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パレスティナと古代に関するnagaichiのブックマーク (18)

  • 古代ローマ時代の剣を4本発見、驚異の保存状態、死海の洞窟で

    鉄製の剣の柄頭(つかがしら)を保護する発泡スチロールの位置を調整する保存修復師。この剣は、紀元2世紀後半にローマ軍の兵士がよく使っていたタイプのもので、環状の柄頭を特徴とする。イスラエルのエン・ゲディ自然保護区の死海の近くの洞窟で最近発見された4の剣のうちの1で、現在はエルサレムにあるイスラエル考古学庁のジェイ&ジーニー・ショッテンシュタイン・イスラエル国立考古学キャンパスの空調管理された保管庫に置かれている。(PHOTOGRAPH BY PAOLO VERZONE) 9月6日、死海の近くの洞窟で古代ローマ時代の剣が4発見されたとイスラエル考古学庁が発表した。剣は木と革でできた鞘(さや)の中で2000年近く保存されていて、その状態は驚異的に良好だという。 剣は、エルサレムの南東に位置するユダヤ砂漠の洞窟の奥深くで、鍾乳石の壁の後ろに隠されていた。隠された時期は紀元2〜3世紀で、当時、

    古代ローマ時代の剣を4本発見、驚異の保存状態、死海の洞窟で
  • エルサレムで発見の2500年以上前のトイレ、「ジアルジア症」の痕跡

    (CNN) 中東エルサレムで2500年以上前のトイレ2基が発見され、排せつ物のサンプルを分析したところ、下痢を引き起こす寄生虫の痕跡が見つかった――。寄生虫学の専門誌に25日、そんな論文が発表された。 石造りのトイレ2基の下にある汚水溜(だ)めから発掘された物質を分析した結果、下痢を引き起こす寄生虫の痕跡が見つかった。2基のトイレはエリート層のものだったとみられる。 当時のエルサレムはアッシリア帝国の政治・宗教上の拠点として活況を呈しており、8000~2万5000人が暮らしていた。 今回見つかったのは「ジアルジア症」と呼ばれる疾患の最初期の例。この感染症は下痢や腹部の痛み、体重の減少を引き起こす。以前にも現在のトルコに当たるローマ時代の土地や、現在のイスラエルに当たる中世の土地で発見されていた。 論文の筆頭著者を務めた英ケンブリッジ大学考古学部の名誉研究員、ピアーズ・ミッチェル氏は声明で「

    エルサレムで発見の2500年以上前のトイレ、「ジアルジア症」の痕跡
  • 古代ローマのモザイク画、新設博物館でお披露目 イスラエル

    イスラエル中部ロッドに新設された博物館で、ローマ時代のモザイク画の修復を行うイスラエル考古学庁の保存修復士(2022年6月27日撮影)。(c)MENAHEM KAHANA / AFP 【6月28日 AFP】イスラエル・テルアビブ近郊ロッド(Lod)で27日、古代ローマ時代のモザイク画を保存・展示する博物館がお披露目された。モザイク画は約10年にわたり、世界の主要な博物館で巡回展示されていた。 モザイク画は長さ約17メートル、幅約9メートル。1996年にベングリオン国際空港(Ben Gurion International Airport)にほど近いロッドで発見された。 3世紀後半から4世紀初頭ごろに邸宅の床に施されたものと考えられており、咆哮(ほうこう)するライオンや戦うゾウ、キリン、イルカ、果物、花かご、船などが描かれている。 イスラエル考古学庁(IAA)の考古学者によると、モザイクの様

