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ラテンアメリカと近代に関するnagaichiのブックマーク (15)

  • 自治領か、植民地のままか 自問するプエルトリコ:過去から続く米国の今

    自治領か、植民地か? プエルトリコは歴史を問い直し、未来を案じる 朽ちかけた戦車が残るフラメンコ・ビーチ。プエルトリコにある、この砂浜は、世界で十指に入るほど素晴らしいといわれている。私はプエルトリコ人として、そうした場所を写真に撮ることで、あることを伝えたいと考えてきた。美しさと楽しさに満ちた観光地にも、複雑な歴史があるのだと。そして、それを理解することは、来訪者にとっても、地元の住民にとっても大切なことなのだと。 ロイサの町で行われた文化イベントで、祖先をたたえるために女装した、アーティストのカリエル・アルヘニス・ディアス・マイソネット。この町はアフリカ人が初めてプエルトリコに連れてこられた16世紀に開かれた。多くのプエルトリコ人は近年、肌の色にまつわる偏見を改め、アフリカや先住民の伝統を積極的に受け入れるようになっている。(PHOTOGRAPH BY CHRISTOPHER GREG

    自治領か、植民地のままか 自問するプエルトリコ:過去から続く米国の今
  • 「最貧国」という言葉が浮かぶハイチ…しかし岩波書店「世界」11月号に貧しくなった理由が記されていた

    金井真紀 KANAI Maki @uzumakidou ハイチと聞くと「最貧国」の3文字が浮かぶんだけど、もともと豊かな土地だったのに世界初の奴隷制廃止を成し遂げたために欧米からめったうちに嫌がらせされて200年かけて最貧国に転がり落ちた、と知ってひっくり返る。あまりに衝撃的な「ハイチ200年の苦難」(山岡加奈子)、岩波書店「世界」11月号。 2022-10-12 08:51:41 金井真紀 KANAI Maki @uzumakidou 「世界」11月号、いまなら屋さんや図書館にどどんと置いてあるはず。ぜひ手にとってみてください。10ページにおよぶハイチの記事、「えっ」ってことがてんこ盛りで、ほんとにひっくり返りました。写真はお風呂で読んで、ちょっとふにゃけてしまった「世界」11月号… pic.twitter.com/8AYHi8zdu3 2022-10-13 08:57:11

    「最貧国」という言葉が浮かぶハイチ…しかし岩波書店「世界」11月号に貧しくなった理由が記されていた
  • ハイチ独立後に巨額の二重債務を負わせ、旧奴隷から利益を搾取したフランスの「黒い秘密」 | エッフェル塔はハイチから巻き上げた金銭で建てられた?

    苦しみ続けるハイチ 破綻国家──暴力、悲劇、飢え、低開発。これらのキーワードは1世紀以上にわたってハイチにつきまとう。 地球上でもっとも貧しい国のひとつハイチの抱える苦しみは果てしない。しかし、それに対する同情は、同国の汚職や不始末などが目立つゆえに、薄れてしまう。 ハイチの人々は、1804年に残忍で悪名高いフランス人奴隷主を打倒し、独立を宣言した。奴隷の抵抗によって誕生した近代で初めての黒人国家として知られる。

    ハイチ独立後に巨額の二重債務を負わせ、旧奴隷から利益を搾取したフランスの「黒い秘密」 | エッフェル塔はハイチから巻き上げた金銭で建てられた?
  • 奴隷時代から続く性暴力の歴史 DNA研究で明らかに:朝日新聞GLOBE+

    国立アフリカアメリカ歴史文化博物館に展示されている奴隷の拘束具=2016年9月14日、米ワシントンDC、ロイター

    奴隷時代から続く性暴力の歴史 DNA研究で明らかに:朝日新聞GLOBE+
    nagaichi
    nagaichi 2022/02/05
    アメリカの白人至上主義者がDNAを検査したら、7割が純粋な白人ではなかったという話を思い出す。
  • 「産業革命は黒人奴隷たちの血と汗の結晶である」 歴史学の常識を覆した研究者とは 川北稔さんが解説|じんぶん堂

