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古代とアジアに関するnagaichiのブックマーク (11)

  • 紀元前1100年頃に消滅した都市「デイル・アラ」で使用されていた古代文字とは?

    1964年、ヨルダン渓谷で青銅器時代の寺院を調査していたライデン大学の考古学者・ヘンク・フランケン氏らのチームによって、古代文字が書かれた粘土板が発見されました。 ANE TODAY - 202101 - The Enigmatic Tablets from Late Bronze Age Deir ‘Alla - American Society of Overseas Research (ASOR) https://www.asor.org/anetoday/2021/01/enigmatic-tablets フランケン氏らはヨルダン渓谷の中心、デイル・アラと呼ばれる地域で発掘調査を行っていました。デイル・アラには紀元前1200年頃の住居や寺院などが残されており、フランケン氏らはそこで儀式用の器やうろこ状のよろい、エジプト第19王朝の女王からの贈り物など、さまざまな遺物を発見しました。

    紀元前1100年頃に消滅した都市「デイル・アラ」で使用されていた古代文字とは?
  • ウズベキスタンの王、アワがゆ食べていた? 食料庫発見:朝日新聞デジタル

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    ウズベキスタンの王、アワがゆ食べていた? 食料庫発見:朝日新聞デジタル
  • 中東に残る古代ローマの栄華、驚きの遺跡群、ジェラシュ

    ローマ帝国の支配下にあり、繁栄の真っただ中だった2世紀のジェラシュの復元図。(ILLUSTRATION BY JOSEP RAM) 旧約聖書には、エジプトを出て約束の地を目指したイスラエルの民は、エドム王国を通過する必要があったと記されている。現在のイスラエル南部とヨルダンにまたがる地だ。そこで、イスラエル人はエドム人に「あなたの国境を越えるまで『王の道』を通ります」(民数記21章22節)と言って、領内を通過させてくれるように懇願する。 この「王の道」は青銅器時代からあり、エジプトと紅海のアカバ湾、そして今のシリアのダマスカスを結ぶ一帯の主要な交易路だった。大きな帝国の首都は築かれなかったものの、エジプトから穀物、イエメンから香、紅海から真珠、インドから香辛料がもたらされ、道沿いの都市は商業で富を成した。 最も繁栄した都市の一つが、ギリシャ文化が広まった時期に築かれたジェラシュだ。ジェラシ

    中東に残る古代ローマの栄華、驚きの遺跡群、ジェラシュ
  • 2千年前のシベリアに暴力の時代、犠牲者の遺骨が続々出土

    シベリアの草原地帯(ステップ)にある約2000年前の墳墓で発掘された若い男性の頭骨。矢じりを受けた跡なのか、ひし形の穴が開いている。(PHOTOGRAPH BY TREVOR WALLACE) ユーラシア大陸の草原地帯(ステップ)にかつて存在した遊牧国家。その崩壊が、数百年に及ぶ激しい闘争の時代をもたらしたのではないか。 シベリア南部でこの時代の遊牧民の墓を掘り起こした考古学者たちは、そう考えた。墳墓から、暴力の犠牲者と見られる遺骨が多数発見されたのだ。 ロシアとスイスの考古学チームは4年前から、ロシアのトゥバ共和国で埋葬のための墳墓(クルガンと呼ばれる)を発掘していた。「トゥンヌグ1」と名付けられたその墳墓は、遊牧民族スキタイが築いた初期の大規模なものだった。スキタイは、紀元前1100年ごろからヨーロッパとアジアの間にある広大なステップの大部分を支配していた。 墳墓の南端を発掘していたチ

    2千年前のシベリアに暴力の時代、犠牲者の遺骨が続々出土
  • 800人分の骨が見つかった謎の湖、DNA分析した

    ヒマラヤ山脈、ループクンド湖の岸に人骨が散らばっている。(PHOTOGRAPH BY HIMADRI SINHA ROY) インド、ヒマラヤ山中の人里離れた高地に、考古学史上でも屈指の謎に満ちた湖がある。およそ800人分もの人骨が見つかっている「骨の湖」ループクンド湖だ。 この湖で、過去にいったい何があったのか。解明に挑んだ研究結果が8月20日付けで学術誌「Nature Communications」に発表された。しかし結果は、その謎をさらに深めるものだった。(参考記事:「古代エジプト、人骨が語る過酷な暮らし」) 驚きの分析結果 2000年代の初めに予備的なDNA研究がなされ、ループクンドの死者たちは南アジアにルーツがあるという結果が出た。また、放射性炭素年代測定により、人骨は紀元800年頃のものとされ、全員が1回の出来事で亡くなったと考えられてきた。(参考記事:「古代南欧で謎の「男性大量

