ロシア製T-72戦車の横で1人の兵士がくつろいでいた。その直後、ドローン(無人機)から発射されたミサイルが戦車に命中して爆発し、オレンジ色の光を放った。兵士は吹き飛ばされ、戦車は煙に包まれた残骸になった。
ロシア製T-72戦車の横で1人の兵士がくつろいでいた。その直後、ドローン(無人機)から発射されたミサイルが戦車に命中して爆発し、オレンジ色の光を放った。兵士は吹き飛ばされ、戦車は煙に包まれた残骸になった。
アルメニアの首都エレバンで、第1次世界大戦中の虐殺から106年を前にたいまつを掲げて行進する市民(2021年4月23日撮影)。(c)Karen MINASYAN / AFP 【4月24日 AFP】第1次世界大戦(World War I)中のオスマン帝国(Ottoman Empire)によるアルメニア人虐殺から24日で106年となるのを前に、アルメニアの首都エレバンで23日夜、多くの市民がたいまつを掲げて行進した。 アルメニアはオスマン帝国末期に最大150万人のアルメニア人が殺害されたとしており、これをジェノサイド(集団虐殺)と認定するよう世界に向けて強く主張してきたが、オスマン帝国の後継国家であるトルコはジェノサイドと呼ぶことを強硬に拒否している。23日のエレバン市内では、トルコの国旗に火を付ける人々の姿も見られた。(c)AFP
アルメニア人追悼記念日に合わせて米カリフォルニア州ビバリーヒルズのトルコ領事館前で行われたデモで、アルメニア国旗を掲げる少女(2021年4月24日撮影)。(c)Patrick T. FALLON / AFP 【4月25日 AFP】米国のジョー・バイデン(Joe Biden)大統領は24日、1915年に現在のトルコの前身であるオスマン帝国(Ottoman Empire)で最大150万人のアルメニア人が殺害されたとされることをジェノサイド(集団虐殺)と認定した。米国が数十年にわたるトルコからの圧力を退けてジェノサイドと認定したことは、犠牲者の子孫にとって大きな転機だと言える。 バイデン氏は、米大統領として初めて「アルメニア人追悼記念日」の声明でジェノサイドという表現を用いた。前日、北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるトルコのレジェプ・タイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdo
トルコ共和国の強烈な愛国者たち 一般的なトルコ人は非常に愛国心が強いです。 共和国の独立記念日には独立の父アタチュルクの肖像をSNSにアップしたり、国旗を車や家に飾ったりします。強い愛国心を持つのは普通のことで、日本だと右派的に感じられる言説をリベラルな知識人が普通に言うので結構びっくりします。 第二次世界大戦に参加した国々はファシズム含む右派に対する警戒が強くなりましたが、中立を保ったトルコは戦前からの民族主義的な文脈がまだ生きていると考えられます。 このようなトルコの「軍事史の英雄」とはどのような人々なのでしょうか。 1. シャヒン・ベイ(1877-1920) ガズィアンテプ防衛のシンボル的英雄 第一次世界大戦後、敗戦国オスマン帝国と戦勝国フランスとの間には、ムドラス休戦協定が結ばれ、フランスはシリアと南部アナトリアを入手しました。 しかし希土戦争の勃発でトルコ人の国が存続の危機に陥る
中国の新疆ウイグル自治区の人権問題をめぐって、逃れた人たち数万人が暮らすトルコでは、野党党首らがウイグル族への連帯を示したのに対し、現地の中国大使館が反発し、これにトルコ外務省が不快感を示す事態となっています。 中国の新疆ウイグル自治区をめぐっては、欧米などが人権侵害が続いているとして制裁措置を発動するなど中国への圧力を強め、これに対し、中国は「事実ではない」と反発しています。 自治区から逃れた人たち数万人が暮らすトルコでは、野党党首と首都アンカラの市長がツイッターを通じてウイグル族への連帯を示したところ、トルコの中国大使館が6日、ツイッターに、新疆ウイグル自治区は中国の一部だと強調したうえで、「中国の主権と領土の一体性に対するいかなる挑戦も強く非難する」と反論しました。 これを受けてトルコ外務省は中国大使を呼び、地元メディアによりますと、不快感を伝えたということです。 トルコでは中国の王