    古代ローマのモザイク画、新設博物館でお披露目 イスラエル
  • イスラム教初期のモスク発見 地域宗教の移行に光 イスラエル

    イスラエル・ネゲブ砂漠のラハトで見つかった7世紀ごろのモスクの遺跡(2022年6月22日撮影)。(c)MENAHEM KAHANA / AFP 【6月25日 AFP】イスラエル南部ネゲブ砂漠(Negev Desert)で今週、7世紀ごろのモスクの遺跡が見つかった。同国の考古学者チームが発表した。周辺地域におけるキリスト教からイスラム教への移行に光を当てる発見だとされる。 イスラエル考古学庁(IAA)は、ネゲブ砂漠北部にある遊牧民ベドウィンの街ラハト(Rahat)で宅地開発の際に見つかった遺跡について、1200年以上前のものであるとの見解を示した。 遺跡には、四角い部屋と聖地メッカ(Mecca)の方角を向く壁があり、壁には南を示す半円のくぼみがあった。 また、モスクからほど近い場所で「豪華な建物」の跡も見つかった。IAAは、出土した器やガラス工芸品から裕福な住人だったと考えられるとしている

    イスラム教初期のモスク発見 地域宗教の移行に光 イスラエル
  • 切手サイズの「呪いのお守り」が古代の遺跡から発見される

    パレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区から、少なくとも3200年前のものと見られる鉛のお守りが発見されたことが分かりました。お守りはおよそ2cm四方の大きさで、聖書に基づく逸話から「呪いのお守り」と呼ばれています。 ABR Researchers Discover the Oldest Known Proto-Hebrew Inscription Ever Found - Associates for Biblical Research https://biblearchaeology.org/current-events-list/4896-abr-researchers-discover-the-oldest-known-proto-hebrew-inscription-ever-found Amulet with Possible Hebrew Inscription Discover

    切手サイズの「呪いのお守り」が古代の遺跡から発見される
  • 動画:古代エルサレムは巨大な壁で囲われていた、新発見の壁が証明

    【7月16日 AFP】考古学者らは14日、鉄器時代に建設された石造りの壁が新たに2か所で発見されたことで、古代エルサレムの東側斜面全体が、かつて巨大な壁で守られていたことが「はっきりと」証明されたと語った。 これまでの数十年で、長さ90メートルと30メートルの壁が発見されていた。だが、その間には70メートル分の空間があり、第1神殿(First Temple)があったとされる古代エルサレムの東側が一続きの壁で守られていたかどうかは疑問視されていた。 今回、新たに発見されたのは、14メートルと3メートルの壁だ。 発掘を率いた古代エルサレム研究センター(Ancient Jerusalem Research Centre)の考古学者フィリップ・ブコサボビッチ(Filip Vukosavovic)氏は、「新たに二つの部分が発見されたことで、古代エルサレムのダビデの町(City of David)、つ

    動画:古代エルサレムは巨大な壁で囲われていた、新発見の壁が証明
  • 古代ユダヤ人、戒律違反の魚を食べていた 魚の骨の遺物で明らかに

    古代ユダヤ人は戒律で禁じられたナマズなどの魚も口にしていたとみられるという/Chameleons Eye/Shutterstock (CNN) 古代ユダヤ人たちは、聖書で禁じられていたとみられる時代にも、戒律で認められていない魚を口にしていたとする研究結果が、考古学誌「テルアビブ」に掲載された。 研究者らは、紀元前1550~1130年にかけての後期青銅器時代から、紀元640年のビザンチン時代末期にかけての、現在はイスラエルとエジプトに属する複数の地域の遺跡30カ所から魚の骨の遺物を分析。 事に関するユダヤ人の律法の主要な規則は、ペルシャ時代にまとめられ、長い間守られてきた伝統に基づくものと多くの学者が考える「モーセ五書(トーラー)」に規定されている。 戒律を順守するユダヤ人たちは今も、同書に記されたコーシャーと呼ばれる条件に従っており、そうした条件には、口にする魚はヒレやはがれやすいうろ

    古代ユダヤ人、戒律違反の魚を食べていた 魚の骨の遺物で明らかに
    nagaichi
    nagaichi 2021/05/28
    そもそも禁止されるのは違反者が複数いるから。
  • 古代の歯石から判明、聖書に登場するペリシテ人の食事はアジアン