    記事:筑摩書房 iStock.com/vivalapenler 書籍情報はこちら 「周辺」から世界の歴史を見る 植民地など、「周辺」とされる地域から世界の歴史をみようとする立場は、いわゆる世界システム論をはじめとして、いまではそれほど珍しくはない。そうした見方は、学問的にも市民権を得ているといえる。しかし、ほんの半世紀まえには、そうした立場は、まともな学問とはみられないものでもあった。先頭を切って、この困難な局面を切り開いたひとりが、書の著者エリック・ウィリアムズである。 トリニダード・トバゴの郵便局員の息子として生まれたウィリアムズは、秀才の誉れ高く、周りの期待を背負って、宗主国イギリスのオックスフォード大学に送りこまれた。古典学を専攻した彼は、抜群の成績で卒業したものの、当時のイギリスには─―というより、日をふくむ世界には─―、西洋文明の根源にかかわる古典学、つまりギリシア語やラテ

    「産業革命は黒人奴隷たちの血と汗の結晶である」 歴史学の常識を覆した研究者とは 川北稔さんが解説|じんぶん堂
  • 「周辺」から世界の歴史を見る|ちくま学芸文庫|川北 稔|webちくま

    BLACK LIVES MATTER運動が現代社会に突きつける暴力と不正義の歴史を、早くも1944年に書『資主義と奴隷制』で告発したエリック・ウィリアムズ。しかし、発表当初、彼の主張にまともに向き合う歴史学者は皆無でした。ただ一人、アメリカ人研究者ローウェル・ラガッツ博士を除いては。大学院生時代にそのラガッツ博士の講義を受け、ウィリアムズの著書の翻訳もされたイギリス史研究者の川北稔先生(大阪大学名誉教授)に、当時の状況と、書の意義について、解説していただきました。 『資主義と奴隷制』から世界システム論まで 植民地など、「周辺」とされる地域から世界の歴史をみようとする立場は、いわゆる世界システム論をはじめとして、いまではそれほど珍しくはない。そうした見方は、学問的にも市民権を得ているといえる。しかし、ほんの半世紀まえには、そうした立場は、まともな学問とはみられないものでもあった。先頭

    「周辺」から世界の歴史を見る|ちくま学芸文庫|川北 稔|webちくま
  • 近現代ラテン・アメリカの国家間戦争(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメリカの影が濃い20世紀のラテン・アメリカ戦争 近現代のラテン・アメリカの国家間戦争のまとめの後編です。 19世紀の戦争は、スペインとポルトガルの植民地時代に種がまかれたものが独立後にも受け継がれ、時の有力者や党の争いと混じって先鋭化し衝突に至ったケースが目立ちます。前編はこちら。 今回は主に20世紀の戦争をまとめていきます。 9. 太平洋戦争(ペルー&ボリビア vs チリ) 軍事強国チリがボリビアとペルーを圧倒した戦争 チリとボリビアの国境近くにあるアントファガスタ県は、硝石や銅などの鉱物が大量に眠る地域で、長年両国間の係争地でした。1866年に国境協定が結ばれ、南緯24度を国境として北をボリビア、南をチリが折半すると決められましたが、チリ・イギリス系の採掘会社がこの地域に進出し、ボリビアは警戒感を強めました。 一方でペルーのタクナ県、アリカ県、タラパカ県の硝石地帯にもチリ・イギリス