    800人分の骨が見つかった謎の湖、DNA分析した
    nagaichi
    nagaichi 2019/08/25
    「14人は地中海のギリシャとクレタ島に遺伝的祖先をもつ人々だった」<グレコ・バクトリア王国の子孫じゃねえの?
  • 中国考古学者バクトリア地域に古代「月氏族」の遺跡を発見

    【1月27日 CNS】中国・西北大学(Northwest University)の王建新(Wang Jianxin)、梁雲(Liang Yun)両教授率いる中央アジア考古学調査隊が、ウズベキスタン・バイスン市(Boysun)にあるラバト(Rabat)墓地で紀元前2世紀~紀元後1世紀の遊牧文化のものと見られる墓穴を52か所発掘した。 バイスン市は、ウズベキスタン南部のスルハンダリヤ州(Surxondaryo Region)にある。バイスン市から南に約2キロの距離にラバト村は位置しており、村北部にラバト墓地がある。 古代遊牧民族の月氏族は紀元前2世紀、匈奴(きょうど)と烏孫(うそん)に破れた後、中央アジアのアム川北部(当時の北バクトリア地域の一部)に追いやられ、大月氏と呼ばれるようになった。大月氏はその後の東西貿易に深く関わり、シルクロードの歴史上で最も重要な役割を担うことになる。 西北大学中

    中国考古学者バクトリア地域に古代「月氏族」の遺跡を発見
    nagaichi
    nagaichi 2018/01/28
    「月氏族」という表記も斬新だな。
  • 「冊封体制」って、結局なんなのか?~琉球、朝鮮、日本などの地位とも絡んで

    遡ってったら、元は村大輔氏の「朝生」発言が発端らしいんですけど、テーマ自体はもちょっと面白いものを含有してる気もします。/アジアはアジアで元からこういう概念があったのに、あとから西洋主体で構築した国際法とすり合わせを余儀なくされ「ん?つまり保護国のこと?」「主権とか外交権あるの?ないの?」とか聞かれても「冊封は冊封だしなあ…」と答えるないよね。 そこで齟齬が生まれる、ってのも大変だけど、日が問われた「結局、ミカドとタイクンの関係は何なんだ」みたいな話も同じですかね…? ツイートを使わせていただいたアカウントはこちら(※追加は除く) @blue_kbx @Sankei_news @obinnobi @satoshin257 @kankimura @usagitan @japanchinaGEO @iwatachan @ryukyushimpo @bionzx @nikkiestale__

    「冊封体制」って、結局なんなのか?~琉球、朝鮮、日本などの地位とも絡んで
    nagaichi
    nagaichi 2018/01/04
    古代の冊封体制と近世のそれを一緒くたに議論するのは確かにマズいし、フォロワーのほうも小中華秩序の構築をもくろんだり。最近は織豊より前の室町期に琉球が南九州に手を伸ばしてたみたいな話も聞くな。
  • 古代の人骨と異なる複数の埋葬習慣、ラオス・ジャール平原で発見

    東南アジア・ラオスのジャール平原で見つかった人骨(2016年4月4日提供)。(c)AFP/AUSTRALIAN NATIONAL UNIVERSITY 【4月5日 AFP】数千個の石つぼが点在する謎の遺跡、東南アジア・ラオスのジャール平原(Plain of Jars)で行われていた調査で、古代の人骨が見つかった他、複数の異なる埋葬習慣が存在したことが分かった。オーストラリアの考古学者チームが4日、発表した。 ラオス中部のシエンクワーン(Xieng Khouang)県にあるジャール平原の至る所に置かれた数千個に及ぶ石つぼの用途については長年、謎とされてきた。約90の遺跡で構成されているジャール平原には、石を彫って作られた、高さ1~3メートルのつぼが散在している。 オーストラリア国立大学(Australian National University)考古学部のドゥガルド・オライリー(Douga