    古代メギドの市場の想像図。交易商の店先には、地中海東部全域で育つ小麦、キビ、ナツメヤシのほか、南アジアで採れるゴマ油の入ったビンや、ターメリックが盛られた器が並ぶ。(ILLUSTRATION BY NIKOLA NEVENOV) 新約聖書にある東方の三賢者の物語は、古代の中東において長距離貿易が盛んだったことを示している。このことは学者の間でも定説となっており、ローマ時代には、アラビア海やそれよりも東の地域から、めずらしい油や樹脂が地中海一帯に持ち込まれていた。 そして今回、学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載された新たな研究で、現在のイスラエルがある土地に住んでいた人々は、アジア産の果物やスパイスを3500年も前から口にしていたことがわかった。(参考記事:「ダビデの敵ゴリアテも、ペリシテ人のルーツを解明」) 研究では、青銅器時代中期から鉄器時代初期(紀元前1500年~110

    古代の歯石から判明、聖書に登場するペリシテ人の食事はアジアン
  • ヘロデ大王の要塞宮殿「ヘロディウム」遺跡の一部が新たに公開される : カラパイア

    共和政ローマ末期からローマ帝国初期にユダヤ王国を統治したヘロデ王の要塞宮殿「ヘロディウム」遺跡の未公開部分が、12月13日、初めて一般公開された。 ヘロデ王の埋葬地でもあるヘロディウムは人気の観光地で、今回公開されるのは、アーチ型の階段やホワイエ、劇場などが含まれている。

    ヘロデ大王の要塞宮殿「ヘロディウム」遺跡の一部が新たに公開される : カラパイア
  • 「エルサレム」は2000年前も今と同じ表記、石柱で判明 イスラエル 写真9枚 国際ニュース:AFPBB News

    エルサレムのイスラエル博物館に展示された、現代ヘブライ文字と同じつづりで「エルサレム」と刻まれた約2000年前の石柱(2018年10月9日撮影)。(c)GALI TIBBON / AFP 【10月10日 AFP】現代ヘブライ語と同じつづりで「エルサレム」と刻まれた石柱が9日、イスラエル博物館(Israel Museum)で公開された。碑文は、約2000年前に、すでに現代と同じつづりが使われていたことを示している。 石柱は2月、エルサレムの建設現場で考古学者が発掘したもので、ヘブライ文字で書かれたアラム語で「エルサレムのドダロスの息子のハナニヤ(Hananiah son of Dodalos of Jerusalem)」と刻まれている。ヘブライ文字でエルサレムは、現代と同じ「Yerushalayim(イェルシャライム)」の発音で記されている。 第二神殿時代(1世紀)に「イェルシャライム」と書

    「エルサレム」は2000年前も今と同じ表記、石柱で判明 イスラエル 写真9枚 国際ニュース:AFPBB News
  • 2700年前の「エルサレム統治者」の封印、イスラエルで発見

    2700年前の粘土質の封印を持つ、イスラエル考古学庁(IAA)のシュロミト・ウェクスラーブドラ氏(2018年1月1日撮影)。(c)AFP PHOTO / GALI TIBBON 【1月2日 AFP】イスラエルで1日、聖書に登場するエルサレムの統治者が所有していた可能性のある肖像とヘブライ語の言葉が刻印された2700年前の粘土質の封印が公開された。市統治者の代理として誰かに宛てて送られる物に貼付されていたとみられるという。 イスラエル考古学庁(IAA)によると、丸いボタンほどの大きさの封印が発見されたのは、エルサレム(Jerusalem)旧市街(Old City)にあるユダヤ教の聖地「嘆きの壁(Western Wall、西の壁)」付近の建物の中。紀元前7世紀ごろのものとみられる。 長衣を着た男性2人が左右対称に向き合っている姿が刻印されており、下部には古代ヘブライ語で「市統治者(市長)」と読