独裁者は、なぜ、一コマ漫画を嫌うのか 自由度の低い国の漫画家は、命がけで権力に立ち向かっている 山井教雄 漫画家 パリの中学校の「表現の自由」の授業で、生徒にムハンマドの漫画を見せた教師パティさんが昨年10月16日、イスラム過激派のテロリストに殺害され、その後、フランス国葬になり、マクロン大統領から「表現の自由」を守った英雄として、レジオン・ドヌール勲章を贈られた事件から、日仏における「表現の自由の差」を考察しています。 1999年、フランスのルーアン市で開かれた国際政治漫画フェスティバルで、AERAとクーリエ・アンテルナショナルに発表した漫画でグランプリをいただきました。当時の小渕首相が日本軍によって被害を受けたアジア諸国の反発を押し切って、「日の丸を日本国旗に、君が代を国歌にする法案」を通したことに対する漫画です。 賞を私に手渡す時、ルーアン市長はこう言いました。「この賞は、ただ単にN
トルコ・イスタンブールの中国領事館前で消息不明の親族の写真を掲げ、新たな犯罪人引き渡し条約に抗議するトルコ在住ウイグル人(2020年12月30日撮影)。(c)BULENT KILIC / AFP 【12月31日 AFP】トルコは30日、中国との新たな犯罪人引き渡し条約によって大勢のトルコ在住ウイグル人が中国に送還されることになるとの懸念を払拭(ふっしょく)した。 中国の国会に相当する全国人民代表大会(全人代)常務委員会が26日、2017年に署名された同条約を批准。これを受けて、イスタンブールの中国領事館前ではトルコ国籍を持つウイグル人約20人がピケを張って抗議した。 トルコ側はまだ同条約を批准していないが、中国側が批准したことによって推計5万人の在トルコウイグル人の間で不安が高まっている。 メブリュト・チャブシオール(Mevlut Cavusoglu)外相は、議会がいつ同条約を審議するかに
トルコ・イスタンブールのガラタタワー(2020年10月6日撮影)。(c)Ozan KOSE / AFP 【12月27日 AFP】ずさんな修復作業や、破損したり形がゆがんでしまったりした歴史的建造物──トルコの専門家らは、利益争いや政治的な思惑、身内びいきなどによって、繊細さが要求される文化遺産の維持がなおざりにされていると指摘している。 14世紀に建てられたイスタンブールのランドマーク、ガラタタワー(Galata Tower)も今年8月、新たに論争の的となった。修復作業員が削岩機を用いる動画がSNSに流出し、住民から批判の声が上がったためだ。削岩機で壁を取り壊す作業はかろうじて中止された。 ヌーリ・エルソイ(Nuri Ersoy)文化観光相は、壊されたのは後世の復元部分だと釈明し、削岩機の使用については現場監督に「制裁」を科すとして事態の収拾を図った。 だが、ローマ時代のモザイク画にはじま
靴の跡をつけられたマクロン仏大統領の顔写真=25日、トルコ・イスタンブール/Emrah Gurel/AP (CNN) パリ近郊で歴史教師が殺害された事件をめぐるマクロン仏大統領の発言をきっかけに、イスラム諸国で仏製品の不買運動が広がっている。 問題になっているのは、マクロン氏が先週、事件の被害者サミュエル・パティさんの追悼式で演説した内容だ。 パティさんは授業の教材にイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を使っていた。容疑者は警察に射殺される前、預言者を侮辱したパティさんを処刑したとツイートした。風刺画はかつて週刊紙「シャルリー・エブド」に掲載され、2015年の同紙襲撃事件のきっかけになった経緯がある。 マクロン氏は追悼式で、フランスは今後も風刺画を含む表現の自由を守り続けると宣言。イスラム過激派への取り締まり強化を誓った。 これに対し、国内外で「反イスラム的」との反発が広がった。トルコのエ
