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netaとcultureに関するkenjiro_nのブックマーク (2)

  • プロダクトと宗教の危険な関係 - Nothing ventured, nothing gained.

    プロダクトは宗教である。 Emacsとvim、各種プログラミング言語などの例でもわかるように、プロダクトは宗教だ。各宗教や宗派に属するものが自らの信じるものを他者に広める。 昔話 筆者が20代を過ごしたDEC (Digital Equipment Corporation) という会社はVMSという自社OSが主力プロダクトだった。VAXというプロセッサーと合わせて、あらゆる規模のシステムにも同一アーキテクチャで展開できるその柔軟性や分散処理に優れている点などが支持され、一時はIBMに次ぐ世界2位のシェアを誇った。 しかし、やがてオープンスタンダードによるマルチベンダープロダクト間のインターオペラビリティが求められるようになる。標準化団体による標準化が進むも、実績にまさるUNIXとTCP/IPがデファクトとして普及する。 そのように時代が動き始めたとき、社内で起きていた議論が次のようなものだ。

    プロダクトと宗教の危険な関係 - Nothing ventured, nothing gained.
  • 「ネット文化」は時間の無駄文化 - novtan別館

    実際、ネット文化、というのが文化として個別に語られるべきか、というのは確かにいまさら疑問はある。 もし「ネット文化」が「ネット以外の文化」よりレベルが低いといいたいのであれば、それはそうじゃないともいえるし、それはそうだがスジちがいだともいえる。ずれを感じ取るのは、ネットにせよリアルにせよ、一部に注目してるからではないか。 もうそろそろ「ネット文化」みたいな区分けはやめてもいいんじゃないか: H-Yamaguchi.net これはそのとおりである一方で、その一部の違いこそがネット文化の特徴なんじゃないかと思ったりもする。 例えば、引用先であげられている「社民党党首の福島瑞穂(54)は民主、国民新との連立時、合意文書の署名が丸文字だったため「みずほたん、かわいすぎ」とネットで騒がれた。」というくだり。なぜこのような部分で騒がれるかと言うと、ネット以前の世界では、たとえ思ってもそれを開陳する場

    「ネット文化」は時間の無駄文化 - novtan別館
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