    2700年前の「エルサレム統治者」の封印、イスラエルで発見
    nagaichi
    nagaichi 2018/01/02
    「市統治者」名義の封泥か。
  • 5千年前の高貴な少女の化粧品が出土、パレスチナ

    3800年前の墓から、身分の高い少女の遺骨が見つかった。少女は青銅の宝飾品で飾られており、古代エジプトとの関係をうかがわせる副葬品もある。(PHOTOGRAPH COURTESY OF SAPIENZA UNIVERSITA DI ROMA) ヨルダン川西岸、現代のエルサレムから北東へ約20キロ離れた場所にあるテル・エッ・スルタン遺跡は、古代エリコの町があった場所だ。旧約聖書に登場するエリコは、外敵の攻撃を受けて城壁が崩れ去るはるか以前から、豊かで交易の盛んな町だった。 この遺跡で1997年から発掘調査を行っているイタリアとパレスチナの共同チームが、5000年前の住居跡から驚くべき発見をした。ナイル川でなければとれない真珠貝の殻が、5枚重なった状態で出土したのだ。 そのうち2枚の貝殻に残されていた黒い粉末は、分析の結果、酸化マンガンであることがわかった。これはコールと呼ばれる化粧品の主成分

    5千年前の高貴な少女の化粧品が出土、パレスチナ
  • 独占:「キリストの墓」の年代を科学的に特定

    イスラエル、エルサレム旧市街にある聖墳墓教会は、イエス・キリストの墓とされる場所に立つ教会だ。歴史的記録によると西暦326年、ローマ人が発見した墓を取り囲むように、教会が建てられたという。 しかし、この教会はこれまで何度も攻撃され、火災や地震の被害を受けてきた。西暦1009年には完全に破壊され、その後再建された。そのため、ここが当に1700年前にローマ皇帝の代理人がキリストの墓と特定した場所なのかどうか、現代の学者たちは疑問視していた。 今回、教会の中にある埋葬用の洞窟(横穴)から採取された残留物が科学分析にかけられ、その結果がナショナル ジオグラフィックにもたらされた。それによって、墓はやはり古代ローマ時代にはすでにあったことが確認された。 分析にかけられたのは、来の墓とされている岩とそれを覆っていた大理石の板の間から採取された漆喰で、西暦345年のものと測定された。 これまで、墓の

    独占:「キリストの墓」の年代を科学的に特定
    nagaichi
    nagaichi 2017/11/30
    「洞窟の南側の壁から取られた漆喰は、一部が335年、別のものは1570年と特定された」
  • ローマ時代の遺跡発掘、劇場か エルサレム嘆きの壁近く

    エルサレム(CNN) エルサレムの嘆きの壁に隣接した場所でこのほど、遺跡が発見された。古代ローマ時代の劇場の可能性があるという。 イスラエル考古学庁(IAA)による発掘作業が嘆きの壁のすぐ近くで行われている。 考古学者のジョー・ウジエル氏は、「この素晴らしい構造物をここで発見するとは全く予期しておらず、非常に興奮している。劇場のような建物で200人を収容できる」と述べた。 屋根のある建物は、他のローマの劇場と比較すると、相対的に小型だ。 竣工(しゅんこう)していなかったようで、階段の一部の彫刻が完成していない。 ウジエル氏によれば、劇場が作られたのはバル・コクバの乱があった2世紀ごろの可能性がある。反乱が起きたため未完のまま残されたが、そのまま作業員が戻ってくることはなかったのかもしれないとの見方を示した。

    ローマ時代の遺跡発掘、劇場か エルサレム嘆きの壁近く
  • 「希少な」ビザンツ帝国時代のモザイク碑文、エルサレム旧市街で発見

    ビザンツ帝国のユスティニアヌス帝の名前が記された1500年前のモザイク床の一部。エルサレムのロックフェラー博物館で(2017年8月23日撮影)。(c)AFP/AHMAD GHARABLI 【8月24日 AFP】イスラエルの考古学者チームは23日、ビザンツ(Byzantine)帝国のユスティニアヌス帝(Justinian)と正教会の高位聖職者の名前が記された1500年前のモザイク床の一部を公開した。 東エルサレム(East Jerusalem)の城壁に囲まれた旧市街で行われた発掘調査を率いたダビド・ゲルマン(David Gellman)氏によると、同地域では考古学的発見が数多くなされているが、このような碑文はほとんど見つかっていないという。AFPの取材に同氏は「当時の人々が直接残した文章や文字は比較的希少だ」と話した。 550~551年のものとされるこのギリシャ文字の碑文は、エルサレムのダマ