    古代の人骨と異なる複数の埋葬習慣、ラオス・ジャール平原で発見
  • メソポタミアの都市化を進めたのは「よそ者」だった HONZ特選本『都市の起源 古代の先進地域=西アジアを掘る』 | JBpress (ジェイビープレス)

    都市は人を惹きつける。整備されたインフラがもたらす快適な生活、次々にもたらされる新たな出会い、世界に解き放たれる前の情報など、都市にはヒト・モノ・カネ・情報の全てが潤沢に存在しているのだから、都市への集中は当然の成り行きとも思える。事実、1950年に30%だった都市化人口率は現在50%にまで増加しおり、国連の予測では2050年には70%近くにまで及ぶという。 もちろん、都市にはメリットだけでなく、希薄な人間関係や経済格差などのデメリットも存在するのだが、都市化の流れは強力なものだ。 このように「陰」と「陽」の面を併せ持つ都市は、どのように誕生したのか。書『都市の起源 古代の先進地域=西アジアを掘る』(講談社選書メチエ)では、世界最古の都市が誕生した約5300年前の西アジアに焦点を当てることでこの問いに答えを出していく。 考古学的手法で世界最古の都市を分析することで、その誕生過程を「流れ」

    メソポタミアの都市化を進めたのは「よそ者」だった HONZ特選本『都市の起源 古代の先進地域=西アジアを掘る』 | JBpress (ジェイビープレス)
  • 『メソポタミアとインダスのあいだ 知られざる海洋の古代文明』 - HONZ

    僕が歴史を好きになったのは、間違いなく中央公論社の「世界の歴史(旧版、16巻+別巻)」を読んだことがきっかけだった。世界最古の文明、シュメールから始まる悠久の物語に中学生の胸が高鳴ったことをよく覚えている。書は、農産物こそ豊富だったが木材、石材、金属などの必要物資に欠けていたメソポタミアになぜ世界最古の文明が誕生したのか、その秘密を交易ネットワークから解き明かした野心作である。 「四大文明」は「御三家」や「七福神」のようなもので教育者による思いつきに過ぎない、との挑戦的なゴングが鳴る。過去の研究の多くは、古代文明の起源を、灌漑農耕による生産性の飛躍的な向上、余剰の蓄積、労働力の集中と社会的・政治的ヒエラルキーの確立などの面から説明してきたが、何ゆえ文明がこの地に興らざるを得なかったのかという必然性を説明していない、と著者は指摘する。 そして交易を生業とした非農耕文明に目を向ける。メソポタ

    『メソポタミアとインダスのあいだ 知られざる海洋の古代文明』 - HONZ
    nagaichi
    nagaichi 2016/02/21
    「ウンム・アン・ナール」(Umm an-Nar)と表記するらしいけど。 http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/26903859.html https://en.wikipedia.org/wiki/Umm_an-Nar_Culture
  • 「馬はいつから人間の家畜になったのか」論争(「興亡の世界史」2巻) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    スキタイと匈奴 遊牧の文明 (興亡の世界史) 作者: 林俊雄出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/06/16メディア: 単行購入: 1人 クリック: 18回この商品を含むブログ (16件) を見る馬駆ける草原に興った、もうひとつの文明 黒海北岸のスキタイ、モンゴル高原の匈奴。「蛮族」とみなされた彼らが築いた広大な国家と、独自の文明とは。ヘロドトスや司馬遷が描いた騎馬遊牧民の世界を探る 内容(「BOOK」データベースより) 前七世紀前半、カフカス・黒海北方に現れたスキタイ。前三世紀末、モンゴル高原に興った匈奴。彼らはユーラシアの草原に国家を築き、独自の文明を作り出した。ヘロドトスや司馬遷が描いた騎馬遊牧民の真の姿は近年の発掘調査で明らかになってきた。 このでは第一章で「騎馬遊牧民の誕生」を取り上げている。 「野生の獣はいつ、どこで、誰が、いかにして家畜化したか」 これは「銃・病原

    「馬はいつから人間の家畜になったのか」論争(「興亡の世界史」2巻) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
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