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lifeとmedicalに関するdazedのブックマーク (22)

  • 脳は「いらないもの」から忘れていく…90歳の母に教わった「一番幸せな脳の閉じ方」(黒川 伊保子) @moneygendai

    年をとったら誰もが避けられない「物忘れ」。やがて認知症になるのではないかと、不安に思う人もいるだろう。著書『60歳のトリセツ』を出版した、脳科学・人工知能研究者の黒川伊保子氏は、あるときから物忘れを憂うのをやめたという。脳のプロだからこそたどり着いた、物忘れが怖くなくなる考え方とは? ご人に語っていただいた。 そんなある日、師事していた言語学の先生に、その不安を打ち明けたときのこと。 齢80にならんとするその先生は、こうおっしゃった。「あなたが忘れるのは、まだ固有名詞だろう? 固有名詞なんて、たいしたことはない」 「そのうち、あなたがもう40年も生きると」と師は続けた。 「普通名詞を忘れるようになる。普通名詞を忘れるとね、ものの存在価値もわからなくなるんだ。たとえば、しゃもじを見て、これなんて言うんだっけ? と思ったとたん、それが何に使われるものだったかも闇に失せて思い出せなくなる」 私

    脳は「いらないもの」から忘れていく…90歳の母に教わった「一番幸せな脳の閉じ方」(黒川 伊保子) @moneygendai
  • 山崎元、癌になってみて考えた。「どうでもいいこと」と「持ち時間」 | トウシル 楽天証券の投資情報メディア

    ●病気と療養の概要 ●情報•判断•処理の能力とコスト ●癌の費用と「がん保険」 ●髪の毛や酒の「真の損得勘定」 ●時間の最適化としての人生 病気と療養の概要 筆者は昨年、癌に罹った。道癌である。稿執筆の時点で(2023年1月下旬)、手術からの回復過程にあるが、再発防止目的の薬剤を投与するために一月に1、2度通院している。癌は全てが投資お金と関係する訳ではないが、人にとって不確実性下の意思決定問題である点が投資と似ている。 今回は、自分で癌に罹り、治療に臨んでみて、何を感じ且つ考えたかについて率直に書いてみよう。今後に公開する動画で、筆者の風貌が少し変わっている(数キロ痩せて、髪の毛が減っている)理由の説明にもなるだろう。 尚、投資の文章では末尾などに「投資判断はご自身で行って下さい」としばしば注記されているが、稿の性質もそれに似ている。筆者の治療方針の選択や意思決定は一例であって

    山崎元、癌になってみて考えた。「どうでもいいこと」と「持ち時間」 | トウシル 楽天証券の投資情報メディア
  • 「半分こ」したお好み焼き - Dr. Takuya の 心の映像 (image)

    dazed
    dazed 2022/08/04
    “私たちは死者とともに食べている。死者はきっと私たちと食べている、と信じて食べている。そうしなければ、どうして人間は親しい人の死に耐えられようか” (孤食と共食のあいだ 縁食論 藤原辰史、ミシマ社)
  • イタリアで初の合法的な安楽死──44歳元トラック運転手の最期の言葉

    「私はやっと好きなところに飛んでいけるようになった」とカルボーニさん(写真はイメージ) sittithat tangwitthayaphum-iStock <44歳の男性は首から下が麻痺した状態だった。自立できないことで自尊心は失われ、心身ともに「大海を漂う船」のようになってしまったという> イタリアで44歳の男性フェデリコ・カルボーニさんが医学的な自殺幇助によって6月16日(現地時間)に死亡した。同国では初めてのケースだ。 生前カルボーニさんは、尊厳死する権利を求める活動団体「ルカ・コシオーニ協会」に所属し、裁判所や保健当局を相手に裁判を起こし闘っていた。 厳密に言うと、イタリアでは誰かが自ら命を絶つのを助けることは法律違反にあたる。しかし2019年、イタリア憲法裁判所は自殺幇助について、厳しい条件をつけながら、一定の例外があり得るとの判決を下した。 ドイツ国際公共放送ドイチェ・ヴェレの