    「希少な」ビザンツ帝国時代のモザイク碑文、エルサレム旧市街で発見
  • 「キリストの墓」数世紀ぶりに開けられる

    エルサレムの聖墳墓教会内で、イエス・キリストの遺体が安置されたという石墓を囲んで建てられた聖堂「エディクラ」の修復作業が行われている。(PHOTOGRAPH BY ODED BALILTY, AP FOR NATIONAL GEOGRAPHIC) イスラエルのエルサレムで、キリストの墓と伝えられる石墓の覆いが数世紀ぶりに取り外された。この墓はエルサレム旧市街の聖墳墓教会内にあり、遅くとも西暦1555年から、おそらくそれよりも何世紀も前からずっと、大理石の板で覆われていた。(参考記事:漆喰の下に12世紀のモザイク画を発見、聖誕教会) 修復プロジェクトの協力者で、米ナショナル ジオグラフィック協会付き考古学者のフレデリック・ヒーバート氏は、「石墓を覆う大理石の板を取り除くと、下に充填材が詰めてあって、その量の多さに驚きました」と言う。「科学的分析にはかなりの時間がかかるでしょうが、ついに、キリ

    「キリストの墓」数世紀ぶりに開けられる
  • ローマ帝国の金貨、エルサレムで出土 表に皇帝ネロの肖像

    エルサレム(CNN) エルサレム旧市街の近郊で21日までに、考古学者らがローマ皇帝ネロの肖像を表面に刻んだ金貨を発見した。ネロは古代ローマで起きた大火災の最中に弦楽器を弾いていたとの逸話で知られている。 金貨はエルサレム旧市街の南郊にあるシオンの丘の発掘現場で発見された。現場ではこの夏、米ノースカロライナ大学シャーロット校のチームが発掘調査を行っていた。 研究者らによれば、金貨は紀元56~57年にかけて鋳造された可能性が高い。ローマ人は紀元前63年、エルサレム攻囲戦として後に知られるようになった戦いの後、エルサレムの支配権を掌握していた。 発掘の共同責任者であるシモン・ギブソン氏によれば、科学的な発掘の過程でこうした硬貨が出土するのはエルサレムでは初めてで、今回見つかった金貨は例外的なものだという。この種の硬貨は通常、私的なコレクションの中にしか見つからない。その場合、硬貨の作られた場所に

    ローマ帝国の金貨、エルサレムで出土 表に皇帝ネロの肖像
  • 1600年前の鉛のタブレットに記された呪いの言葉 : カラパイア

    ポーセロとそのマウリラを吊るし、破壊し、押しつぶして、殺せ。彼らの魂、心臓、臀部、肝臓を これは1600年前のタブレットに記された呪いの言葉である。 パレスチナ地方の古都エルサレムの旧市街の南側に広がる都市遺跡。古代イスラエル統一王国のダビデ王が建設した首都の遺跡であると考えられているダビデの町で発見された鉛のタブレットは、もっとも古い呪いの呪文のひとつと見られている。 3つの宗教を代表する6人の神に向かって、裁判で争っている相手を呪い殺してくれるよう頼んでいるのだ。解読された内容は、あるローマの元老と獣医師に呪いをかけ、首を絞め、押しつぶし、殺してくれと頼んでいる。元老の場合は、手足を切り取ってくれとまで言っている。

    1600年前の鉛のタブレットに記された呪いの言葉 : カラパイア
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