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・リベラルな方は頭のいい人が多い。 ・プライドが高いので、小さなことに本気を出せない。 ・巨悪や不正義みたいな事には目が行くが小さな問題には興味を惹かれない。興味をひかない意見については冷酷。 ・(もし参加する場合は)たとえ小さな問題であってもいちいちオオゴトに捉える。専門用語や難しい言い回しを使って議論を独占しようとする。 ・自分の言葉でしゃべらない。小さな問題でもポパーとかハーバーマスとか言い出す。 ・勝ち負けにこだわるというか勝ちにこだわるゆえに相手を絶対悪みたいなものに仕立て上げる。 ・絶対悪のようなものとしか戦わない。曖昧な物には手を出さない。常に正義でいたがる。 ・問題を解決することに全く興味がない。正義が明らかにされれば自ずと問題自体が消えてなくなると信じている。 ぶっちゃけると奈須きのこ作品にある魔術師のイメージに近い。 リベラルを自称する人で中ニ病でない人をみたことがない
クリスマス・ファシズムは、「若者はクリスマスを恋人同士で過さないといけない」というイデオロギーのこと。コラムニストの堀井憲一郎がその存在を唱えた概念。 堀井によると、1982年以前は「クリスマスよりお正月が大事だった」が、女性誌『アンアン』で1983年12月23日号に「今年こそ彼のハートをつかまえる!」と題して特集が組まれ、その後、男性誌『ポパイ』の「彼女のプレゼントにこれをあげよう特集」(1988年)を皮切りに、1990年には『ポパイ』「完璧クリスマス準備企画 もうクリスマスは怖くない」、『ホットドッグ・プレス』「必勝! 2人ですごすイヴ大作戦」等の特集が組まれ、「クリスマスは恋人たちの日である」という思想が全国展開された。堀井は、現代日本ではクリスマスはイベントとしてシステム化された若者向けの収奪機構であり、一連の雑誌記事の動向を「クリスマスは恋人たちの日である」という、若者への強迫観
今回筆者が編集部から依頼されたテーマは、「きたるべき秩序とはなにか」というものだ。その論考に入る前に、自己紹介もかねて、本稿を執筆するに至った背景や経緯について簡単に記しておきたい。 昨年から筆者は、さまざまな場所でウェブ上の新しい「秩序」に関する論考を発表する機会に恵まれてきたが★1、そこでキーワードにしてきたのが「生態系」や「生成力」といったある種の生命論的・生態学的なメタファーであった。インターネットの大衆的普及からはや10年以上が経過したが、そこでは種々さまざまなコミュニティやそれを支えるアーキテクチャ(人工構造物)が日々発生・成長・淘汰を繰り返しており、その全容を見渡すことは極めて難しくなっている。筆者はまずその現象に切り込むための解読格子として、「生態系」をはじめとする生命論的なメタファーを採用したのである。 ■ しかし、ただちに注釈しておかねばならないのは、こうした生命系のメ
濱野智史氏の「自己組織化は設計可能か──スティグマジーの可能性」(http://tenplusone.inax.co.jp/monthly/2009/09/post.php)を興味深く読みました。 濱野氏の関心の焦点を、神学者ラインホールド・ニーバーの有名な言葉をもじって、「変えることのできなかったもの《を》変えることができるようになったかどうかを、識別する知恵」と、説明されたのが印象的。 あのニーバーの言葉、確か宇野常寛氏の『ゼロ年代の想像力』にも引用されていたと記憶しています。もしかしたら、サバイブ系の想像力を生態系論・自己組織化論に接続することを目的のひとつにして、本論が書かれているのかもしれないなーと思いました。 サバイブ系の想像力への警戒と注釈。そのようにも読むことが可能なのかもしれません。でも、そうなっていくとどんどん「研究」的になっていくなー。つまり、とても精緻でよい仕事をさ