    近現代ラテン・アメリカの国家間戦争(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 近現代ラテン・アメリカの国家間戦争(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメリカ大陸でこれまで起こってきた戦争をまとめてみます 歴史の授業ではあまり習いませんが、ラテン・アメリカ諸国は結構国家間でドンパチやってます。 スペインとポルトガルから独立した直後もそうですが、南米諸国同士の領土争いもずっと激しかったし、20世紀は後半に入ってからも戦争がありました。特に南米を自分の裏庭とするアメリカ合衆国の軍事介入や、植民地時代の残滓の回復しようという動きから戦争が起きたりしています。 今回は前後編で、19世紀〜20世紀のラテン・アメリカの国家間戦争をまとめてみます。 内戦を含めるともっと多いのですが、あくまで「国家間」の戦争のみに絞っています。 1. スペインのヌエバ・グラナダ再征服 英雄シモン・ボリバル失意の敗戦 ヌエバ・グレナダは現在のコロンビア、パナマ、エクアドル、ベネズエラを含む地域で、カリブ海で活動するイギリスからの防衛を目的にペルー副王領から切り離され、

    近現代ラテン・アメリカの国家間戦争(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • チリはなんであんなに南北に細長いのか - Togetter

    desean takahashi @desean97 チリってなんでこんな形になったんだろう。というか例えば上4分の1ぐらいで「ここからはオレの領土」と独立するヤツはいなかったんだろうか。しようと思えば簡単にできそうに思えるが。 2018-07-29 16:33:06

    チリはなんであんなに南北に細長いのか - Togetter
  • 「砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)」川北 稔 著

    1996年の発売以来売れ続けている世界史入門定番の一冊。砂糖の広がりを通じて様々な地域がつながりあい、ダイナミックに変化していくさまが平易なことばとわかりやすい解説で描かれており、世界史の面白さがこれ以上ないほどに詰まっているので、まぁ、読んでいる人の方が圧倒的に多いでしょうが、あらためて紹介しておこうという記事。 書とあわせて記事下に列挙した書籍を参考にしつつ、大まかな砂糖を巡る歴史を概観しておこう。 歴史上、砂糖は西漸しつつ世界に広がった。砂糖の原料であるサトウキビはムスリム商人によってイスラーム世界の拡大とともに西へ西へと伝播し、十字軍によって地中海世界へ、スペイン・ポルトガルによって大西洋諸島さらに新大陸南米へ、イギリスによってカリブ海諸島へと広がりを見せる。この拡大の過程で砂糖は「世界商品」として人びとの生活に欠かせないものとなっていく。 サトウキビ栽培と製糖の特徴として、第一

    「砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)」川北 稔 著
  • そこにはこんなドラマがあった。フォークランドの地雷原に住むペンギンたちの物語 : カラパイア

    フォークランド諸島は、南米の南端パタゴニア海岸の東300マイルの南大西洋に位置する群島だ。ここは1833年からイギリスの海外領だったが、アルゼンチンも1833年以前は統治していたと主張していた。この長い論争が1982年にエスカレートして、フォークランド紛争が始まった。3ヶ月近くに渡る戦闘の結果、島はイギリスのものとなった。 しかし、当の勝者は島のペンギンたちだったのかもしれない。人間の手で絶滅寸前に追い込まれたペンギンだが、自らの犯した愚かな行為により人間はこの地を手放さざるを得なかったのだ。戦わずしてフォークランドの大地を手に入れたペンギンたちのストーリーを見ていくことにしよう。

    そこにはこんなドラマがあった。フォークランドの地雷原に住むペンギンたちの物語 : カラパイア
    nagaichi
    nagaichi 2015/03/27
    アルビナス諸島を奪還したペンギンたち。
  • 革命を見ていた目

    ルーペをのぞくと、こちらをじっと見つめる「目」が……。これは1914年当時、メキシコの鉄道の要衝だったサカテカスの街並みをとらえた一枚。「目」はめがね屋の看板だ。 写真が撮影されたのは、独裁政権打倒のために始まったメキシコ革命の真っただ中。革命派のリーダー、パンチョ・ビリャ率いる部隊が、大統領ビクトリアーノ・ウエルタの連邦軍から、この町を奪い取った直後のことだ。一連の衝突のなかでも数多くの犠牲者を出した「サカテカスの戦い」では、およそ7000人が死亡、数千人が負傷した。 ナショナル ジオグラフィック英語版では、1916年7月号でメキシコを大特集している。この写真はそのために入手された可能性があるが、掲載には至らなかった。写真の裏には、「最新の戦場写真」と記されている。とはいえ、ここには戦争の状況を伝えるものはほとんど写っていない。関連がありそうなものといえば、ひつぎをかついで歩いている男性

