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ポエムとレトリックに関するnagaichiのブックマーク (7)

  • 教養とは:漁父の辞と水処理 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    Executive Summary 教養というと、実学に関係ないステータス財なのか、それとも実学にも役立つべきベースなのか、みたいな議論が起こる。だがその区別がない場合もあるし、それが理想かもしれないという気もする。大学の上水道学の講義で、屈原の「漁父の辞」に水処理の基原理が描かれていると、まさに我田引水 (水処理だけに) で強引に読み取ってしまった教授は、なんかそれに近いことをやっていたようにも思う。そこから、直接実学と関係なくても、それと関係あるものを引き出す契機、みたいな教養の捉え方はできないものか? 今日、イベントで教養について話せといわれてあれこれ駄弁ったのですよ。 lms.gacco.org その中で、教養の役割とかいう話になる。こう、教養というと、実学とは離れた古典知ってます、みたいな、ボリス・ジョンソンがホメロスをギリシャ語で暗唱できますとか、日なら四書五経だの漢詩だの

    教養とは:漁父の辞と水処理 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
    nagaichi
    nagaichi 2022/06/10
    屈原ももちろん水処理のために『楚辞』漁父を詠んだわけではないが、別に後世の教養のためにそれをものしたわけでもないだろうから、妖怪どっちもどっち華麗に登場。
  • シミュレーションとは、乱数を呪文とした「神への祈り」である

    世の中には、全てのパターンを網羅的に調べることができないほど複雑な事象がある。 その一部の要素に乱数を用いて網羅性の代替とすることを、人類は「シミュレーション」という科学っぽい名称で呼んだ。 しかし、乱数を用いるシミュレーション(モンテカルロ・シミュレーション)は、科学を途中過程に置いた信仰だと思う。 乱数を用いた時点で、結果がそれこそ神のみぞ知る厳密解に合致しているのか、多くの場合わからない。 そもそも、その合致を数式的に証明できるのであれば、シミュレーションなんか必要ないわけで。 それは、大規模シミュレーションとか呼ばれるものなんかで特にそうだろう。 大規模となれば、計算には莫大な時間と費用がかかる。 なので、乱数の使用数に比して、統計的信頼度を満たすほどの回数で試行するのは困難であろう。 そうなると、厳密解への合致はそのシミュレーションへの信頼感といった信仰によってしか期待できない。

    シミュレーションとは、乱数を呪文とした「神への祈り」である
    nagaichi
    nagaichi 2021/03/01
    多元宇宙論の中には数学的に可能な宇宙は全て実在するという極論があるからなあ。
  • 日本のポエム化は中田英寿から始まった!

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    日本のポエム化は中田英寿から始まった!
    nagaichi
    nagaichi 2015/11/25
    古今東西にあるものを、現代固有の問題のように語ることで、批評家は飯を食っている。とはいえ「何かをごまかすために意図的にぼかした文章」以下の現状批判にはわりと肯く。
  • 槇原敬之「もう恋なんてしない」の文法がおかしいと言われる件。 : おち研

    槇原敬之さんの名曲「もう恋なんてしない」の文法がおかしいという話を聞きますが、構文が複雑なだけで別に間違ってないと思うので以下に示します。 この前ラジオでマッキーの『もう恋なんてしない』が流れてて、この曲よく文法間違いが指摘されるけど、レトリックが複雑なだけで別におかしくないと思います。 懐メロなのに今さらって気もするんですが、気まぐれにggったら大してまとまった情報がないのと、槇原氏デビュー25周年だかなんだからしいので何となくメモ。 もう恋なんてしないなんて言わない …ということでさっそく1番のサビ部分を見ていきましょう。 もし君に1つだけ 強がりを言えるのなら もう恋なんてしない なんて言わないよ絶対 二重否定 物議を醸すのは特に後半でしょうか。 「もう恋なんてしない」なんて言わない 括弧でくくると『「もう恋なんてしない」て言わない』ことが「強がり」の内容であることは明らかなのですが

    槇原敬之「もう恋なんてしない」の文法がおかしいと言われる件。 : おち研
  • 情報社会における多神論的キャラクターと坂口安吾における天皇の問題 - A Mental Hell’s Angel

    2015-05-06 情報社会における多神論的キャラクターと坂口安吾における天皇の問題 現今の社会構造は、いわゆる再帰的近代やポストモダンと呼ばれ、それ以前の社会構造からは区分される。その特質としてリオタールが述べたのは、大きな物語の凋落である。すなわち象徴的にはフランス革命以後の西欧を牽引していた理念が弱体化し、人々が分断された小さな言語ゲームのセカイ=島宇宙へと引きこもる時代である。 かくのごとき社会はまた情報社会の特質でもある。マクルーハンが夢想したようなデジタルな世界的統一すなわちグローバル・ヴィレッジなるロマン的表象とは程遠く、現今の社会は小さなコミュニティが遍在している。 哲学者のニーチェは近代化の過程において「神の死」の進行を指摘した。彼は近代は聖なるものが失われていく時代だとし、社会学者のマックス・ウェーバーはそれを「近代の脱魔術化」と呼んでいる。 ハイデガーもまた現今の技

    情報社会における多神論的キャラクターと坂口安吾における天皇の問題 - A Mental Hell’s Angel
    nagaichi
    nagaichi 2015/05/07
    なかなか味のあるテキスト芸ですな。
  • Something Orange - 世界はひとつだと考えてみる。

    昨日書いた「オタクたちの「卒業」しない生き方」という記事へ賛同/共感する意見が予想以上に多く、非常に嬉しいです。やっぱりぼくだけじゃなかったんだな。うん、うん。 正確にいえば、ぼくのような「忘れないひと」が「オタク」とイコールで、「卒業するひと」が「一般人」とイコールだというわけではありません。「オタク」にも、「一般人」にもいろいろなひとがいるでしょう。 そしてもちろん、「忘れない」ことが特別偉いといいたいわけでもない。「卒業」することも、しないことも、そのひとの自由。ただ、こういう生き方だってあっていいんじゃないか、そう思うだけのことです。 ただ過去の自分を捨てようとしないだけのことで、まるで何も成長していないかのように非難されることは多いけれど、それは違うよ、といいたい。 もう少しわかりやすく説明するために、仮にすべての趣味文化が以下のように分かれていると考えてみましょう。 レベル1

    Something Orange - 世界はひとつだと考えてみる。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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