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写真と災害に関するmfigureのブックマーク (5)

  • 『震災遺構 仙台市立荒浜小学校』津波で被災した校舎を見学できる施設 - 元IT土方の供述

    みんなー!うしるだよー☆ 今回は、「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」に行った時の事を公開しちゃうよ! 震災前の荒浜地区の写真(2010年8月撮影)もあるから刮目してみてね! 「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」とは アクセス 開館時間 「荒浜小学校」へ向かいますの! 震災遺構 荒浜小学校 校舎1階 校舎2階 校舎3階 校舎4階 校舎屋上 旧体育館 深沼海水浴場 深沼海岸バス停跡 荒浜記憶の鐘 荒浜慈聖観音 深沼海水浴 最終のバスで帰ります 東日大震災実体験記 まとめ 「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」とは 2011年3月11日に発生した東日大震災で、児童や教職員、地域住民ら320人が避難し、2階まで津波が押し寄せた「仙台市立荒浜小学校」を、被災したそのままの状態で保存している小学校跡です。 ※入場料は無料です。 アクセス 仙台市営地下鉄東西線「荒浜駅」から、仙台市営バス「旧荒浜小学校行き」行き

    『震災遺構 仙台市立荒浜小学校』津波で被災した校舎を見学できる施設 - 元IT土方の供述
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    mfigure 2018/09/03
    地区全体が被災して誰も住んでいないようですね。それゆえ小学校は再建されず廃校になったんでしょうか?そのこと自体が悲惨といえますね。
  • 3.11 東日本大震災の遭ってしまったことの顛末【その1】 - 元IT土方の供述

    今日で東日大震災から7年になりますね。 当時、私は大学生で宮城県に住んでいました。 当然、東日大震災の被害を受けることになりました。 自宅が海から離れていたため津波は来ませんでしたが、地震により電気ガス水道、そして日用品と言った物資が1週間から1か月ほど寸断されるとう被害に遭いました。 今回は、3月11日から時系列で被災の実体験とその時に撮った写真を公開します。 写真の量が結構あるので2部構成にします。 ショッキングな写真がたくさんあるのでご注意ください。 流石に死体の写真とかはありませんが。 そもそも撮ってないし見てもいません。 3月11日 当時大学生だった私は、長い春休み真っ最中で暇を持て余して実家に引きこもってました。 ペンタブで絵を描いていた時です。 ズドドドドドという地鳴りともにちょっと強い地震が来ました。 その時が、数年に一回来るちょっと大きな地震くらいにしか思ってませんで

    3.11 東日本大震災の遭ってしまったことの顛末【その1】 - 元IT土方の供述
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    mfigure 2018/03/11
    被災されたんですね。我々はリアルタイムで津波の映像を見ていましたが、そこにいる人は後で痕跡で気付くしかなかったんですね。そして何が起きているのか分からずにあの世にいった人も……
  • 福島第一原発の中は今どうなっているのかを撮影した高解像度写真やムービーを機密情報暴露サイトの老舗「Cryptome」がネットに公開

    世界中の政府によって公開することが禁じられている機密文書・写真・情報などを自由に入手できるための場として1996年より活動している老舗サイト「Cryptome」が、福島第一原発に関する写真やムービーの公開を始めました。 情報入手は以下から。 情報が公開されているのは以下のページです。 Fukushima Daiichi Nuclear Plant Hi-Res Photos http://cryptome.org/eyeball/daiichi-npp/daiichi-photos.htm Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant Hi-Res Photos 2 http://cryptome.org/eyeball/daiichi-npp2/daiichi-photos2.htm 各ページのオリジナル画像は以下のURLからダウンロードできます。 第1弾:

    福島第一原発の中は今どうなっているのかを撮影した高解像度写真やムービーを機密情報暴露サイトの老舗「Cryptome」がネットに公開
  • Japan earthquake and tsunami: The moment mother nature engulfed a nation| Mail Online

    Japan earthquake and tsunami: The moment mother nature engulfed a nation| Mail Online
  • 1960年 チリ地震 津波 現地調査 太平洋を渡ってきた津波 50周年

    ★チリ地震津波の概要 1960年5月23日4時11分(日時間)、南米・チリ共和国でマグニチュード9.5という世界最大規模の地震が発生します。この地震直前にM7~7.5の前震と思われる地震が5~6回続き、その後震が発生しています。この地震により首都サンティアゴ・デ・チレ(Santiago de Chile)、をはじめ、チリ全土で死者1,743名、負傷者667名の大きな被害となります。震源地はチリ南西沖バルディビア近海で、震源の深さ約33Km。太平洋側のナスカプレートが南米プレートにもぐりこんでいる境界で発生したプレート境界型地震でした。断層の長さは約800Km、断層のずれは約20mといわれる巨大な海底変動により大津波が発生します。地震発生15分後に約18mの津波がチリ沿岸部を襲い、約17時間後にはハワイ諸島を、22.5時間後に日を襲いました。ハワイ・ヒロ市では約10.7mの津波が押し寄

    1960年 チリ地震 津波 現地調査 太平洋を渡ってきた津波 50周年
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