トルコ・イスタンブールのバヤズィト広場で、中国のウイグル人弾圧に抗議するデモの参加者(2020年10月1日撮影)。(c)Ozan KOSE / AFP 【10月2日 AFP】トルコのイスタンブールで1日、中国政府が北西部・新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)で行っているウイグル人らイスラム教徒に対する弾圧に抗議するデモが行われ、約500人が参加した。AFP記者が伝えた。 バヤズィト広場(Beyazit square)に集まった人々の中には子どもの姿もあった。参加者は「家族はどこ?」「家族を解放しろ」「収容所を閉鎖しろ!」と書かれた横断幕や行方不明の親族の写真を手に、新疆での弾圧をやめるよう求めた。 中国政府のウイグル人弾圧を公に批判するイスラム教の指導者は多くないが、ウイグルと言語的・文化的なつながりがあるトルコのレジェプ・タイップ・エル
イラク・バスラの南方90キロの港町アルファオで、農地近くの川の水量を確かめる農業経営者(2020年8月17日撮影)。(c)Hussein FALEH / AFP 【9月21日 AFP】豊かな流れによって古代メソポタミア文明を育んだチグリス川(Tigris River)とユーフラテス川(Euphrates River)が、上流で建設が進むダムの影響で干上がる恐れに直面している。下流に位置するイラクは、新たなダムを稼働させつつある隣国トルコとイランとの間で緊迫した協議を続ける一方、水利インフラ整備を急いでいる。 イラクで最も深刻な影響を受けているのが、国内で唯一海に面した南部バスラ(Basra)県だ。チグリス・ユーフラテス両河川が合流してからペルシャ湾(Persian Gulf)にそそぐまでのシャトルアラブ(Shatt al-Arab)川は、数百万人のイラク人に農業用水を供給する源だが、流量は
トルコ・バトマン県の古代都市ハサンケイフで、水に漬かったベンチに座る男の子ら(2020年8月4日撮影)。(c)BULENT KILIC / AFP 【9月12日 AFP】トルコ南東部チグリス川(Tigris River)ほとりの古代都市ハサンケイフ(Hasankeyf)がこのほど、ダム建設によって水没した。約1万2000年の歴史を持つ同地では、住民や活動家らが長年にわたりダム建設に反対してきた。 チグリス川では、レジェプ・タイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdogan)大統領が手掛ける大規模プロジェクトの一環として、ダム建設計画が進められてきた。計画は物議を醸していたが、当局は近くに建設した町「ニュー・ハサンケイフ(New Hasankeyf)」に住民らを移らせ、古代の遺物の一部を移設していた。 同地は現在、観光を促進するため泳ぐことが許可されており、ボートツアーを楽しむこ
・修道院所蔵の刀剣、5000年前のものと判明 伊ベネチア(CNN) → タイトルに「5000年前のものと判明」とあるのに,本文に「この合金は主に紀元前4世紀の終わりから同3世紀初めにかけて使われていたもので」とあって,どっちが正しいのかといぶかしんで原文に当たってみると,"the end of the 4th and beginning of the 3rd millennium BC" となっていたからタイトルが正しい。本文の方はmillenniumを盛大に誤訳している。 → ついでに本文の末尾に「修道院の記録文書の調査担当者によると、刀剣は1886年の8〜9月、トルコのトラブゾンにある同じ宗派の聖職者組織から贈り物として届けられたという。」とあるが,トラブソンとヴェネツィアで同じ宗派? となってこれも原文の該当部分を読むと,"the monastery is home to the M
ギリシャとトルコが、東地中海に埋蔵されている天然ガスをめぐって対立し、双方が領有権を主張する海域に艦艇を派遣するなど緊張が高まっています。 こうした中、トルコが今月10日からこの海域にあるギリシャ領のカステロリゾ島の南に資源開発のための調査船を派遣しました。トルコ軍が提供した写真では調査船を囲む5隻の艦艇が確認できます。 これに対してギリシャも現地に艦艇を派遣しているということで、ギリシャ国防省の高官によりますと、12日には調査船を監視していたギリシャの艦艇とトルコの艦艇が衝突しそうになる事態にもなったということです。 ギリシャのミツォタキス首相は12日、声明を発表し、トルコ側に対話を呼びかけるとともに「われわれが状況を悪化させることはないが挑発を見過ごすことはない」と述べて強くけん制しました。 トルコのエルドアン大統領も13日の演説で「対話と交渉が解決への道だ」としながらも領有権は譲らな
