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thinkingとpeepingTomに関するkenjiro_nのブックマーク (5)

  • 悪口が止まらない私。批判でしか承認欲求を満たせない私。

    もっと言うと、それしか特技がない。それをようやく受け入れて認識したのはつい最近の事で舛添氏の公金問題が出た時に何故彼があそこまで歪んでいるのか、下世話な事を考えていた瞬間だった。 私は、怒り・もどかしい気持ちを抱いた人間に対して、無意識に脳内で「あーだこーだ」考えてしまう。もっと言うと、自分が「この人って卑しい人間だな」と感じる対象にのみ考えてしまうのだ。褒められた話では全くないけれど、唯一他人や世間から認められたりする事が、そういう悪口にも似た批判の内容だ。 他の事は丸っきりダメだけれども、唯一どんな人とも相応以上に会話が成立して「増田を呼んで、増田の意見も聞いてみよう」と呼ばれたりする。けれども政治や経済、文学や音楽、数理関連の話や抽象的な会話を投げられても、ちんぷんかんぷんで。あくまで自分が関心のある卑しい人間に対する悪口しか、話せないのだ。 某全国紙の各新聞社の論説記者達や学者、有

    悪口が止まらない私。批判でしか承認欲求を満たせない私。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2016/05/20
    出歯亀ブロガーの懺悔ではなさそう。
  • 『日本の大人の男には、「金を持ったにすぎない子供」の男が多過ぎる。』 - Togetterまとめ

    小池一夫 @koikekazuo もう、ずいぶん前の建築関係の雑誌の企画だったかな?同じ職業、大体同じ年収の、NY、ロンドン、パリ、日の部屋を比べるというページがあった。確か、その回は警察官だったと思う。日以外の国の部屋は全てが大人の部屋であり、日だけアンパンマンやキティちゃんが部屋のベースだった。(続く 2015-10-02 15:13:56 小池一夫 @koikekazuo 日はそういうところがあるよね。良くも悪くも。大人の成熟した文化と、子どもの文化が同居している。でもね、文化の面で言えば、大人が子供に引っ張られてはいけないと思うンだよ。大人が、いい加減な飯茶碗を使っていてはいけないと思うンだよ。そこで、あえて以前炎上したツイートを再ツイートする 2015-10-02 15:19:24 小池一夫 @koikekazuo 日の大人の男には、「金を持ったにすぎない子供」の男が多

    『日本の大人の男には、「金を持ったにすぎない子供」の男が多過ぎる。』 - Togetterまとめ
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2015/10/04
    異論の出やすい意見をそういう方向に向けて拡散するというのには眉をひそめてしまう。
  • 執着の鑑賞について - シロクマの粘土板

    はてな村奇譚56 - orangestarの日記 懐かしい!2007年頃のp_shirokumaが蘇ったかのようだ! それは置いといて。 「言及しましたね!」「それがあなたの執着ですね」メソッドについて、今思っていることを書き殴っておく(=私の執着を垂れ流しておく)。 『Fate/Zero』のギルガメッシュと言峰綺礼のやりとりでも描かれたとおり、言及量の多寡が、その人の執着や興味を何らかの形で反映している、というのは確かだと思う。自由な発言・自由な想像・自由な選択が可能な場面ほど、そうなりやすい。 で、インターネット、である。 ブログやtwitterに何を書くのか、何を表明するのかは個人の自由に委ねられている。ちょっと前に、誰かが「インターネットは無意識の集まり」みたいな事を言っていたけれども、端末の前に座っているネットユーザーに好きな事を書く自由が与えられている以上、それはあながち間違っ

    執着の鑑賞について - シロクマの粘土板
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2014/10/23
    一般個人が事件関係者となったときにマスコミが卒業アルバムの内容を報道するのを連想した。しかもこれは娯楽の対象として消費しているという醜悪さの表明なのにその自覚が全くないというのがただただ苛立たしい。
  • ネットでは、給湯室談義が権力を帯びるようになり、ワイドショー人間が権力者になる - シロクマの屑籠

    昨日の続き。 これまでの社会では、ほとんどの人間がワイドショー的なお喋りに耽っていようとも、たいして問題になることはなかった。 もともと人間は、ある程度までワイドショー的だ。給湯室談義も、床屋談義も、居酒屋談義も、かしこまって専門的に喋るわけでも、責任を意識しながら喋るわけでもない。学術的な正確さよりもゴシップや醜聞に惹かれ、下世話な話題に相槌を打つ――そうした泡のような言葉は、歴史が始まって以来、無数にわき起こってきたし、これからもわき起こるだろう。 問題は、そうした給湯室談義、居酒屋談義的なものが、インターネットでは泡のような言葉として消えてしまわず、ときには権力や強制力を帯び始めるって点だ。 素人同士のワイドショー的会話は、来はたわいもなく話され、たわいもなく忘れられていくものだった。純粋な話し言葉だった頃のワイドショー的会話は一過性の度合いが強く、まさに泡のような存在だった。 そ

    ネットでは、給湯室談義が権力を帯びるようになり、ワイドショー人間が権力者になる - シロクマの屑籠
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2014/03/19
    びっくりするほど何も書いてなくて期待外れのエントリ。いや、処方箋を(あえて?)示さないのは熊代氏のエントリの特徴だからこういう展開になるのは予想しておくべきだったか。
  • なんでも手当たり次第に言及しているアカウントは、ワイドショーの劣化コピーになってしまう - シロクマの屑籠

    ブログやtwitterを眺めていると、ワイドショーを劣化させたようなアカウントをしばしば見かける。ありとあらゆる話題に言及しているけれども、どれもこれも底が浅く、皮相的で、読者におもねるところ甚だしいようなアカウントだ。時事の話題、ネットの話題には手当たり次第言及しているのに、ユニークな思念も、一貫性も香り立って来ないアカウント。それとも、あらゆるジャンルの表面 1cm を撫で回し続け、まったく深まっていかないこと自体がそのアカウントの特徴かもしれない。まさにワイドショーの劣化コピーだ。 いや、こう書くとワイドショーに失礼というものだ。ワイドショーには計算があって、短時間に最大限のアウトプットを行うための工夫がある。全国の視聴者に訴えかけるべく、ワイドショーはメディアとしてぎりぎり一杯の仕事に取り組んでいる。話題の表層にしか触れられない条件に特化した技術と洗練と蓄積――こうした“わざ”は、

    なんでも手当たり次第に言及しているアカウントは、ワイドショーの劣化コピーになってしまう - シロクマの屑籠
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2014/03/18
    ブーメラン上等でこういうエントリをあげたのなら後半に期待してもいいのかな? ともかく俺が以前から「一人ワイドショー」という単語を使ってたけど結局自分しか使ってないんでちょっと嫉妬してたりする。
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