先日、文化系トークラジオLifeの番外編「『ニッポンの思想』をめぐって」に参加しました。佐々木敦さんの書き下ろし作『ニッポンの思想』(講談社現代新書)をめぐる議論にゲストとして呼んでいただいたのです。番組サイドのパーソナリティが、斎藤哲也さん、仲俣暁生さん、charlieこと鈴木謙介さん(電話参加)の3氏で、メインゲストが佐々木さんでした。私は佐々木さんが『ニッポンの思想』でお書きになっている80年代からゼロ年代まで(ニューアカからゼロアカまで)の風景を、本の販売/営業サイドから裏書するような証言ができればよかったのですが、いかんせん私の力不足であまり貢献できませんでした。その反省を踏まえて、ラジオ収録のためにもともと準備していたあれこれの資料を事後的にですが再整理してレジュメにまとめたのが以下です。推敲の余地はまだまだたくさんあるものの、LIFE「『ニッポンの思想』をめぐって」のフォロー
違うと思いますが。 これは「権利の有無について文句を言えるということがすでにして、世間に文句を言うだけの権利を保持しえたことを証明している。よって優先的に扱わない。」ということ。俺の主張が正しいか否か、とかいった話はなんら無関係です。「お前は間違っている。飛行機に乗って来ることが出来る子供は権利を主張できない(=却下)」というひとはこの話には出てきません。たんに「ここはその場ではない」、としかいわれていないことに気をつけねばならないのです。 この主張(ここがなんの場か=ここがなにを優先するか、の理屈)を覆すのであれば、高校生たちは「われわれをこそ優先せよ」、つまり「飛行機に乗るどころか学校にも行けないような、守られざる子供の人権」よりも「われわれの服装の自由権」をここで優先的に扱え、といえばいい。もしくは今現在でさえ足りないであろうリソースにおいて、「守られざる子供の人権」と「われわれの服
※誰が聴いてもヘヴィ・メタル!な楽曲を紹介していきます! アメリカのヘヴィ・メタル・バンド、オブセッション (OBSESSION)が、1987年にリリースした3枚目のアルバム『Methods of Madness』の2曲目に収録。 ラウドネスの『Soldier of Fortune』期、さらにはイングヴェイ・マルムスティーンの『Sevens Sign』期に活躍したヴォーカル、マイク・ヴェセーラが在籍したバンドとして知られるのが、このオブセッションです。 実際には、マイクのラウドネス加入前から、正統派メタルのマニアには、輸入盤市場で話題になっていました。ですので、ラウドネスの新ヴォーカルは元オブ…
基礎体力ということについて考えている。基礎体力がないと、ちょっと動いただけで疲れてしまう。基礎体力がなくても死にはしないが、あったほうが世界は広がる。 同じ事は基礎体力の比喩的な解釈についても言える。多彩な語学力があれば、海外で書かれた文献を読めるので、世界が広がる。しかし無くても死にはしない。数学的な物の見方も、できなくても死にはしないが、できたほうが世界が広がる。 こう考えてみると、なんでもかんでも基礎体力ということにしてしまえるような気がするが、そうではない。私の言う基礎体力がなにかということを考えてみるに、たぶんそれは、「日々の積み重ねのみがものを言う能力」全般を指しているのだと思う。 数学は積み重ねの学問であるとよく言われるが、体育だって同じ事である。普段から運動していない者がいきなり自転車で日本一周しろと言われてもできないだろう。体育は数学と同じで、積み重ねの体系なのである。
チュートリアル水準、マーケティング水準 † 遠藤雅伸などはゲームの「導入」部分を上手くつくることこそが、ゲーム開発の肝だ、という話をいろいろなところで言っている。宮本茂の「難易度ということをきちんと考えろ!」という発言もだいたい似たようなものだと言えるだろう。 実際、「隠れた名作」になっていたり、危うく「隠れた名作」になりそうだったものは、導入がうまくいっていないものが多い。たとえば、『ひぐらしのなく頃に』『カオスシード』『セブン―モールモースの騎兵隊―』などが、導入がヘタな「名作」or「隠れた名作」だろう。 上記はチュートリアル水準での導入が上手くいっていない事例だが、もっとマクロなマーケティングの水準での導入がうまく言っていないと、これも厳しいことになりがちである。たとえば『コードエイジ エイジ コマンダーズ』は、それほどひどいゲームでもなく、一般のゲーム誌でのレビューはそれほど悪くな
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
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