アル=ジャザリの『巧妙な機械装置に関する知識の書』に記されている、水力によってフルートを演奏する自動人形。アル=ジャザリいわく、優しい音色を出して昼寝から起こすよう設計した、遊び心にあふれた「目覚まし時計」だ。トルコ、イスタンブールのトプカプ宮殿博物館所蔵。 (BRIDGEMAN/ACI) 客人にタオルを差し出すからくり人形。ゾウ使いがゾウの頭を30分毎にたたく水時計。プログラム可能な最初の「ロボット」。 これらは12世紀のイスラム世界の発明家イスマイル・アル=ジャザリの驚くべき発明品のほんの一部だ。彼の発明品には、大富豪の遊び道具として作られた豪華で色鮮やかな逸品がある一方、揚水機のように、農家の人々がその後何百年も使うような実用的なものもあった。 王の下で100を超える装置を設計 アル=ジャザリは1136年、現在のトルコ南東部に位置するディヤルバクルでつつましい職人の家に生まれた。当時
Hdサンプルは最も低い位置の木炭から採取され、これは実際に遺跡が使用されていた時代のものだと思われる。Uaサンプルは石柱に付着していたペドジェネシス(英語版)炭酸塩から採取、これは遺跡が放棄された時代(すくなくともこの時期には放棄されていた時代)を示す[10]。 構成[編集] ギョベクリ・テペは不毛で平坦な台地に位置している。台地はあらゆる方向に扇状地を広げている。北へ向かうと細く伸びる台地がそのまま山脈へとつながる。それを除けば台地から伸びる尾根は急峻な勾配となり、あるいはそのまま断崖へと導かれている[11]。遺丘に加えてこの尾根の上部にも無視できない人類の痕跡がある。発掘調査は遺丘の南斜面、イスラムの巡礼の痕跡を示すクワの木の南と西側で行われた[12]。しかし遺物は台地の全域から発見される。調査団は大量の石器を発見している。 台地[編集] ギョベクリ・テペの周囲 コンプレックスE 台地
シリア・アレッポ県にある反体制派が掌握している町アタレブで、パトロールに当たるトルコ軍兵士(2020年2月19日撮影)。(c)AFP/Aref TAMMAWI 【2月29日 AFP】(更新)トルコ当局は29日、シリア政府軍の空爆によりトルコ軍の兵士33人が死亡したことを受けて、シリア北西部にある化学兵器施設を破壊したことを明らかにした。 ロシアの支援を受けるシリア政府軍が同国北西部イドリブ(Idlib)県で27日に実施した空爆により、トルコ軍の兵士33人が死亡。同国軍にとっては、ここ数年で戦場における最大の人的被害を受けた。匿名を条件に取材に応じたトルコ当局高官は、その事態を受け、同国軍が夜半にかけて「(シリアの)アレッポ(Aleppo)南方13キロに位置する化学兵器施設の他、多数のシリア政府側の攻撃目標」を破壊したと述べた。 だが一方で、シリア内部の情報源に依拠する在英NGOのシリア人権
16世紀のオスマン帝国皇帝、「壮麗帝」スレイマン1世のトゥグラ。トゥグラとは一種の署名で、通常はスルタンと父の名、「永遠の勝利者」というフレーズで構成されている。(The Metropolitan Museum of Art) 史上最も強大な帝国のひとつとして知られるオスマン帝国。最初はアナトリア地方(現在のトルコ)に誕生したトルコ系の集団だったが、最盛期には北はオーストリアのウィーン、東はペルシャ湾、西はアフリカ北西部のアルジェリア、南はアラビア半島南部のイエメンに至る領土を有する広大な国に発展した。 その成功の秘密は、領土の大きさと中央集権的な機構にあった。世界で最も利益の上がる交易路を支配することで莫大な富を得る一方で、完璧に組織化された軍制を敷いた。しかし、どんなに栄えた帝国もいつかは滅びる。アナトリアに姿を現してから600年後、オスマン帝国は第一次世界大戦の中で崩壊した。 帝国の
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