輪功は立派にカルト。もしかして君、法輪功信者?
  • 1