    イタリアで初の合法的な安楽死──44歳元トラック運転手の最期の言葉
  • イタリアで初の「安楽死」 四肢まひの男性

    イタリア・ローマの憲法裁判所(2011年1月11日撮影、資料写真)。(c)FILIPPO MONTEFORTE / AFP 【6月17日 AFP】イタリアで16日、四肢まひの男性が「安楽死」した。同国倫理委員会に認められた初めての事例となった。男性を支援していたルカ・コシオーニ協会(Luca Coscioni Association)が明らかにした。 男性は元トラック運転手のフェデリコ・カルボーニ(Federico Carboni)さん(44)。特別な機械を使って致死薬を自身に投与し、家族と友人にみとられて亡くなった。 医療支援によって命を絶ったため、厳密には自殺ほう助に当たる。イタリアでは自殺ほう助は5~12年の禁錮刑が科される犯罪だが、憲法裁判所は2019年、自分の意思に基づいて判断でき、かつ「耐え難い」苦痛を抱えている人に対するほう助は必ずしも犯罪に該当しないと判断した。 倫理委は昨

    イタリアで初の「安楽死」 四肢まひの男性
    dazed
    dazed 2022/06/17
    “イタリアでは自殺ほう助は5~12年の禁錮刑が科される犯罪だが、憲法裁判所は2019年、自分の意思に基づいて判断でき、かつ「耐え難い」苦痛を抱えている人に対するほう助は必ずしも犯罪に該当しないと判断”
  • 「自分をわかってくれる人を探す旅」こそ人生だという理由 | ライフハッカー・ジャパン

    健康で体力があるとき、財力や権力、才能などがあるとき、自由にいろいろなことができるとき、人から頼られる存在であるとき、人は誰でも強く前向きに生きることができます。 ところが、そうしたものを失ったとき、つまり「弱い」自分になったとき、多くの人は苦しみ、絶望し、生きる気力を失います。(「はじめに」より) こう指摘している『あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる』(小澤竹俊 著、アスコム)の著者は、人生の最終段階を迎えた多くの患者さんたちと関わってきたというホスピス医。つまりこのタイトルは、人間の質的な部分を表現しているわけです。 とはいえ、そうした人々が当に弱くなったのかといえば、答えはノー。なぜなら彼らは単に、目に見える「わかりやすい強さ」を失っただけだから。強さにはそれ以外にも、「弱さのなかで見つかる強さ」「弱さから生まれる強さ」があるというのです。 それまで強かった人が、弱さを得て

    「自分をわかってくれる人を探す旅」こそ人生だという理由 | ライフハッカー・ジャパン
    dazed
    dazed 2022/05/27
    “「そんな体で仕事をするのはやめなさい」「夫の介護は施設に任せなさい」”ついつい言ってしまいがちだけど、言った側にも責任が伴う問題だとは思う。むずかしい。
  • 「心のごみ捨てにきて」女性癒やす異色の尼僧 田ステ女ゆかりの寺

    現在の兵庫県丹波市柏原町出身で、江戸時代に「元禄(げんろく)の四俳女」の一人とたたえられた俳人・田(でん)ステ女(じょ)。後半生は仏の道に進んだステ女ゆかりの姫路市の尼寺に、異色の経歴の尼僧がいる。さまざまな悩みを持つ人の相談に乗りながら、寺に気軽に足を運んでもらうための行事なども企画。「女性のための癒やしの場に」と奮闘している。(末永陽子) 「雪の朝 二の字二の字の 下駄(げた)の跡」。わずか6歳で詠んだという句「雪の朝」で知られるステ女。俳人として名をはせ、5男1女にも恵まれ幸せな日々を送っていたが、夫に先立たれる。その失意から、平安を求め、40歳を過ぎて仏の道を選んだといわれる。 出家後は、姫路の網干出身の盤珪(ばんけい)和尚に師事し、龍門寺(姫路市網干区)で修行を重ねた。その後「貞閑(ていかん)」と改名。多くの尼僧を育てる中、「女性のための寺」として禅寺の不徹(ふてつ)寺(同市網干

    「心のごみ捨てにきて」女性癒やす異色の尼僧 田ステ女ゆかりの寺
    dazed
    dazed 2022/03/02
    こんな生き方もあるものだな。“看護師として国内の離島で終末期医療に取り組んだりした後、48歳で出家”(松壽山 不徹寺:https://www.futetsuji.com
  • 【れぽ3】知的障害検査と発達障害検査とうつ病検査の詳細とその後~~|ハルオサン