    革命を見ていた目
  • 英・仏・蘭がカリブ諸国から奴隷制について謝罪と賠償を要求される | 地政学を英国で学んだ

    今日の横浜北部は朝から曇りでしたが、雨はまったく降りませんでした。けっこう過ごしやすい一日でしたね。 さて、昨日Twitterで紹介した、奴隷制への旧宗主国側への謝罪・賠償金請求に関する最近の動きの話題を。 ここで勘違いしてはいけないんですが、イギリスは賠償金は払っているのは事実。しかしそれは制度を廃止したために損をした奴隷のオーナーたちに対して支払われたもの。 イギリスもフランスもオランダも、賠償・謝罪はしないわけで。 === カリブ諸国は奴隷制の被害について賠償金を計算中 By スティーブン・キャッスル ●ウイリアム・ヘイグ英外相は2008年に出版した自伝の中で奴隷解放のために戦ったある人物に触れつつ、人間を取引する行為というのは擁護しようのない野蛮行為であり、「徹頭徹尾、カネ目当ての残虐で非人道的なものである」と述べている。 ●その奴隷経済を支えたカリブの14ヶ国は、ヘイグ氏にたいし

    英・仏・蘭がカリブ諸国から奴隷制について謝罪と賠償を要求される | 地政学を英国で学んだ
  • text.ssig33.com - ゾンビゾーン

    いわゆるフロリダ・ゾンビ事件について茶化したり笑ったりする前に知っておいてほしいことについて書く。 まずフロリダ・ゾンビ事件のあらましだが、簡単に言うと、フロリダ州マイアミで薬物中毒のハイチ系アメリカ人が薬でぶっ飛んだまま人間の顔をったというものだ。この非常にセンセーショナルな出来事には微妙な点がいくつも含まれている。軽い気持ちで言及していいものではないと僕は考える。 ポイント1: マイアミ この事件の特徴して抑えておくべきポイントは「マイアミ」が舞台であるところだ。マイアミは古くからラテンアメリカ諸国との繋がりが深い街だ。 例えばジャック・ケネディ大統領の時代にピッグス湾事件の主役である亡命キューバ人達はマイアミを根城にしていた。 その他にもラテンアメリカ諸国の亡命者の多くがマイアミに訪れ、定着する。マイアミはそういう特殊な風土の街で、人種間の「対立」が深いと評されることが多い。 マイ

  • 時事ドットコム:戦時下の日系人連行を謝罪=米収容所引き渡し「不法な拘束」−ペルー大統領

    戦時下の日系人連行を謝罪=米収容所引き渡し「不法な拘束」−ペルー大統領 戦時下の日系人連行を謝罪=米収容所引き渡し「不法な拘束」−ペルー大統領 【サンパウロ時事】南米ペルーのガルシア大統領は14日、太平洋戦争中に起きたペルー在住の日系人に対する排斥行為を「日人、日系人に対する人権と尊厳の重大な侵害だった。許しを請う」と謝罪した。ペルーの日系人の人口は世界で3番目に多い推計約9万人。  1941年12月の真珠湾攻撃後、当時のペルー政府は米国からの要請に応じ、国内の日系人数千人を拘束し、米国の強制収容所に引き渡した。大統領は「恣意(しい)的かつ不法な拘束だった」とした上で、「住宅や商店が襲撃され、土地も占拠されたが、ペルー政府は謝罪してこなかった」と釈明した。   ペルーと日は5月に経済連携協定(EPA)に署名したばかり。ガルシア氏がこの時期に戦時下の排日行為に言及したのは、トレド前政権下

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