    ・・・・少し話足りなかったから、 検査結果についてもう少し話したい。 こういう話題は一歩間違えると湿っぽくなるし、個人情報はあんまり出さない方がいいと思ったからサラッと書き殴ったけど、思いのほか記事の反響が大きくて、いろんな人が温かい言葉やアドバイスをくださったのが嬉しかった。 私には相談相手がいないし、これまでの失敗だらけの人生の事を考えると、自分であれこれ考えるより、情報を発信して、いろんな人からアドバイスをもらった方が良いように思う。 だからもうちょっと面白おかしく、 検査の詳細を話したいと思う、 人生何やってもうまくいかないので「自分はバカ(知能が低い)」んだろうと思い、いざ知的障害検査を受けて見ると「知的障害ではない」と診断されてショックを受けた。 (えっ?!ウソやろ?!) クソみたいな人生やってんのに「障害ナシ」ということは、私が何度も転職を繰り返したり、仕事を辞めさせられてき

    【れぽ3】知的障害検査と発達障害検査とうつ病検査の詳細とその後~~|ハルオサン
  • 体は覚えていた…アルツハイマーの元バレリーナが白鳥の湖を聴いて踊り始める : らばQ

    体は覚えていた…アルツハイマーの元バレリーナが白鳥の湖を聴いて踊り始める 1960年代にニューヨークバレエ団でプリマバレリーナ(主役)を務めていたマルタ・ゴンザレスさん。 アルツハイマーを患い記憶を失った彼女にバレエの楽曲(白鳥の湖)を聴いてもらったところ、体が踊りを覚えていました。 Ballerina with Alzheimer’s hears Swan Lake, and begins to dance : Reddit Former Ballerina With Alzheimer's Performs 'Swan Lake' Dance | Super Emotional - YouTube 何てしなやかで美しい手の動きなのでしょう。 かつて彼女が立っていた夢舞台が浮かんで見えるほど。 ほとんど認知出来ない状態でありながら、筋肉の記憶(マッスルメモリー)が呼び起されました。 撮影

    体は覚えていた…アルツハイマーの元バレリーナが白鳥の湖を聴いて踊り始める : らばQ
  • 【れぽ1】知的障害の検査に行ってきた|ハルオサン

    自分がどうしてこんなにも「バカ」なのか? それがどうしても知りたくて病院に行ってきた。 検査の前にまず3回の面談(計2時間くらい)があって、そこでまず「なぜ検査を受けようと思ったのですか?」と先生方に「3回」尋ねられた。 だから私は「自分がいかにバカであるか?」 というような話を腐るほどすることになった。 (あるある・・・・)まず、18の時に『警察官』を無能すぎて半年でクビになった話。『家具店』に勤めたけど騙されて子会社で『特殊清掃』をやることになり、さらに1年で倒産した話。『設備メーカーの営業』に就職した時は社長の弟さんから速攻で嫌われて『倉庫業に左遷』されてから「おまえはヤバイ」と数か月でクビになった話。 ⅬED ・空調機器販売会社に勤めた時は、社長の息子さんから速攻で嫌われて「おはようございます」さえ無視されるようになり、業務が出来なくなり辞めざる負えなくなったという話。 (くそばか

    【れぽ1】知的障害の検査に行ってきた|ハルオサン
  • 人を仕事に駆り立てるもの。仕事の原動力とは何か。 - Dr. Takuya の 心の映像 (image)

  • ワクチンを打ったわたし、心臓を止めない薬|岸田奈美|NamiKishida

    お下がりの洗濯機をいつ持っていけばいいかという連絡を母にしたら、いま病院のレントゲン検査にきているとのことだった。 心臓に人工弁を入れている母は、“念のため”の検査がやたらと多い。いつも飄々とした外科医の先生が「うん、今日も異常なっしーん」と壁に貼りつけた検査の書類を見ながら、もう当り前に決まってたことかのごとく言ってくれるのだが、超弩級な心配性の母は、いつもあれこれと質問をする。 その質問が、なんか、天王寺動物園のトラの背中にマウンテンゴリラが乗って檻から逃げ出した想定の避難訓練というか、とにかく「そうはならんやろ」と言いたくなるような想像の産物なので、母はだいたい「そうはならんのですよ」と先生に笑われて、すごすごと診察室をあとにすると言う。 「もう病気はいやや、ピンピンコロリがいい」 母が電話で、さめざめと泣いた。 「すでに病気で二回死にかけとるから、あなたの場合はピンコロ ピンコロ

    ワクチンを打ったわたし、心臓を止めない薬|岸田奈美|NamiKishida
    dazed
    dazed 2021/07/07
    読んでいて、過去に家族の死に関係のあった数人の医師の顔が浮かんできた。みなさん口には出さないけど重いものを背負っているのだろうと思う。人生いつでも最善手が選べるとは限らないよな。
  • 初めて患者さんの前で泣いてしまった話

    突然だが、私は看護師をしている。同業者ならお馴染の入院期間が長く介護度が高いとされる内科の混合病棟。そこに私は新人で配属されてから今まで4年間勤務している。日々腰痛に悩まされ、終わらない業務に鳴り止まないナースコール。土地柄なのか文句を言った者勝ちだとでも思っているかの如く多いクレーム。正直、毎日疲弊しているし帰っても何もする気になれない。 そんな私が1年目の時、先輩看護師からふと「患者さんの前で涙を流してはいけないよ」と言われた。詳しい理由は聞いていないし、正直今でもあまりよくわかっていない。調べてもみたが、『時には涙を流すことも必要ですよ』なんていう謎のカウンセリング的な言葉が最後に出てくるばかりで明確な理由はわからず仕舞いだった。ただ、何となく、自分のなかでは「私たちはプロの医療従事者として、感情を露わにしてはいけないんだ」「患者さんやその家族の方には今まで歩いてきたその人たちの人生

    初めて患者さんの前で泣いてしまった話
  • 85歳の曽野綾子さんが90歳の夫を在宅介護し、看取ってわかったこと(曽野 綾子) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

    作家・曽野綾子氏(現在86歳)の夫で、文化庁長官や日芸術院長などを歴任した作家の三浦朱門氏は、今年2月3日に91歳で逝去した。63年あまり連れ添った糟糠のである曽野氏が、三浦氏を亡くなる直前まで自ら在宅介護していたことを、ご存知だろうか。 曽野氏が、夫の介護生活の中で感じた苦労と葛藤、また看取りや葬儀の様子を事細かに綴った『夫の後始末』がこのたび刊行された。夫との死別から8ヵ月が経ったいま、改めて心境を語る。 夫と過ごした最後の9日間 三浦朱門の死は、実に穏やかなものでした。平和な日社会の恩恵を充分に受けて、最期を迎えることができました。みなさまのお陰で、夫は穏やかな生涯を送らせていただいたと思います。 夫は91歳まで、ほとんど病気をしませんでした。恵まれていましたよね。 ただ、'15年くらいからさまざまな機能障害を発症しました。がんや心臓病を抱えているわけではなかったのですが、何度

    85歳の曽野綾子さんが90歳の夫を在宅介護し、看取ってわかったこと(曽野 綾子) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
    dazed
    dazed 2017/10/10
    “昔、先ごろ亡くなられた(聖路加国際病院名誉院長の)日野原重明先生から、「終末期にやってはいけない治療」を教わっていました。点滴、胃瘻、気管切開による延命です”
  • 大村智さん「予想以上の反響 すごい賞と実感」 NHKニュース

    5日、ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった大村智さんは、一夜明けた6日、都内の自宅前で記者団の取材に応じ、「予想以上の反響でノーベル賞というのは、すごい賞なんだなと実感しました。娘もおめでとうと言ってくれました。ただのおやじかと思ってたけれど少しはまともなことやったのかなと思ったんじゃないですか」などと改めて受賞の喜びを語りました。 さらにみずからが発見した抗生物質が多くの人に役立っていることについて聞かれると、アフリカのガーナに行った時の状況を話し、「木の下に目が見えず何もしない大人たちが座っていたことにまず驚きました。小学校に行ったら子どもたちがこちらの顔見て、わーっと寄ってきたんです。この子たちがああいう状態にならないんだと思うと、いいことができたなって思いました」と話していました。 さらに今後何をやりたいですかと聞かれると「今、私は80歳ですが、まず81歳まで生きることです。その

  • 佐々木健介『北斗晶の旦那ちゃんです!』

    北斗晶の旦那ちゃんです! | 佐々木健介オフィシャルブログ「佐々木健介の旦那ちゃんブログ」Powered by Ameba

    佐々木健介『北斗晶の旦那ちゃんです!』
  • 意識はあるのに昏睡状態のまま10年間、誰にも伝えられなかった青年…目が覚めた後の衝撃的な告白 : らばQ

    意識はあるのに昏睡状態のまま10年間、誰にも伝えられなかった青年…目が覚めた後の衝撃的な告白 マーティンン・ピストリアスさんは病気で昏睡状態になり、意識不明の植物状態となりました。 ところが2年後に意識だけが覚め、しかし体は動かせず、口も利けず、周囲の人に知らせる手立てがない状態となったのです。 そのまま10年間、体の中に閉じ込められました。 Man trapped in coma was AWAKE for 12 years but couldn't move or speak - Mirror Online マーティン・ピストリアスさんは、12歳のときに髄膜炎にかかり、昏睡状態に陥りました。 24歳まで12年間寝たきりだったのですが、2年ほど経ってから(14、5歳のころ)意識だけが覚めたのです。 しかし体は動かせないまま、目は見えても視線を合わせることは不可能。意識が戻ったことを誰にも

    意識はあるのに昏睡状態のまま10年間、誰にも伝えられなかった青年…目が覚めた後の衝撃的な告白 : らばQ
  • 北斗晶『【またね】と言わせて下さい。』

    いつも  北斗晶ブログを見てくださり有難うございます! 今日は、皆さんにお話ししなくてはならない事があります。 長いブログになってしまいますが、最後まで読んでいただければ幸いです。 私は今、病院のベッドに居ます。 昨日の夕方の生放送を最後に、格的な闘病生活に入る事になりました。 病名は…乳癌です。 乳癌でも最悪な右の乳房を全摘出しなければならなくなりました。 明日の朝、右乳房全摘出手術を受けます。 先に結論から話してしまいましたが、私としても青天の霹靂で この数ヶ月  乳房を 全摘出しなければならないという結果に心が付いて行けず… なんとか温存療法で胸を残せないか? せめて乳頭だけでも残せないか? ありとあらゆる方法を調べ、告知されたあの日から主治医と何度も話し相談し、毎日を過ごしてきました。 その前に、遺伝と聞いていた乳癌になぜ私がなったのか? 私の家族や身内には誰一人乳癌になった人は

    北斗晶『【またね】と言わせて下さい。』
  • A Dying Young Woman’s Hope in Cryonics and a Future (Published 2015)

    In the moments just before Kim Suozzi died of cancer at age 23, it fell to her boyfriend, Josh Schisler, to follow through with the plan to freeze her brain. As her pulse monitor sounded its alarm and her breath grew ragged, he fumbled for his phone. Fighting the emotion that threatened to paralyze him, he alerted the cryonics team waiting nearby and called the hospice nurses to come pronounce her

    A Dying Young Woman’s Hope in Cryonics and a Future (Published 2015)
    dazed
    dazed 2015/09/18
    写真が切ない
  • 本当に悲惨な独り身の最期

    田舎の総合病院に赴任して老人を看ている医者だが、独り身の老後は当に悲惨だと当に実感した。 結婚もせず、結婚しても子供も持たずに生きようとしている人が今は多いが、現代ですらこの状況なんだから、今の20〜40代が後期高齢者になる頃にはもっと日も苦しい国になって、間違いなく悲惨な死に方をする老人が増えるだろう。 病院で亡くなる高齢者というのは当に哀れだ。肺炎だか尿路感染だか認知症だか分からないような状態で運ばれてくる老人がいくらでもいる。そういう高齢者はたいてい重度の認知症を抱えていて、おむつを着けられ、体調を崩したのもあって口からものをべられず、病院では譫妄を起こして大声を出し続けている。腕のカチカチに固まった細い血管に無理矢理点滴ラインを確保しようとするものだから内出血ばかりで、看護師さんが苦労して確保したラインを自分で抜くものだから、手は縛られ、体もベッドにくくりつけられている。

    本当に悲惨な独り身の最期
    dazed
    dazed 2015/08/19
    ベルセルクのゴドー親方曰く「やっぱり死ぬ時ぁ一人、前のめりってのがいい」